『紅の龍は、灰燼(かいじん)に舞う』 第2部:幾何都市の狼 プロローグ:残り火を追う羅針盤
荒野を渡る風には、微かに鉄と油の匂いが混じっていた。
スカーレット・フォン・ヴァーミリオンは、乾いた大地を踏みしめ、ただ一人で歩を進めていた。
かつての没落貴族の令嬢としての、優雅だが動きにくいドレスはもうない。
今の彼女が身を包んでいるのは、機能性を極限まで追求したパンツルックだ。体にフィットした暗色のジャケットと、強靭な素材のボトムス。足元は荒地を走破するための編み上げブーツ。それは、彼女が「悪意の真実」を狩る戦闘者として生きる覚悟の現れだった。
その腰には、この世界では異質な一振りの剣が帯びられている。
直剣が主流のこの大陸において、その剣は緩やかな「反り」を持つ片刃の刀身を有していた。流麗な黒塗りの鞘に納められたその姿は、かつて劉の世界に存在した「扶桑刀」を彷彿とさせる。
柳方流剣術。その冴えを最大限に引き出すための、特注の業物だ。
スカーレットは一人ではない。
『……おい、聞こえているか』
脳髄の奥。あるいは魂の深淵から響く、聞き慣れた——そしてどこか呆れたような——男の声。
かつて中原で武を極め、この世の理すらも数式で解き明かそうとした老賢者、劉玄雲だ。
「ええ、聞こえていてよ。ここ数日、随分と静かだったじゃない。てっきり老人の昼寝かと思っていたわ」
『減らず口を。……「悪意の真実」の気配をたどる術式、やっと組みあがったんだよ』
スカーレットは足を止めた。
父マルスを殺し、ヴァーミリオン家を崩壊へと導いた真の黒幕。その尻尾を掴むために、彼女はあてどない旅を続けていたのだ。
「何かやっているとは思ったけれど、そんなものを? 言ってくれれば協力しましたのに」
『お前さんの魔導回路を勝手にいじるわけにはいかんだろう。それに、あてどなく旅をするより【効率的】だ』
「劉らしい言い草ね。で、どう使うの?」
『お前さんの魔導回路の第七層、サブ・ルーチンに送っておいた。展開してみろ』
言われるがまま、スカーレットは意識を内側に向ける。
彼女の魔導回路は、本来この世界の住人が持つ「ギフト」によるものではない。幼少期、眠っている間に劉が解析し、最適化し続けた独自の回路だ。
指先を軽く振ると、空中に幾何学的な光のラインが走った。
それは複雑な魔法陣というよりは、洗練された現代アートのオブジェのような。あるいは極細のネオン管で編まれたアクセサリーのような輝きを放っていた。
「……綺麗ね。それに、軽い」
『だろうな。常時発動させていても、お前の総魔力の1%しか食わないように設計した』
「たったの1%? そんな出力で、あの怪物の痕跡を追えるとでも?」
『奴は世界に歪みを残す。その歪みの周波数だけを拾うパッシブ・ソナーみたいなもんだ。力はいらん、計算式の精度の問題だ』
劉は少し得意げに鼻を鳴らす。
『まあ、使ってみて、問題があれば手直しするさ』
「まったく、相変わらずの投げっぱなしね」
スカーレットは苦笑しながら、その青白い光の羅針盤を虚空に固定する。
光の針が、微かに震え、北西の方角を指し示した。
「……行くわよ、劉」
『ああ。狩りの時間だ』




