第4話『今度聞かせて、その人のこと』
二人分の足音が雨音と合奏している。
「……お前さんは、なんでそんなに強くなりたいんだ」
歩きながら聞くと、途端にアイーシャは真面目な顔つきをした。
「……命を救われるの、二回目なんです」
「二回目?」
「はい」頷いた少女は睫毛を震わせた。
「…すみません、私、悔しくて……これじゃ、まだまだ……」
さっきの涙は安堵じゃないと、アレクは遅れて気がついた。少女のそれは悔し涙だ。それを流せる限り彼女は強くなれるだろうと、アレクは諦めにも近く痛感する。
「恩返し……したいんです。その人に……。それから」
アイーシャは言葉を区切ると、いっそう声を落とした。
「助けたい……」
「…助ける?」繰り返すと、アイーシャがまたこくりと頷く。
「あの人の目、私に何かを求めてた……暗くてぐるぐるして、絶望して、希望の位置を見失った目で。それでもまだ、誰かに助けを求めてる、そんな目だったと思うんです」
琥珀色は射抜くような輝きを取り戻していた。
「だから助けたいんです。強くなって、今度は私が、その人を」そよ風のように目を細めた。「もう、二年くらい前の事なんですけどね」
「……、」神様は瞼を閉じる。「……そうか」
───ただそれだけで。
アレクは思った。根拠は自分の勘だけで、直接望まれた訳でもない救いのために、こうも力を求めるだろうか。目の前で人が殺されて恐怖しなかったのもそうだが、少しズレた嬢ちゃんなのかもしれない───。
「今度は私の番ですねっ!」
「は?」アレクが思わず瞬きすると、ずいと背伸びしてアイーシャが顔を寄せていた。足が止まる。
「質問、私は答えたので。今度は私が質問する番。アレクさんが答える番です!」
「んぐう……」
考えなしの振りして意外と頭は回るほうらしい。キラキラした琥珀色に、アレクは唸って身構える。
「私を弟子にしたくなかった本当の理由、教えてください」
鈴の音が突き付けたのは、数刻前にアレクが背を向けた問いだった。
「あ?そりゃあ、お前さんが人間だから……」
「嘘じゃないっていうのはわかってます。でも、それだけじゃないですよね」
それだけじゃなかった。決定的な言葉を恐れてアレクは逃げたのだ。それはもう、許されないことだった。
「私を見て、だれかを思い出していませんか?」
藍色のイヤリングが風に揺れた。
「ん、なワケねえ、だろ……」
意味を成さない否定の言葉が口をつく。息が詰まって胸がうるさくなる感覚が神様を襲った。手のひらに汗が滲む。行き場をなくした視界の中で、しかしアイーシャの姿は紛れもなくアイーシャだった。
「……?どうして否定するんですか?」
彼女は首を傾げた。
「別に怒ってないですよ。否定なんかしたら、その人が可哀想です。私はそう思います」
言葉が肺の奥のほうへ落ちていった気がした。絞まっていた喉が少し開いた。
アレクは息を吸って、吐いた。
「……そう考えたことは無かったな……、…そうだな。間違っちゃいねえ」
けれど先立って沈んでいたものは、肺に残ったままだった。
「……それでも、俺は……」
曇り空の瞳を伏せる。アイーシャはアレクの前にトン、と駆け出すと、振り返って微笑んだ。
「今度聞かせてくださいね。その人のこと」亜麻色が雨と踊っていた。
「あっ、じゃあ、私が貴方より強くなったら、その時に!」
「弟子にするとは言ってねえんだがなあ……」
雨空を仰いでからアレクも歩き出した。
アレクの棲家は、寓話の森のなかでも特に拓けた一帯にあった。かつて誰かが住んでいたらしい家屋を適当に使っている。
生い茂った木々の道を抜けると、風がいっそう自由に吹き抜けていく。
それを肌で感じたころ、ふとアイーシャのお腹が鳴った。
「……魔獣は?」
「あっ……!」
神様の指摘に少女は口許を抑えた。傷のあるほうを動かしてしまって、あう、と小さく声をあげる。血は雨に洗われて、見た目はなんとか綺麗になった。
「どうしましょう…!魔獣さんに悪いことしちゃいましたっ」
「お前さんは何も悪くねえだろうよ」
それより腹を満たせないことのほうが問題だとアレクは思う。彼女の価値観を理解するには時間がかかりそうだ。
「今日は街で買うかあ……の前に、肩治して、着替えて乾かして…」
身体に当たる雨の感覚が少なくなってきた。まあ止んではきたか、と手のひらに雫を受けてみる。
「雨に降られると厄介ごとが増えるよなあ」
「でも私、雨は好きですよ?」
「…晴れた空も好きなんだろ?」
「はいっ!あっ、雪の日も好きです!」
「全部好きじゃねえか」
言うとアイーシャは「えへへ、」と笑った。
「貴方と過ごせるなら、どんな天気の日だって大好きです!」
真っ直ぐに言われて、やはりアレクはたじろいだ。
「俺と何日過ごす気だよ…」
「もちろん、私が強くなるまでずっとです!私と早くお別れしたいなら、頑張って私を強くすることです!」
「なんじゃそりゃぁ」無精髭を掻いた。呆れた息を交えながらも、神様の口許はほんの少しだけ緩む。
「言っとくがな、俺は人に教えるのは下手だからな。マジで」
その言葉に、少女の顔がぱあっと輝いた。
「じゃあじゃあっ、改めて自己紹介ですねっ!」
少女は軽やかに先を行く。ひらりとワンピースが風を含んだ。細い足先をアレクに向けると、彼の視界の中央で息を吸い込んだ。
「私、アイーシャ・フォーサイスといいます!もうすぐ13歳になります!好きな食べ物はシュークリームです!」
雨雲の隙間から僅かに陽が差し込んで、アイーシャの金髪を照らした。
「これからよろしくお願いします、アレクさんっ!」
見慣れた景色のなかで彼女が笑った。
その時だけは全部が綺麗さを取り戻したように、アレクには見えた。
***
木々を縫った視界に二人を捉えていた男は、視線を手元に移した。
何もない手のひらを握る。
「ティアナ……」
落ちた呼びかけは小さく、誰に届く前に、軽薄な声に掻き消された。
「クルトさ~ん!」
声の主は左肩に大怪我をしていた。その割には底抜けに明るい顔をして、右腕をぶんぶん振りながら駆け寄ってくる。足元がバシャバシャとうるさく水を跳ねていた。
「いや~、やばいっすねアレクさん!めちゃめちゃ強くて殺されるかと思ったっす!」
「お前の感想はいい、ココ」クルトと呼ばれた男は表情を変えないまま続けた。「奴の返事は?」
茶髪の青年───ココ・ラナンフィは、つれないっすね、と鼻先を掻いた。指の隙間からそばかすが覗く。
「そりゃあ勿論、残念ながらお断り、っす」
「……そうか」
クルトは息を吐いた。「やっぱり、あんたは変わっちまったんだな」落胆よりは失望の色だとココは感じた。
「なになに~?今度はどういうことっすか?も~クルトさんすぐぼかすんだから…」
騒ぐココを背にクルトは歩き出した。足音はすぐについてくる。
「別に」薄紅の目が、雨空を見上げた。
「これで諦めついた、ってだけだ」
枯れかけの紅葉の色をした長髪が、風に煽られた。
初めまして、ぼんじりのしおと申します。
この度は『イルシオンの魔導師』をお読みくださり本当にありがとうございます!
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引き続きよろしくお願いいたします〜




