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第3話『目と鼻の先まで』

「アイーシャ…!」


 茂みを揺らして、息を荒くしたアレクが飛び込んできた。座り込んだ少女が震えているのを見つけて、咄嗟に駆け寄る。

「……アレク、さん……」

 安堵と恐怖の混じった琥珀色がアレクを見上げた。彼女の傷を確認して唇を噛む。そんな自分に、ふと、神様は思った。


───どうして俺は、こいつを失うのを怖がってんだ?


「保護者さん、躾がなってないっすねえ。ずいぶん抵抗されたんすよ?」

 過ぎったものは声に掻き消された。茶髪の青年が握るナイフに血がついていて、アレクは声を落とす。

「───”ノア” か」

「ノア……」少女が繰り返した。

「神族の威光を取り戻そうって連中だ。融和反対派、ってやつか」

「ま、俺たちは人間なんすけどね」青年は未だ脱力して立っていた。「今日はアンタの勧誘に来たってわけ」

「お前らも飽きねえな」

 眉を潜めたアレクに青年が笑う。

「心配しなくてもこれが最後っすよ。今回ばかりはボスからのご命令なんで」


 彼がナイフを空にかざした。雨が降ってきたのだ。


「でも直接近づこうとしたら、さっきのみたいに撃たれちゃうっすからねー。そこの嬢ちゃんを餌にしてみたってわけっす」

 ナイフの血が雨に流されて、色を透明にしていく。「あ…」少女の右手が、汚れたワンピースの裾をきゅうと握った。

「私…っ、ごめんなさい、ごめんなさい…っ」

「いい、アイーシャ」

 アレクは息を吐ききると、青年に向き直った。少女を守るように前に立つ。

「これではっきりした」

 青翡翠がルビーに変わる。


「こいつを傷つけたお前らは"敵"だ」


 雨が勢いを増して、そこにいる人と神とを濡らす。

「ああ、そうっすか。残念です」

 青年が瞼を閉じた。その身体にますます魔力が満ちていく。


 雨で煌めいた世界で、図るような静寂が訪れた。

 アイーシャは緊張に息を呑む。……彼女の濡れた長髪から幾つめかの雫が落ちた時、特異な銃声が雨音を引き裂いた。


 ベルが鳴るのとほぼ同時。僅かな光をきらと反射して、銃弾が水滴と共に霧散した。アレクは舌を打つ。銃弾を弾いたナイフの向こうで、青年の唇が歪んだ。小さくなった瞳孔が神を捉える。


 命の懸け合いを楽しむ者の目。厄介な相手だ。


「流石……ッ!」青年の冷や汗は雨に紛れる。

「あの人が追いかけたくなるのも分かるっすねえ…!」

「あの人……?」

「あれ、知らないんすか?…ま、いいや」身を躍らせて青年が迫った。「好都合ッ!!」

 瞬時に詰まった距離に、しかしアレクは冷静に銃を構える。鋭く空気を裂いた刃を銃身で受け止めた。キィン、と金属音が鳴り渡る。青年も怯まなかった。ナイフの連撃がアレクを襲う。

「後ろに守るもんがあるんじゃ、退がれないっすよねえッ」

「うっせえ、」左脚に力を込めて、思い切り振り上げる。「…よッ!」

「っぐ!」

 腹に一撃を食らって青年が後ずさった。濡れた地面が跡を引く。しかしその目はまだ酔ったままだ。

「へへ……武器にこだわりとか、無いタイプっすか」

 答えずアレクは照準を合わせる。その銃口に向けて青年がナイフを投げた。


「”ギフト”!」


 飛び散る水滴の色が変わった。逢魔が時の空のような紫色だ。

 毒か、とアレクは瞬時に判断して弾丸を撃ち出す。ナイフが弾かれて空中を回る。切っ先から毒の滴が無軌道に咲いた。しかしルビーの瞳はその全てを逃さない。一歩下がり、腕を引き、頭を下げ、青年がそれを認識したと思うと、湿った空気が押し寄せて茶髪を揺らした。

「───っ!?」


 目と鼻の先まで神が迫っていた。


「”ラプス”」

 低い声とともに破裂音とベルが鳴る。青年がナイフをもう一度具現化するが間に合わない。魔力を増した音の銃弾が、敵の左肩を撃ち抜いた。

「っあ゛あッ!!」悲鳴と鮮血が暗い森に舞う。振動は内部から肉体を破壊する。容赦ない銃口が今度は額に狙いをつけた。

 それを見てなお、苦しむ青年の口許が楽しげに吊り上がった。無様な声を上げ続けるつもりはないようだ。痛みを堪えた笑いが零れて、アレクとアイーシャの耳に確かに届いた。


「それはさせないっ、すよ……”カルヴィノーツ”!」


 しっかりと具現化されたナイフから、大量の毒が溢れて青年の前に壁を作る。構わず撃った弾丸は壁を貫いて、しかしその先で獲物を捉えることはなかった。

 紫色が晴れた視界に青年は居ない。代わりに赤い血が地面に残っている。


「本当は満足するまで殺り合いたいとこだけど…あの人が待ってくれてるんでね」


 声だけが最後に響いた。随分と逃げ足の速い奴らしかった。



 敵の気配も消え去って、アレクは腕を下げた。冷たい雨が打ち付けて、やがて熱を冷ましていく。銃を消すと瞳の色がゆっくりと戻った。

「───無事、か?」

 息を吐き振り返る。と、合った目が震えて丸くなった。少女の反応に初めて、自身の身体に返り血が飛んでいたことにアレクは気づいた。

「ぁ、」

 しまった、と思った。魔法の才を除いてしまえば、アイーシャはただの町娘だ。彼女の倒した敵は瀕死だが、死んではいない。けれど銃弾が撃ち抜いた男は、頭を弾かれて原型を留めていなかった。戦闘とは無縁のまま育った彼女には刺激の強い光景だったに違いない。

「あ…アレク…さん……」歪んでいく表情に、だがこれでいいのかもしれない、と神様は思う。拭った頬の返り血は雨と混ざっている。……これで諦めて帰ってくれれば。


 すると少女は立ち上がり、勢いのまま倒れこむように───アレクの胸に飛び込んだ。


「無事です!すっごく無事ですっ!!」

「……へ?」


 触れる温もりにアレクは困惑した。少女の身体は雨に打たれて冷えていて、けれど生きている人の温度を保っていた。


「その…っ、ごめんなさい!迷惑かけました……!でもでもっ、その、私、元気で!傷も大したことないのでっ、あ、でも私、自分の怪我は治せないんですけど、でも大丈夫なのでっ」

「わ、わかった、わかったから一旦落ち着け、な?」

 亜麻色の頭をポンポンと撫ででやれば、腕の中で琥珀が見上げてきた。雨粒と流れても涙と分かる大粒の雫が、次から次へと少女の頬にあふれていく。

「ぅぅぅ~~……アレクさぁぁん……」

「おら、深呼吸、深呼吸」しゃくりあげ始めた泣き声に、アレクは適当な助言を投げた。すー、はー、とアイーシャが素直に従っているあいだ、改めて肩の傷を見る。本人の言葉は強がりではないようで、アレクはとりあえず安堵した。


 それから分からなくなった。目の前で人が死ぬなんて初めてのことだったはずだ。普通の少女なら恐怖で逃げ出すものだろうとアレクは思っていた。

 口に出して聞くべきか迷っていると、息を整えた少女が目元を赤くして笑いかけてきた。


「アレクさん、かっこよかったです!」


 う、とアレクはたじろいだ。純粋な笑顔を向けられるのは得意ではなかった。他に向けるべき相手などこの世界には山ほどいるだろうに、それが自分に向けられる意味が分からなかった。分からないことだらけだ。

「あー……ありがとよ」正しいと思われる答えを言った。アレクは無精髭を掻いて、それから続けた。

「まずは戻るか。その肩も治してやんねえとな」


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