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第6話『学生服を引っ張って』

 やりたくないことは沢山あるけど、やりたいことは浮かばなかった。


 学校に行くのが嫌だ。何かに縛られるのが嫌だ。負けるのが嫌だ。

 学生の身分を捨てて旅に出たのも、強くなったのも、彼に勝負を挑むのも。全部嫌なことから逃げているだけで、自主的に目指したわけじゃない。

 だけど急ぐものでもないだろう、とミカは思っていた。だって殆どの人間は、何の目的も持たず、適当に生きているんだから。


「ミ~カ~く~~~ん」


 鬱陶しい猫撫で声が後ろから飛んでくる。


「つかれたよ~~~、もう休もうよ~~~」


 それに一切反応を示さないままミカは歩き続けた。ついてくる少年がそれなりに嘘つきなことをよく知っていた。そもそも自分より遥かに強い彼が、自分より先に疲れるはずがない。


「あ~、もう無理。無理~。動けない。お腹空いた!」


 本当は疲れたんじゃなく嫌になったんだろう。彼はミカの背に手を伸ばすと、学生服を引っ張って体重をかけてくる。「ごはんにしようよー」

「さっき食っただろ」

「あんな果物だけじゃ足りないって!」

 ミカが振り返るわけでもないのに、少年は大げさに天を仰いで見せた。白い毛束がさらと解ける。


「果物は好きだけどさ、最近はまともな食事がとれてないだろ?君もそろそろお腹いっぱいのごはんを食べたいんじゃないかい?お腹空いてたら、奴にも勝てないかも」

「なら、奴を見つけてからでいいだろ」

 負けず嫌いを刺激してやろうという魂胆が見えて、ミカは冷静に返した。「神殿(ミディール)自体がこうも見つからねえんじゃ、ゆっくり飯食ってる場合じゃねえ」

「君はいつもそうやって自分を追い詰めるけど、そればかりじゃ強くなれないよ」

 白い指はまだ学生服を掴んだままだ。

「君たちにとって、食事と睡眠は大事な源なんだから」

 それっぽいことを言われたが、ミカも確かに空腹を感じていた。一つ息を吐く。


 追っている魔獣の行方は、習性から大雑把に予測するくらいしかできなかった。あたりをつけて彷徨う旅がもう何日も続いている。そろそろ何処かで身を休めなければ、後ろの少年はともかく自分の命が危なくなるだろう。

 それにしたって何処で休めばいいのか───深い森の木々は延々と続いているかのように茂っていて、街に出るのは到底先のように思える。やはりもう少し辛抱したほうが、とも思うが、この駄々っ子がそれを待てるとは思えない。


 ……と、暗く短いブロンドが不意に煽られて、ミカは立ち止まった。


 へえ、と少年が感嘆した。「いい風だね」

 ミカは思わずうなずきそうになった。ちょっとした気配だろうと、運ばれてくれば警戒するのがとっくに癖になっている。それでも感じ取った瞬間から思わず気を緩めてしまうような、とても穏やかな風だった。

 だからその風と共に駆けてきた軽やかな足音にも、彼らが武器をとることはなかった。


「───あ、あのっ!」


 草木を掻き分けて飛び込んできたのは、金髪の少女であった。木々の隙間から差すわずかな陽光を精一杯に反射して、毛先がキラキラと白く輝いている。琥珀色の丸い大きな瞳が少年たちを映した。



 瞬間、とくん、と。

 ミカの心臓が高鳴った。



「魔獣さんを見ませんでしたかっ?」

「魔獣、」繰り返してから、遅れてミカは少年と目を見合わせた。もしかすると、彼女は自分たちと同じ魔獣を追っているのかもしれない。


「…どんな奴だ」

「えっと、うさぎさんみたいな魔獣さんです!ふわふわしてて、くるくるしてます!」


 小さな白い手が宙に不安定な何かを描く。どうにも表現に乏しいが、聞いた限りでは小動物のような可愛い魔獣らしい。それなら違う。

 ミカが首を横に振ると、そうですかぁ~…と少女は溜め息を吐いた。

「はあ、また見失っちゃったなあ……あっ、すみません!ご協力ありがとうございましたっ」

 少女は微笑んで頭を下げると踵を返す。その足を止めさせたのは、白髪の少年だった。


「ねえ」


 その声は淡々と落ち着いた、それ程大きくもないかけ声だった。

 けれど一瞬で心と身体に染み入って、全部をひと纏めに捕らえられてしまったような感覚に、少女は陥った。


「これ、君の風だろう。随分優しい魔法を使うんだね」

 振り返ると、少年はふっと表情を緩めている。悪い人ではない、と少女は直感した。

「あ……ありがとうございます」少女は眉を下げて続けた。「……でも、やっぱり優しい魔法、なんですね」

 隙間の空を小鳥が数羽飛んでいく。ミカは疑問符を浮かべた。「不満なのか」

「いえ!嬉しいですし、捨てちゃいけないことだって思います」

 少女はそれから笑みを消して、瞳を伏せた。土と芝が琥珀色に映って混ざる。


「でも、私、強くなりたいんです」


 静かに告げられた言葉には、相当な決意が籠っているようにミカには聞こえた。小さな拳をぎゅっと握っているのが、視界の隅に見えた。


「だから今、一生懸命修行してたんですけど……あっ!」

 少女は表情が良く変わる。思いつめていた顔がパッと上がると、また陽光が彼女に煌めいた。

「は、早く戻らないとっ。アレクさんに心配させちゃう……!」

「アレク?」

 今度は白髪の少年が瞬きした。覗く瞳は暗い金色をしている。

「まさかとは思うけど、アレク・グリフォンのことかい?銀髪で気だるげな感じの」

「えっ?」

 間の抜けた声をあげて、それから少女は激しく頷いた。

「は……はいっ!!アレク・グリフォンさんのことですっ!!銀髪で気だるげな感じの!!」

「どんだけ気だるげなんだよそいつ」ミカがぼそりと呟く。

「知ってるんですかっ!?ええと……」

「ラヴィ」少年が声色を明るくした。「僕はラヴィ・フレイスっていうんだ。気軽に『ラビ』って呼んでよ。アレク・グリフォンとは、まあ……旧知?の仲……?かな?」

 何故か曖昧に微笑むラヴィに、少女も息を吸って答える。

「私はアイーシャ・フォーサイスといいます!よろしくお願いしますね、ラビさん!」


「おお」ラヴィは目を丸くして、ミカの肩をバンバン叩いた。

「聞いたかいミカくん!『ラビさん』だって!いいね、彼女は愛嬌がある良い子だよ!!」

「うるせえ」

 舌打ちをして瞼を閉じる。息を吐いてから開けてみて、ミカはたじろいだ。キラキラした琥珀が、じっとミカを見つめていた。


「ミカさん…ですか?」


 小首を傾げるしぐさに合わせて金色が揺れる。ミカは自分の鼓動がうるさく感じた。なんでなのかは分からなかった。喉が渇いた気がして、言葉が上手く出てこなくなった。少し長い沈黙のあと、深呼吸をして口を開いた。


「……ミカ・アナオン」

 躊躇いながら右手を伸ばした。「…よろしく」

「はいっ!よろしくお願いします!」

 アイーシャも細い左手で取ろうとした。が、


「…ふぇっ?」

 触れ合ったのは指先だけだった。

 ミカの右手はそれを無視して、何度か指を開いたり閉じたりしながら、やや迷った軌道を辿って、やがて少女の髪の右のほうに触れた。かすかに引っ張られる感覚に少女が目を細めると、それからミカは何かをつまみ取った。


「……葉っぱ。ついてた」

「…あ」


 夢中で魔獣を追いかけたから気付かなかった。木の葉を弄ぶミカの指が傷だらけなのをアイーシャは見た。

「えへへ……ありがとうございます」

 触れられた箇所に触れながらアイーシャははにかむ。手首の光輪が柔らかく煌めいて、彼女をより愛らしく見せた。


「じゃあ、アレクさんのとこ戻りましょっか?」

「戻らずとも、お迎えが来たみたいだけどね」

 ラヴィが肩をすくめた。ガサガサと音がして木々が揺れたと思うと、ボサボサの髪のあちこちに葉をつけたアレクが顔を出した。


「なんでお前が来てんだよ、ラヴィ」

「ちゃんと用はあるんだよ?君にじゃないけど」

「わあっ」アイーシャが口許に手をあてた。


「アレクさんの頭、小鳥さんのお家みたいです!」

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