第5話『閉じた瞼の裏に』
「支援に徹しろ」
魔法の弓が光の粒子となってアイーシャの頬を撫でた。
アレクからの初めての教えは、少女にとって予想外のものだった。
「そのこころは!」
「お前さん、あんまし戦ったことねえだろ?」
「なにゆえそのようにお考えで!」
「見たまんまだよ」
何よりも答えを示している純粋な瞳に、アレクは辟易した。人を殺めたことがある者とは目つきが違う、とは言えず、代わりに理にかなってそうな言葉を並べる。
「身のこなしとか、魔法の使い方とかな。粗削りでまるで洗練されてねえ。素人丸出しだ」
むうー、とアイーシャが眉をひそめた。けれど反論は返ってこなくて、自分なりに言葉を受け取っているようだ。
「魔導師を相手にすりゃあ当然『戦略』が絡んでくる。感覚派のお前さんでも、考えなきゃならんことは山ほど増える。今みてえに身体も魔力も気の向くまま使ってちゃあ、強くはなれねえ」
「だから、まずは見て学べ、ってことですか」
少女の理解は流石に早かった。
「攻撃とか護りとか、アレクさんがどうしてるのかを観察して、お役に立てるような支援を考えて…。そうしたら、戦ってるときに必要なものとか、欲しくなるものを見つけられる…ってことですね」
顎に手をあてて真剣な顔をしたアイーシャに、おうと頷いてからアレクは瞬きした。「……観察相手か」
「はい?」
「いんや、俺を観察する、ってのがどうにもなあ」
無造作に銀髪を掻いて、アレクは少し遠い目つきになる。
「俺の戦い方はなんちゅーか……手本にしちゃいけねえやつだ」
「なぜでしょう?」
「んー、支援を受けねえ前提でやってるっつーか、味方を考慮してねえっつーか……チーム戦に向いてねえ」
そこまで言ってからアレクは気づいて声色を変えた。
「そうだな、まずはそこからだな」
碧色の目がアイーシャの表情を映す。少女は小首を傾げてそよ風に揺られていた。アイーシャ、と確認するように名前を呼んだ。
「お前さんが助けてえ奴ってのは、お前ひとりで助けなくちゃダメなのか」
少女の琥珀色がパッと見開かれた。風が傍の木々から葉を運んで彼女の金髪を掠めていく。
「違います」口をついて出た。
「……はい、違いますっ。考えたこともなかったんですけど…!」
瞳をみるみる輝かせてアイーシャは息を吸った。小さな手のひらを握りしめて震わせる。
「そうですっ!私ひとりで頑張らなきゃいけないことじゃないんだ……!アレクさんっ!!」
頬を上気させてアイーシャは叫んだ。
「仲間っ!仲間はいないんですか!?」
「…仲間、ねえ……」
歓喜と期待に胸を躍らせる弟子に対して、師匠は苦い顔をした。
「んな綺麗な呼び方したくねえ奴ばっかなんだよなあ」
神様と少女が出会ってから数日。太陽の出ている時間が少しずつ減っていく季節に、動植物の姿は入れ替わる。
肩の怪我はアレクが簡単な処置をした。薬を塗って包帯を巻くだけの原始的な治療だ。他者を回復する魔法はアレクには使えない。単純に才覚がなかった。
しかし少女の自己治癒力にはその支えだけで充分で、アレクの予想以上の速さで傷は塞がっていった。まだ包帯は巻かれているが、あと少し清潔なもので包んでやれば完治するだろう。痛みはもうほとんどない。
「俺の知り合いなんて大半神族だしよ、お前さん自身で見つけた方がいいんじゃねーかとは思うんだが」
閉じた瞼の裏には何人かの神様が浮かんでいるらしい。寄った眉を見て、いったいどんな人たちなんだろう、とアイーシャは思った。
「この際、遠慮せず聞くが。家族とか友人とか、そういうのはどうなんだ、お前」
「家族はいません」
冷静に答えた声は、言葉の割には暗さを滲ませていなかった。
「お父さんは死んじゃって、お母さんは出て行っちゃいました。それからは街の人たちが良くしてくれて……なので少しだけ、一緒に遊んでくれた友達はいますけど。戦いには巻き込みたくない、というか」
金の毛先を指先で弄んだ。「まあ、戦いに不慣れなのは私も同じなんですけど…」
「んー、そうだなあ…」
アレクも顎に手をあてて唸ってみる。たった一人でこんな森にまで踏み入ってくる少女だ。天涯孤独に近い身であることは予想がついた。
「確かに、多少は心得がある奴の方がいいか……お前以外に面倒見れる気もしねえしな」
「私は、二番弟子でも三番弟子でも居ていいですけどね?」アイーシャが手を後ろで組んだ。「独り占めはしません!」
「お前さん一人でこっちは手一杯って言ってんだよ」
どこか得意げな少女に言ってやるが、彼女の笑みは深まるばかりだ。えへへ、と鈴の音がしてアレクは息を吐く。
「んじゃま、とりあえず単独での戦い方じゃなくて、チームでの戦い方を意識する方向にはしよう。観察対象については……いずれ考える」
面倒な思考は放棄してアレクは銃を具現化する。
「まずは魔力の切り替えを速く滑らかにするとこからだ。構えたらあの木を狙え。んで、矢の具現化を止めるな」
無骨な指がすっと伸びる。
「俺が1と言ったら突風、2と言ったら追い風、3と言ったらそよ風。”音”が鳴ったら撃て」
「───はいっ!よろしくお願いします!」
少女は頷きながら弓を手に取る。光の粒子が集まると風が一緒にざわめきだす。相変わらずとんでもない魔力効率だと思いながら、師匠は弟子から一歩離れた。
「いくぞ」
「どんとこいです!」
少女が弦を引く。引いた空間に後から矢をつがえるのが彼女の魔法だった。聴覚を研ぎ澄ます。遠くの下草を小動物が踏む音がした。
「1」
瞬間、光が矢の形をとって、彼女の手元から的に切っ先を向けた。眩さが弾けて具現化されると、素朴な姿に風が渦を巻く。アイーシャの瞳が僅かに細くなって、キィン、と甲高い音がした。同時、白い指先が矢を離す。
ごお、と風が鳴る。荒々しいそれは真っ直ぐに木を目掛けたと思うと、風に煽られて少し逸れた。幹の左端を掠めると、奥の茂みに沈む。
「うぅ」
少女は眉を寄せた。矢が当たらなかった代わりに、風の刃が木の表面を抉って大雑把な傷をつけている。魔力が一点に集まっていない証拠だ。応用すれば広範囲へ攻撃することができそうだけど、その分威力が落ちて───。
「3」
「えぅ!?」
2じゃないんですかっ、とアイーシャは内心で呟いた。反省会をするのは今じゃない。乱された息を瞬時に整えて、癒しの風をイメージする。少女が最も得意とする魔法だ。
目を閉じながら弦を引き、矢を創る。覗いた琥珀色の冷えに、少女の精神が統一されたのを見計らい、アレクが引き金に指をかけた時だった。
「あっ…!」
ふわりと風が吹いて、弓矢が光の粒子に戻って消えた。
「あ?」アレクは目を見開く。アイーシャの意識は完全に修行から逸れていた。
「あの魔獣さんっ!」
「……ああ?」
琥珀色の瞳の先に、小さな兎がいた。さっきの矢で茂みから追い出されたらしい。不意に動く長い耳は、よく見ると先の方が羽の形を描いている。手足には鋭利な爪が光り、尾には大量の毛がふわふわ揺れて、肢体を蔓が覆っている。───初見では兎に見えたが、確かに小型の魔獣だ。
「私、あの子と知り合いなんですっ!」
「知り合い?」
はい、と彼女が返事すると同時に、魔獣はこちらに背を向けて、タッと駆けていく。
「あ、待って……!」
ワンピースの裾をはためかせてアイーシャは走り出した。心の向くままに足が動いていた。
「おい!」アレクは思わず手を伸ばしたが、少女と魔獣はあっという間に離れていく。追うように数歩踏み出した。風が銀髪を撫でた。
「っ……」
大きなため息をついて走りかけた足を止める。どうせすぐ帰ってくるだろう。───と考えてから、自分の思考が以前と同じ方向を辿っていることに気が付いた。これであいつに万が一があったら、あん時の二の舞じゃねえか。
「あ~~~~、ったくよぉぉ……」
やはりもう一度ため息を吐いて、アレクは銃の感覚を確かめた。彼女の風を見失わないように、何かあればすぐ敵を撃てるように、後を追った。




