第12章 : 天頂へ至る刃
ヘリポートへと続く最後の階段は、異様なほど静まり返っていた。
下の階での血しぶきの喧騒が嘘のように、空気は冷え、光は白く乾いている。
まるで世界そのものが、中園とゼロの決着の瞬間を固唾をのんで待っているかのようだった。
ゼロは階段を一段踏みしめるたびに、膝が笑い、足首が折れそうになった。
全身が悲鳴を上げている。
呼吸をするだけで胸が軋む。
それでも止まらない。
『……ゼロ、応答できる?』
クレハの声が震えていた。
「あぁ……聞こえてる」
『ダメよ、その状態じゃ……! 今のあなた、まともに戦えるはずない。
戻って。引いて。医療班を呼ぶから……っ』
ゼロは苦笑を漏らした。
「クレハ……俺が引けると思うか?」
クレハは黙った。
彼女は知っている。
ここまで来て引くゼロではないことを。
『……本当に、死ぬかもしれないよ』
「それでもいい。
どうせ……あいつを倒さなきゃ、俺は生きてても“死んだまま”だ」
階段の踊り場の窓から、夜風が吹き込んだ。
濡れた髪が揺れ、ゼロの頬についた血が薄く冷えていく。
その冷たさは、不思議と心地よかった。
(……やっと終わりが見える)
長かった。
家族を奪われ、復讐心だけで体を動かし続けた日々。
感情は殺し、名前を捨て、“ゼロ”として歩いた。
その全てを終わらせられる場所が、この先にある。
『……ねぇ、ゼロ。』
クレハが絞り出すように声を返す。
『もし……もし中園を倒したら、あなたはどうするの?
復讐が終わった後、どこに行くの? 何を望むの?』
ゼロはしばらく答えなかった。
そして、短くつぶやいた。
「分かんねぇよ。
……だって俺は、復讐の先なんて考えたことなかったからな」
『じゃあ……復讐が終わって、生き残ったら。
その時は……私に教えてよ。
あなたが“ゼロじゃない名前”で、生きたい場所を』
胸の奥で、何かがわずかに震えた。
それは怒りでも悲しみでもない。
ほんの小さな灯りのような感覚。
ゼロははじめて、クレハに“笑った声”を返した。
「……お前に教えるほどの未来があったらな」
クレハは息をひそめた。
それが泣き声かどうか、ゼロは深く考えなかった。
階段を上りきった時、無機質な鉄扉が一つだけ立っていた。
その向こうが、ヘリポート。
そして、中園。
ゼロは扉に手をかけた。
冷たい金属の感触が掌に伝わる。
その瞬間、背筋を刺すような緊張が走る。
『ゼロ……』
クレハの声が微かに震えた。
ゼロは言った。
「……行ってくる」
扉を押し開けた。
夜風が一気に吹き込み、血まみれのコートを大きくはためかせた。
ヘリポートの中央、中園が立っていた。
黒いコートの裾を揺らし、濡れた髪を風にさらしながら、
まるでこの瞬間を楽しむかのように、ゆっくり振り向く。
「来たか、ゼロ。
──いや、“カイ”と呼んだ方がいいかな?」
ゼロの足が一瞬止まった。
クレハが耳を疑ったように息をのむ。
『……なんで……あなたの本名を……!?』
中園は薄く笑った。
「君の人生なんて、最初から私の手のひらだよ。
復讐に走るのも、コードネームを背負うのも──
全部、最初から決められた道だった」
夜空の下。
風が吹き荒れ、二人の影がゆっくりと対峙した。
これは逃げられない戦い。
魂の底にこびりついた憎悪と、終わりの鐘が鳴り始める戦い。
ゼロは拳を強く握りしめた。
復讐の刃は、今まさに天頂へと達しようとしていた。




