エピローグ : 灰と静寂のあとで
翌朝のニュースは、中園の死を一切報じなかった。
昨夜、ヘリポートで倒れた彼の身体は、夜鴉の清掃班によって無言で運び出され、記録から削除された。
その処理の早さは、まるで最初から“いなかった人間”を片づけるかのようだった。
風に散った血も、割れた床も、戦いの跡すら数時間で跡形もなく消えた。
空には薄い雲が流れ、世界は何事もなく朝を迎えていた。
そして──
ビルの屋上に、魁はひとり座り込んでいた。
手はまだ震えている。
指の隙間には、中園の最後の温度が残っていた。
(……全部終わった……はずなのに)
胸の奥は、ひどく静かだった。
勝利の実感も、復讐の達成感もない。
「失うばかりだな……俺の人生は」
自嘲気味に呟いた声は風に消えた。
遠くでサイレンが鳴る。
街は今日も息をしている。
誰も、昨夜の戦いを知らない。
中園が消えても、彼が率いていた影の組織はすぐに別の者が座るだろう。
巨大な闇は、形を変えて続いていく。
魁が殺した“黒幕”など、所詮ひとりに過ぎない。
すべてを終わらせたつもりでも、世界は変わらない。
まるで最初から彼の復讐など、世界にとってどうでもいい出来事だったかのように。
背後で足音がした。
「……みつけた」
振り返らずともわかった。
クレハの声だ。
彼女は魁の隣に腰を下ろし、しばらく黙っていた。
責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ同じ空気を吸っている。
「……終わったね」
「終わったよ」
「なのに、そんな顔で座ってるんだ?」
「どういう顔に見える?」
「そうだね……
“やっと戻ってきたのに、帰る場所がなくなってる顔”」
魁は苦笑した。それは否定できない。
「……俺は、何を取り戻したかったんだろうな」
「家族?」
「違う。
復讐だって、違ったみたいだ」
クレハは少しだけ考えるように空を見上げた。
「ねぇ、魁。
あんた、ゼロって名前どう思う?」
「……ゼロ?」
「全部失って、何も残ってない状態。
でも逆に言えば、そこから何でも作り直せるってこと」
「……作り直す、か」
「そう。
復讐も終わった。
家族はもう戻らない。
じゃあ次は……自分を作ればいい」
魁はゆっくりと目を閉じた。
ゼロ──
何もない場所。
そこには絶望もあるが、同時に始まりもある。
昨夜の戦いで、魁は確かに“すべてを失った”。
けれど、同時に中園の手を離れ、誰のものでもない自由な「無」に立っている。
それは復讐よりもずっと重い事実だった。
「……クレハ」
「ん?」
「俺は……これからどう生きればいい?」
クレハは小さく笑った。
いつもの、少し意地悪で、でも温かい笑い方で。
「知らないよ。
魁が決めなよ。
ゼロから何を積み上げるかなんて、あたしでもわかんない」
風が吹き、空気が少しだけ暖かくなる。
魁はゆっくりと立ち上がる。
復讐は終わった。
闇も、怒りも、血も、一度ここで置いていく。
失ったものは戻らない。
だが、何もない場所からなら進める。
ゼロからなら──やり直せる。
「……行くか、クレハ」
「うん。帰ろ。
あんたの“これから”を始める場所に」
二人は屋上を後にした。
誰にも知られずに散った血も、燃え尽きた復讐も、
世界のどこかの底で、微かな灰のように沈んでいく。
そして魁の物語は、静かにゼロへ還り、
新しい名前を探すために再び歩き始めた。




