Scene 3:悪魔の招待状
裏通りでの情報収集を終えたスカーレットは、夕闇に紛れてメインストリートへと戻った。
目指すのは、この街で最も格式高い宿『ロイヤル・バルカス・ホテル』。
隠れるなら森の中よりも、敵の膝元にある最高級のベッドの上と決めている。それが貴族としての矜持であり、武人としての「度胸」の証明でもあった。
豪奢なシャンデリアが輝くロビー。
スカーレットは受付のカウンターへと進み、偽名のサインをサラサラと走らせた。
「予約していた『マヤ』よ」
「はい、お待ちしておりましたマヤ様。スイートのご利用ですね」
フロント係の男は、完璧な営業スマイルで鍵を受け渡す。ここまでは順調だった。
だが、男は鍵と共に、一通の厚みのある封筒をカウンターに差し出した。
「それと、こちら。……お客様へ『伝言』をお預かりしております」
「……?」
スカーレットの指先が止まる。
偽名だ。予約を入れたのは数時間前、魔導通信を使った匿名回線から。
この街に知人はいないし、唯一接触した時計職人ガレットが裏切ったとしても、こんなに早く正規の手順で手紙が届くはずがない。
スカーレットは眉ひとつ動かさず、その封筒を受け取った。
裏返した瞬間、彼女の背筋に冷たい電流が走る。
封じ目に捺されていたのは、深紅の蝋。
刻印されているのは、翼を広げた猛禽の紋章――バルカス公爵家の家紋だった。
(……いつ、バレた?)
ゲートでの偽装は完璧だった。尾行も巻いた。監視カメラの死角も把握していた。
だというのに、なぜ「ここ」に私が来ると分かった?
スカーレットは部屋に入ると、すぐに封を切った。
中に入っていたのは、上質な羊皮紙が一枚。そこには、流麗だが機械的な筆跡で、こう記されていた。
『ようこそ、同郷の旅人よ。
君の偽装は見事だ。魔力波紋の隠蔽率は99.9%。この街のシステム上では、君は「存在しないも同然の無害な市民」として処理されている。
だが、それこそが異常なのだ。
人間には必ずノイズがある。不安、微弱な魔力の漏れ、挙動の揺らぎ。
君のデータは「綺麗すぎる」。まるで、完璧にデバッグされたプログラムのように。
――この街に入国した、完璧な偽装を持つイレギュラー。
――その人物が取る行動パターンは二つ。
――「闇に潜る」か、「最も安全で快適な場所に陣取る」か。
――君の精神性からして、後者を選ぶ確率は87%と予測した。
今宵の宿の心地はいかがかな?
旅の疲れが癒えたら、明日の正午、城へ来たれ。
美味しい紅茶と、君が欲しがる「答え」を用意して待っている』
ゲオルグ・ヴァン・バルカス
「……はっ」
スカーレットは短く息を吐き、手紙を暖炉の火に放り込んだ。
魔法ではない。
【行動予測】だ。
彼はスカーレットの性格、能力、思考回路を計算し、「彼女ならこのホテルを選ぶだろう」と予測して、あらかじめフロントに罠(手紙)を張っていたのだ。
(完璧すぎることが、逆説的に正体を晒す証拠になったというわけか)
スカーレット(劉玄雲)の武人としての血が、ドクリと脈打った。
未来予知にも等しい論理的思考。
剣を交える前から、精神的な刃が喉元に突きつけられている。
「……いいだろう」
彼女は窓際に立ち、夜の街を見下ろした。
街の中央に聳える黒鉄の城。その最上階から、今も男がこちらを見下ろしている気がした。
「論理で私の行動を縛れると思うなよ」
恐怖はない。あるのは、強敵に挑む前の武者震いのみ。
スカーレットは不敵に笑い、ルームサービスのワインの栓を抜いた。
「招待には乗ってやる。……ただし、手土産は高くつくぞ」
虎の尾を踏むのではない。
虎の方から「檻に入ってこい」と誘われたのだ。
ならば、その檻ごと食い破るのが龍の流儀である。




