第10章 : 爆ぜる影
視界が薄れていく。
耳の奥で鼓動が鈍い金属音のように響く。
だがゼロの意識は消えなかった。
──負けられない。
──あいつを、必ず殺す。
その執念だけが、身体をかろうじてつなぎ止めていた。
『ゼロ、応答して! 生きてるなら声出して!』
ヘッドセット越しのクレハの声が、かすんだ霧の中から引き戻すように響く。
「……生きてる……っ」
喉が焼けるように痛い。
言葉を発すると胸の骨が悲鳴を上げる。
ゼロは壁に手をつき、よろめきながら立ち上がった。
床には血のしずくが点々と落ちる。
『くそ……っ、中園に遭遇するなんて聞いてない!
予定では、敵の幹部クラスは別施設に──』
「言い訳は……いい。
中園は……ここにいた。それだけだ」
呼吸をするたびに肺が焼ける。
腹の奥から込み上げてくる痛みは、さっきの一撃で内臓が揺れた証拠だ。
『すぐ救援を向かわせる。だから動かないで──』
「いや……待っていられない」
ゼロはポケットから小型の煙筒を取り出し、ピンを抜いた。
赤い煙が広がり、廊下の視界が一気に悪くなる。
クレハが息を呑む。
『ゼロ!? まだ中園の部隊が周囲にいるのに──』
「だからこそ……動くんだよ」
ゼロは煙の中を駆け出した。
足は震え、視界は揺れ、呼吸は痛みで乱れている。
それでも歩みは止まらなかった。
──ここで逃げたら一生追いつけない。
──あの男は“家族を殺した連中”の核だ。
中園を逃すわけにはいかなかった。
階段の手前で、黒服の兵士が二人、煙に気づいて銃を構えた。
「侵入者だ! 殺せ!」
銃口がゼロを捉える。
だがゼロの体は、痛みとは裏腹に鋭く反応した。
銃声の瞬間に柱の影に飛び込み、すぐさま反対側へ滑り込む。
敵が照準を切り替えるより早く、低い姿勢のまま足元へ飛び込んだ。
刃を突き立てる。
一人目の太ももに深く刺さり、悲鳴があがる。
「がっ──!」
すぐに刃を引き抜き、横薙ぎに二人目の膝を切り裂く。
「ぎゃっ!」
銃が床に落ちる。
ゼロは呼吸も整えずに銃を拾い上げ、消音のまま二発撃ち込んだ。
敵の腕と肩に命中し、二人とも動きを止める。
迷いは一切なかった。
動けば殺される。
止まれば終わる。
だから、走るしかなかった。
『ゼロ……君、今の身体でよく……』
「クレハ、どこだ?
中園の目的……ここに来ていた理由は?」
『……』
「言え!」
『──ゼロ。
中園は“逃走”の準備をしてた。
君が倒した警備員の向こうに、専用エレベーターがある。
そこから最上階のヘリポートに繋がってるんだ』
「ヘリ……!」
ゼロの目が鋭くなる。
逃げられる。
このままでは、必ず。
『でも、ゼロ……その体じゃ戦えない。
今すぐ撤退すべきだ』
「嫌だね」
吐き捨てるように言った瞬間、胸の内側が熱く震える。
「……ここで逃げたら、俺は一生あいつに届かない」
それは、ゼロ自身の叫びだった。
痛みも、恐怖も、もう声を上げて止めようとしていない。
代わりに──
憎悪が、心臓の鼓動を支配していた。
「クレハ……道を教えろ。
ヘリポートまでの最短経路を」
沈黙が数秒。
その後、クレハが小さく息を吐いた。
『……わかった。
君がそこまで言うなら……僕が導く。』
『第6区画の階段を上がって、右の非常扉。
そこから上層フロアに入れる。
だが、敵が集結してるはずだ』
「殺す。
邪魔するならまとめて」
ゼロは痛みに歪んだ体を引きずりながら、しかし迷いのない目で前を見据えた。
天井の非常灯が、赤く明滅している。
血と煙の匂いが混じり合い、息を吸うほど喉が焼ける。
それでも──
ゼロの足取りは、次第に速くなっていった。
その影は炎のように揺れ、そして、爆ぜる。




