第2話『微風に縋る』
やはりだ、とアレクは確信した。
アイーシャには才能がある。”もう一人”を撃ったのに気付いたことは勿論、不完全だった竜巻の魔法もそうだ。魔法に必要な独創力と、正確な射撃の腕を兼ね備えている。少し鍛えてやればすぐに昇華するだろう。
そして彼女の魔法を目にする度に、その風の中に何か別の、特異な魔力が僅かに混じっているように感じた。彼女とはまるで性質の違う、別人のような、強大で無慈悲な力が。
だからこそ、弟子にすることはできなかった。
強さには危険が伴う。偉大なる力を持つ者は、弱者から嫉まれ、時にその力を奪われる。そのことを、地に堕とされた神族は身をもって知っている。
才能を封じ込めてしまっても、平和な世界に留まり、平穏な将来を歩むほうが少女にとっては幸福だと、だから男は信じていた。けれどこの信念は、彼女の願いを真っ向から否定する。
結局踏ん切りもつかないで、ぐだぐだと言い訳を重ねて背を向けるばかりだった。
「……お前なら、俺を笑い飛ばすかな」
呟きに答える者はいない。後方に首を向けるとイヤリングが揺れた。曇り空の色をした瞳が、遠く離れた少女の姿を鮮明に映す。気づけば美しい金髪はとっくに亜麻色になっていた。
必死に追ってくる彼女を見ても、哀れみや憐憫などは湧いてこない。どうせ持ち前の発想で、なんとか追いつく術を考えつくんだろう。この数日で彼女の執念を思い知っていたから、アレクは心配をしなかった。ため息を吐いて足を前に進める。ありもしない行く宛を考え始めた矢先だった。
「きゃっ……!」
小さな悲鳴だった。それが少女の声であることを、神族の耳は確かに聞き取った。
同時に後ろの足音が消えた。ハッと振り返った瞳に映ったのは、今度は無造作に横たわる魔獣の亡骸だった。
───攫われた。
一瞬。息を呑むと、すぐさま彼女のいた方向へと駆け出した。
「アイーシャ!」
重い空気に声は留まって響かない。今にも雨が降りそうな気配が、暗い森に満ちていく。
アレクは後悔した。
撃つべき奴を見つけた時点で、アイーシャから距離をとるべきでは無かったのだ。自分が彼女から逃げることばかりを気にして、彼女が狙われる可能性を失念していた。
センスのいい彼女なら、問題なく逃げ切ってしまうのかもしれない。だがアイーシャが得意なのは回復魔法だ。誰かを傷つける魔法じゃない。戦闘に発展すれば、彼女の命が危険に晒されるのは明白だった。そもそも無理をさせるような指示はすべきじゃなかった。背中を追うことに必死になって、周囲への注意が疎かになっていたのだろう。身のこなしだって殺していた。
「……クソッ!」
走りながら耳許の感触を意識する。藍色は離れていない。アレクは奥歯を噛んだ。少女の魔力の残滓を探る。湿った空気の流れのなかに、彼女の生み出した風がほんの少し、澄んで残っている。指先や鼻先でわずかに感じるそれを必死に追いかける。どうか消えないでくれと、アレクは微風に縋った。
*
「"ゼフィール"っ!!」
林冠が空に輪を描く。雨雲の下、少女が矢を放った。突風を纏った鏃は青年の茶髪を掠ると、彼の背にある幹を貫く。
「へえ、なかなか」
魔法の短剣を緩く構えて、青年が口角を上げた。
アイーシャを攫った相手は三人の男だった。
女の子相手に全員で襲いかかったらみっともない、などと宣って、残りの二人が少し離れて観戦している。それが視界の隅にちらついて少女は眉根を寄せた。殺そうと思えば、攫った時に殺せたはずだ。そうしないのは、自分が本命でないから───。
「でも狙いが甘いっすねえ。ていうか、怖がってる?」
茶髪の青年が思考の間に割り込んだ。
「困るっすよ、これは命を懸けた戦いでしょ?もっとちゃんとしてくれなきゃ」
「っ……!」
刃の乱舞を精一杯に躱す。こっちは精一杯なのに、相手はそうじゃないと分かるのが、アイーシャには悔しかった。もう一度、矢を番える。
乱撃の隙を見極めるように大きな瞳を動かした。土の上を細い足で踊る。亜麻色の髪が風にたなびくのを、観戦者の一人が見留めた。白銀に揺らされる景色の中で、アイーシャはそれを見逃さなかった。
素早く。交戦相手から思い切って視線を外し、ナイフを避けた不安定な体勢で、少女は切っ先を男に向けた。彼の惚けた顔が戻るより速く矢を放つ。風の魔法は攻撃力と速度を上げて、男の身体を突き通した。
へえ、と茶髪の青年が、今度は目を丸くした。
「…ちょっと舐めてたな。結構切れるじゃないっすか」
無言のうちに倒れた仲間を見遣ることなく、ナイフを逆手に持ち替える。観戦していたもう一人が加勢を訴えたが、それに答えもしなかった。
「……でも」
体躯を崩したアイーシャに、青年は大きく踏み込んだ。息を呑む少女と目を合わせ、時が止まる。
笑みを消して青年は、低い声で告げた。
「───それって、俺に勝つの諦めちゃってるっすよね?」
瞬間。鋭いナイフの先端が、少女の肩を残酷に抉った。
「あ゛あぁっ!」
鈴の音が悲鳴を上げる。正確に動いていた足先がぐらりと乱れた。そのまま不規則な歩調で後退ると、少女の膝が折れた。
「ぁ……うぅ…っ」
小さな左肩を無意識に抱いて、アイーシャは痛みに顔を顰めた。赤い血が白い肌をつたって腕を汚していく。
大きな靄みたいな気持ちが押し寄せて、涙に濡れた地面を睨んだ。……顔を上げるのが怖かった。それがまた悔しいと思った。
けれど青年は、ふうっと息を吐くと獲物から目を逸らす。
「……ようやくお出ましか」
その耳は近付く足音と、撃鉄の音を捉えていた。
───カラァン、と。
常より大きくベルを鳴らした弾丸が、もう一人の男の頭を撃ち抜いた。




