第9章 : 邂逅
廊下の奥から、乾いた足音がゆっくりと響いてくる。
重く、揺るぎなく、まるで獲物の逃げ場を確かめるような歩みだった。
ゼロは扉の横に身を寄せ、呼吸を殺す。
指先には、握り締めたナイフの冷たさが沈み込んでいた。
『来るよ……。気を抜かないで』
クレハの声が耳の中で震えるように響く。
そして──廊下の照明に、一人の男の影が伸びた。
白髪混じりの髪。
漆黒のスーツ。
背筋を一本の線のように伸ばし、歩みは静かだが、その存在は周囲の空気を圧迫する。
中園仁志。
裏社会で長く名を残し、警察すら手を出せない“壁”として知られる男。
ゼロの胸の奥で、赤い焔のような感情がうねり始めた。
──こいつが、家族を奪った連中に繋がっている。
中園はサーバールームの前で足を止める。
倒れた警備員に目を落とし、まるでゴミを見るように眉ひとつ動かさなかった。
「この施設に……侵入者か」
静かな声。
だがその一言が、刃のように空気を切り裂く。
『ゼロ、下がったほうが──』
クレハの言葉を途中で断ち、ゼロは影から一歩だけ姿を見せた。
中園の視線がすぐに突き刺さる。
年齢を感じさせない鋭さ。
まるで、ゼロの本質そのものを覗き込むような目だった。
「……小僧。お前が、こいつを倒したのか」
足元の警備員を顎で示しながら中園が言う。
「倒すつもりはなかった。眠らせただけだ」
「そうか。殺す度胸はまだ無いか……“夜鴉”の割には大したことがない」
その言葉に、ゼロの奥で何かが弾けた。
「……夜鴉を知っているのか」
「当然だ。
あれは裏社会の掃除屋だが──掃除しきれない汚れが、どうしても溜まっていく」
中園はゆっくりとゼロに近づく。
歩みは静かだが、その迫力は獣のそれに近い。
「……今日は誰が送り込まれた? “銀狼”か?
それとも……“クレハ”か?」
ゼロの背筋に冷たい汗が落ちる。
中園は夜鴉を熟知している。
その反応は、“敵対組織を知る者”のそれではない。
むしろ──。
『ゼロ、気をつけて。
中園は夜鴉の元構成員だ。脱走して別の組織を作り上げた。
君の家族を殺した連中を率いていたのは……“こいつ”だよ』
その言葉に、ゼロの視界が赤く染まった。
呼吸が荒れ、足が勝手に前へ出る。
「お前が──!」
叫びと同時に飛び込む。
ナイフが閃き、中園の胸へ一直線に走る──はずだった。
しかし。
「遅い」
中園の手がゼロの手首を掴み、簡単に動きを止める。
力が強い。
握られただけで手首の骨が軋む。
次の瞬間。
ドンッ
腹に鈍い衝撃。
殴られたことすら理解できない速度で、ゼロの体は壁へ吹き飛んだ。
「ぐあっ……!」
肺が潰れ、視界がぐらつく。
中園は淡々と近づいてくる。
「夜鴉は人を育てるが……“怪物”は作れない。
あの組織から離れた理由がわかるか?」
ゼロの喉元を掴み、引き上げながら言う。
「弱すぎるからだ」
ゼロの中で、怒りと屈辱が混ざる。
しかしそれ以上に──恐怖が体を痺れさせていた。
中園は本物だ。
夜鴉の訓練ですら届かない“化け物”。
「だが……少しは楽しめそうだ。
復讐か? いいだろう。お前の目はなかなかだ」
ゼロの顔を覗き込み、中園が薄く笑った。
「いつでも来い。殺せるものならな」
その言葉とともに、ゼロの体は投げ捨てられる。
床が割れるほどの衝撃が背中に走った。
中園は背を向け、ゆっくりと廊下を歩き去る。
その姿を、ゼロは血を吐きながら睨み続けていた。
『ゼロ! ゼロ、聞こえる!?』
クレハの焦った声がヘッドセットで響く。
ゼロは荒く息を吐き、かすれた声で呟いた。
「……見つけたぞ……俺の敵を」
全身が痛む。
骨が軋む。
視界が揺れる。
だが──
胸の奥の炎は、今までで一番強く燃えていた。




