第6章 : 潜入
旧工業区に差しかかると、街の空気が一気に変わった。
街灯はほとんどなく、建物は朽ち、風の音だけが金属片を鳴らす。
人の気配は皆無。ここが犯罪者にとって都合のいい隠れ家になる理由が、すぐに理解できた。
「ここから先は車を降りる」
ユナが静かに言い、車を廃倉庫の影に滑り込ませて停める。
二人は闇の中へ足を踏み出した。
冷たい夜気が肌を刺す。
遠くで犬の鳴き声が反響し、建物に吸い込まれた。
「ゼロ、見える?」
「あぁ……暗くても問題ない」
昨夜からずっと、自分の感覚が鋭くなっている。
光の欠片すら、目の奥に吸い込むように捉えられる。
ユナはそんなカイの反応を横目で見て、小さく呟いた。
「やっぱり……変わってる」
「どういう意味だ?」
「後でいい。今は任務に集中」
ユナが前に出て、金属製の階段を上る。
工場跡の二階部分──そこが蟻穴の隠れ家の入り口だった。
錆びた扉の前でユナが立ち止まり、小型の装置を取り出す。
耳の奥で微かな電子音がしたかと思うと、監視カメラの赤いランプがふっと消えた。
「あと二十秒だけカメラが死ぬ。ゼロ、カードキー」
「ああ」
カイはクレハから渡された黒いカードを取り出し、扉の隙間に差し込む。
内部で機械が弾けるような音がし──
カチリ。
扉が開いた。
「行くよ」
ユナの声を合図に、二人は暗闇の内側へ滑り込む。
部屋の中は静かだった。
古い機材、埃をかぶったモニター、空になった酒瓶。
ただ、奥の部屋からわずかに灯る明かりだけが、この場所がまだ生きていることを示していた。
「ターゲットは奥の部屋。仲間が数人いるはず」
「殺すのか?」
「今回は排除でもいい。けど死体は残さないこと。音も立てない」
ユナは無表情でそう言い、ナイフを逆手で握る。
「ゼロ……初めての実戦、できる?」
「試してみたいだけだ」
カイは低く答えた。
胸の内で“何か”が微かに震え、目が冴えていく。
足音を消し、二人は奥の通路へ進む。
最初の見張りは、椅子に座りながらタバコを吸っていた。
その煙が淡く天井へ上っている。
ユナは一瞬視線で合図し──影のように動いた。
呼吸ひとつ分の時間で男の背後に回り込み、首を刃で押さえる。
「……っ」
声にならない声。
男が意識を落とすまで、たった三秒。
静寂が戻った。
「次は君の番」
ユナが囁く。
「……任せろ」
カイは心拍が上がるのを感じながら、通路を進んだ。
次の部屋には二人の男がいた。
声を潜めて会話しながら机に向かっている。
カイは深呼吸し、ゆっくりとドアを開けた。
一人が気づき、振り返った瞬間──
カイの身体が勝手に動いた。
影のように距離を詰め、男の口を押さえながら腹部に膝を叩き込む。
息が漏れる間もなく、男は崩れ落ちる。
もう一人が立ち上がり、銃を抜こうとした。
──遅い。
カイは机に置かれた灰皿を掴み、男のこめかみに叩きつけた。
鈍い音。
男は倒れ、痙攣を残して動かなくなる。
静寂が戻った。
胸の奥に、熱が湧く。
昨夜の“あの感じ”。
理性を削るような快感が、じわりと背筋に染みてくる。
「ゼロ」
ユナの声が背後からした。
「……問題ないよ。むしろ驚いた。初任務でここまで冷静な人、珍しい」
「俺は……」
何か言いかけたが、言葉が続かない。
ユナはそれ以上踏み込まなかった。
「急ごう。ターゲットは奥の部屋」
二人は最奥の扉の前に立った。
その向こうに──蟻穴がいる。
復讐へ続く最初の鎖を切る、その瞬間がすぐそこにあった。
「いくよ、ゼロ」
「あぁ。やっとだ」
ユナが扉のロックを解除し──
二人は、同時に扉を蹴り開けた。




