第5章 : 初任務
夜鴉の訓練場から戻って数時間後、カイは簡素な部屋で一息ついていた。
壁も床もコンクリート。窓はない。
あるのはベッドと机だけ。まるで“思考を削るための空間”だった。
深く息を吐く。
訓練の痛みはまだ骨の奥に残っているが、むしろその痛みが心を落ち着かせた。
──ここからすべてが始まる。
ノック音が響いた。
「入るよ、ゼロ。いや、カイ」
ドアが開き、クレハが入ってきた。
その背後には、黒いタブレットを持ったスーツの女性が控えている。
「準備はできてる?」
「……あぁ」
「じゃあ、最初の依頼を渡す。君の復讐の匂いが、少しだけ混ざってる案件だ」
クレハがタブレットを机に置くと、画面には一人の中年男性の顔写真が映った。
厳つい顔、脂ぎった肌。反社会的な匂いが見ただけでわかる。
「こいつは、“蟻穴”っていう闇ブローカーの一人。
違法取引、殺しの仲介、臓器の密売……何でもやる男だ」
「……その名前、聞いたことある」
「だろうね。君の家族が殺された事件──
あれに関わった“組織”はまだ表に出てきていないけど、
この男は、その組織に武器を卸していた。間接的な関係者さ」
心臓がわずかに跳ねた。
「ようやく“家族に繋がる線”が見えたわけだ」
「でも安心しないでね。まだこれは枝葉の一つに過ぎない。
本当に復讐したければ、もっと深いところまで潜る必要がある」
「……わかってる」
復讐に近づいている。
その事実だけが、胸の奥でじわりと熱を帯びた。
「任務内容は単純。
蟻穴の隠れ家に潜入して、“情報”を盗んでくる。
殺すのが目的じゃないよ。まだね」
「……まだ?」
「うん。殺すのは、その情報を精査してから。
君が勝手に暴走しないように、ね?」
釘を刺すような言い方だったが、クレハの口元は笑っていた。
「潜入か。武器は?」
「これだけで十分」
クレハは、黒いカードキーのような小さな機械を渡した。
「扉を開ける。監視カメラを一時的に止める。
それ以上は、君自身の腕でどうにかして」
「あぁ、任せろ」
カイは立ち上がり、深く息を吸った。
「……ところで、俺一人か?」
「違うよ。君の先輩を一人付ける」
クレハが指を鳴らす。
その瞬間、背後の影からひとりの少女が音もなく姿を現した。
年齢はカイと同じくらい。
銀色のショートヘア、切りそろえた前髪。
無表情で、まるで人形のようだ。
「彼女は“ユナ”。夜鴉の潜入担当。優秀だよ」
「よろしく。ゼロ」
声は淡々としていたが、目だけが鋭く光っていた。
「……名前はカイだ」
「ここではコードネームで呼ぶ決まり」
ユナはきっぱり言い放つ。
クレハが軽く肩をすくめた。
「まぁまぁ。任務中は“ゼロ”。
ここからは夜鴉として動くんだから、切り替えなよ」
「……わかったよ」
「じゃあ二人とも──出発だ」
クレハが扉を指し示す。
カイはユナと目を合わせ、無言でうなずき合った。
地上に出ると、すでに夜になっていた。
街灯の光が濡れたアスファルトに伸び、風が冷たい。
「ターゲットの隠れ家は、旧工業区の外れ。車で十五分」
ユナは淡々と説明しながら、小型の黒い車へ乗り込む。
カイも助手席に乗り込むと、車は静かに夜の街へと走り出した。
「……緊張してる?」
ユナがふと聞いてきた。
「してねぇよ。むしろ……」
「むしろ?」
「待ちきれない。復讐の最初の一歩だろ?」
ユナは、微かに口角を上げる。
「その気持ち、嫌いじゃない」
エンジン音だけが静かに響く。
カイの胸の奥では、
昨夜目覚めた“獣”がまた静かに爪を立てていた。
そして──
これが、闇の世界での最初の実戦。
戻れる道は、もうどこにもない。




