Scene 2:解析完了(アイデンティティ・クライシス)
「……眞垣? 源信だと?」
バルカスの動きが止まる。
その名は、彼にとって捨て去ったはずの過去のID(識別子)。この世界のデータベースには存在しないはずの文字列。
だが、彼の動揺はコンマ一秒で収束した。
即座に、彼の脳内で冷徹な演算処理が走る。
(彼女は私の祖父を知っている。名前だけでなく、その剣の質まで理解している)
(祖父は扶桑国を出ることはなかった。ならば、彼女もまた『あちら側』の人間)
(さらに言えば、彼女は私を『小僧』と呼んだ。祖父と対等の口を利ける立場)
(柳方流を知り、中原の武術を使い、海を越えて祖父と交流があった武人……)
検索結果は、たった一つの名前に収束する。
「……く、ククク」
バルカスは肩を震わせ、やがて低い笑い声を漏らした。
眼鏡の奥の瞳が、歓喜と狂気で歪む。
「そうか。そうだったのか。……いや、光栄だよ」
彼はゆっくりと顔を上げ、スカーレット――いや、その内側にいる魂の名を呼んだ。
「まさか、中原の武神、『劉玄雲』老師ご本人とはな」
スカーレットは無言で眉をひそめた。否定はしない。
その沈黙こそが肯定だった。
「私のデータによれば、貴方は八十で大往生したはずだ。それがまさか、こんな愛らしい令嬢にリブート(再起動)しているとは。……世界というシステムも、粋なバグを残すものだ」
バルカスはテーブルに手をつき、身を乗り出した。
先程までの紳士的な態度は消え失せ、新しい玩具を見つけた子供のような無邪気さと、研究者の残酷さが入り混じっている。
「それで? 『躾』だって?」
バルカスは鼻で笑った。
「笑わせないでいただきたい、老師。貴方がそんな『道徳』や『正義』といった不確定なパラメータで動く人間でないことは、祖父の記録から承知している」
彼はスカーレットの瞳を指差した。
そこにあるのは、復讐者の怒りだけではない。隠しきれない武人の業火。
「家族の仇? 領民の救済? ……建前だ」
バルカスは断言する。
「貴方の本質にある命令はもっと単純だ。
『もっと強い奴と戦いたい』
『我が身ひとつで、どこまで高みに届くか試したい』
……違うか?」
図星だった。
スカーレットの中で、劉玄雲の魂が疼く。
確かに、家族への愛は本物だ。怒りもある。
だが、それと同じくらいの熱量で、目の前の男――柳方流を現代知識で「改造」したこの男との戦いを、楽しみにしてしまっている自分がいる。
「貴方は確認したいだけだ。
伝統という名の古い殻を破り、私が柳方流をどこまで『最適化』させたのか。
その答えを、貴方のその拳でデバッグしたいだけだろう!」
バルカスの指摘は鋭利な刃のように、スカーレットの核心を突き刺した。
スカーレットはふっと息を吐き、獰猛な笑みを浮かべた。
もう、貴族令嬢の仮面はいらない。
「……ああ、そうだとも」
彼女は認め、腰の剣に手をかけた。
その所作からは、一切の迷いが消えていた。
「口の減らない小僧だ。……だが、正解だ。
見せてみろ、眞垣徹。お前の言う『最適化』とやらが、俺の『遊び』に届くかどうか」
ガシャン!
スカーレットの殺気に耐えきれず、テーブルの上のティーカップが砕け散った。
「望むところだ……!」
バルカスもまた、虚空から一本の剣を取り出す。
空間収納魔法。
その刀身は、魔導回路が刻まれた不気味な紫色に輝いている。
交渉決裂。
いや、最初から交渉など必要なかったのだ。
二人の転生者が求めていたのは、言葉による解決ではなく、魂による殴り合いだったのだから。
「起動。対象、スカーレット・フォン・ヴァーミリオン」
バルカスの宣言と共に、空中庭園の空気が変質する。
龍とプログラマー。
灰燼の舞踏会が、今、幕を開ける。




