Scene 4:演算の外側(アウト・オブ・ロジック)
「……さて」
バルカスは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、紫電を帯びた剣を正眼に構え直した。
その構えは、先程までの美しい「柳方流」とは何かが違っていた。
肘の角度が数ミリ下がり、足幅が広がり、剣先が微かに揺れている。
「ここまでは、貴方のよく知る『伝統的な(レガシー)』柳方流です。祖父への敬意として使わせてもらいました」
彼の纏う空気が、冷たく、硬質に変化する。
「ですが、私は前世において、祖父の道場だけで育ったわけではありません。
……ご存知ですか? 私が扶桑国で、三十代の若さにして国立大学の数学教授の座につき、同時に国家基幹システムの主任設計者を務めていたことを」
「……ほう」
スカーレットが少しだけ眉を上げた。
予想以上の経歴だ。ただのオタクではない。社会的に認められた本物の天才。
「私は幼い頃から疑問でした。祖父の教える剣術……『氣』だの『呼吸』だのといった曖昧な感覚言語が許せなかった。
だから私は、全てを翻訳しました。
剣の軌道を非線形偏微分方程式で記述し、筋肉の収縮を電気信号のシーケンスとして解析し、敵の行動を確率過程としてモデリングした」
バルカスの瞳には、狂気的なまでの知性が宿っている。
彼は、剣術すらも「数式」で解き明かしたのだ。
「その結果、私は祖父を超えた。
博士号を持つ頭脳と、現代の演算技術で再構築し、無駄を極限まで削ぎ落とした『最適解としての柳方流』……。
それが私の剣です」
バルカスは、まるで講義をする教授のように、冷徹に問いかける。
「対応可能ですか? 老師。
貴方の『感覚』と、私の『理論』……どちらが真理に近いか、証明終了(Q.E.D.)までお付き合い願いましょう」
挑発。
だが、スカーレットは肩をすくめ、呆れたように息を吐いた。
「小僧は口も達者だな」
彼女は剣をだらりと下げた。一見、隙だらけの棒立ち。
だが、その体内では、八十年分の経験と知識が、恐るべき速度でリンクしていた。
「お前は勘違いをしているようだ。
私がただ、腕っ節だけで『武神』などと呼ばれたと思ったか?
俺が強くなるために、あらゆる思考方法――心理学、生物学、果ては高等数学のロジックに至るまで、全てを習得しなかったとでも思ったか?」
「……何?」
「俺はどん欲でね。前世で、弟子の一人が物理学の教授だったことがある。
そいつが『師匠の動きは物理法則を無視している』と泣きついてきたから、俺も暇つぶしに奴の蔵書を全部読んだんだ。
高等数学、流体力学、情報工学……読んでみれば面白い。世界の理が数式で書かれているなら、それを逆に辿れば、数式通りに体を動かせば、誰でも達人になれるということだろう?」
「ま、まさか……」
「だから俺は、自分の武術を全て数式化し、脳内でシミュレートした。
この『エミュレーション』もそうだ。スカーレットという少女の脳に、俺というOSを走らせるためのドライバを、魔導回路で組んだだけだ」
スカーレットはニヤリと笑った。それは知の捕食者の笑みだった。
「来い。お前の言う『最適解』とやらが、俺の『遊び』に届くか試してやる」
瞬間、バルカスが消えた。
速いのではない。「予備動作がない」のだ。
筋肉の収縮、視線の誘導、呼吸のタメ。人間が動く際に必ず発生する「前兆」を、論理的な身体操作で完全に削除している。
まるで映像のフレームをスキップしたかのような、不連続な刺突。
(――演算完了。回避不能。心臓への最短経路を確保)
バルカスは勝利を確信した。
彼のロジックでは、スカーレットの反応速度と筋肉量では、この突きを物理的に回避することは不可能という解が出ていた。
だが。
ガキンッ!!
手応えがあったのは、肉ではなく鋼だった。
スカーレットの剣が、まるで「最初からそこに置いてあった」かのように、バルカスの刺突を止めていた。
「な……ッ!?」
バルカスが初めて驚愕に目を見開く。
有り得ない。反応できるはずがない。予測演算では、彼女はまだ動けないはずだ。
「不思議そうな顔をしているな、小僧」
スカーレットは鍔迫り合いの距離で、ニヤリと笑った。
「お前のロジックは『AだからBになる』という推論だ。完璧ゆえに、窮屈なんだよ」
彼女の剣が、バルカスの剣を滑るように押し込み、逆に彼の喉元へと迫る。
「俺のロジックは違う。
人間の恐怖、筋肉の反射、本能的な生理現象……それら不確定な『カオス』を計算式に組み込んでいる。
お前が『最適解』を選んで直進してくることなど、数学的にも生物学的にも明白だった」
スカーレットの一撃。
バルカスは慌ててバックステップで躱すが、頬に赤い線が走る。
「くっ……!」
距離を取るバルカス。その頬から滴る血を、彼は信じられない思いで拭った。
彼の作った最強のAIが、それを遥かに上回る包括的な「知恵」に敗北した瞬間だった。
「言ったはずだ、躾てやると」
スカーレットは剣を払い、悠然と言い放つ。
「機械的な正解だけで、人の業に勝てると思うなよ」




