第1話『細い両足で軽やかに』
彼女の髪色は空に伴って変わるのか、とアレクは思った。
晴れの日は美しい金色に。曇りの日はくすんだ亜麻色に。
「弟子入りさせてくださいっ!」
「断る」
このやり取りは四回目だった。目の前の少女は勢いよく頭を上げると「もうっ!なんでですか!」と頬を膨らます。金色の長髪が陽光の波を纏っている。二日振りのよく晴れた空だ。
「だからあ……」
溜め息を吐いても少女の目線は逸れてくれない。心まで真っ直ぐ射抜こうとしてくる琥珀の瞳に、アレクはたじろいで、無精髭を掻いた。
此処は、誰も足を踏み入れないとされる禁断の地……らしい。
”禁忌の森”だの”神話の蔓延る森”だの呼ばれているが、それほど大した場所じゃないことをアレクは知っている。緑がしげり、小鳥がさえずり、太陽と雨が土を育む、何の変哲もない森林地帯だ。
そんな人里離れた森で、二人は向かい合っていた。
「いいか?昨日も一昨日もその前も言ったがもう一回言うぞ?」
「どんとこいです!」
「俺は、人間とかかわるのは、もうやめたんだ」
今日こそはと言葉を立てた。
「お前さん自身がどうこうじゃねえ。お前さんが人間だから断ってんだ」
「本当ですか?」
「嘘つく意味がねえだろ」
「そういうことじゃなくて、」
少女の澄んだ瞳はアレクとは対照的に、何を言っても怯みやしない。男の骨太い指先がぎゅっと丸まって手のひらを刺したのに、本人ではなく少女が気づいた。
「とにかく、いい加減あきらめてくれって」少女の吸った息が次の音を紡ぐ前に、彼は背を向けた。
「ここはお前さんみてぇなやつが踏み入れるべき場所じゃねえ。街に戻れ、アイーシャ」
あっ、という小さな声を無視して男は歩く。少女の丸い瞳に映る大きな背中は、迷う素振りもなく遠ざかっていった。
「…違います」
その背を決して見失わないようにと、琥珀色の虹彩を据えて少女は呟く。
「私には、ここしかないんです」
やがて細い両足で軽やかに、力強く森の大地を駆け出した。
*
神が地に堕ちてから三千年が経つ。
かつて敵対していた人間と神族の関係にも、融和の道が開かれ始めていた。
この森が恐れられている理由はアレクも知らない。ただ、人間たちが近づかない場所だったから、これ幸いと隠居地に選んだ。人間が融和の手を差し伸べようとも、自分は人と深くかかわるのはやめたのだ。それなのにアイーシャという少女が、どういうわけか飛び込んできたと思えば、開口一番に弟子入り志願を突きつけてきた。
『私、強くなりたいんです!得意なのは回復魔法ですけど、それでも……貴方の足手纏いにならないくらいには、ずっと強く!』
以来、何度断っても、彼女はアレクの背を追いかけてきた。禁断の森を理由にしてみても、回復が得意ならそっちを極めろと言ってみても、そもそも弟子なんてとったことが無いと伝えても、まるで聞かない。アイーシャの願いには相当な覚悟というか、決意のようなものが秘められているのだと直ぐにわかった。それを受け止めて背負うことが、孤独な神には難しかった。
「聞いてねえのはお互い様、か」
なんだか意地の張り合いみたいなことになってしまったと息を吐く。木々の隙間から陽光が注いでも、短い銀髪では纏えない。代わりに左の耳許で、藍色のイヤリングが一瞬だけきらめいた。
「アレクさーんっ!」
弾む足音が風に運ばれて聞こえてきた。
「アレクさんっ、"私には伸びしろが無いから"って、断ったことは、なかった、ですよねっ」
鈴を転がすような声だとアレクは思う。……元気に転がしすぎだとも感じるけれど。
「それって、私には、才能が、あるって、ことですよね!」
「お前さん結構自信家だな!?」
思わず答えながら歩幅を広げた。
確かに、彼女の身のこなしには目を見張るものがあった。四肢の動きはしなやかで、バネにも余計な力が入っていない。五感も人間にしては鋭く、この数日、琥珀色の目は一度もアレクを見失わなかった。魔力量はやや少ないが配分効率が良く、以前彼女の武器───風の力を纏った弓矢を見た時は、綺麗な魔力の流れに驚いた。
何よりアイーシャは自然に愛されているらしい。ふとすると動物たちが彼女の傍でくつろいでいる。森に生きていく上で一番大事な素養を少女は持っていた。自然と神族、その双方に育てられれば、人間の少女は見違えるほど強くなるだろう。
試すように男は地面を蹴る。あっ、とまた小さな声がした。二歩、三歩とすれば次の瞬間には大柄な体躯が空を跳ねている。アレクはすっと右腕を伸ばすと人差し指を指した。
アイーシャは息を呑む。それは魔法の合図だった。小さな光がアレクの手に沿うようにぐるぐると回って、やがて形作る。その手に握られたのは、銀色の拳銃だ。
アイーシャは駆ける速度を上げようと奥歯を噛んだ。ワンピースの裾がはためく。琥珀に映したいのは彼の武器だけではない。揺れる視界を必死に向けた先は神族の瞳だった。暗めの青翡翠をした両目が、その奥から色を変えていく。
混じりだした輝きは赤。男が指先を曲げる頃には澄み透った緋色になる。まるでルビーの宝石だと、アイーシャは思う。
低い破裂音に、リン、とベルを鳴らしたような高音が重なる、不思議な音色が森に響く。一つの銃弾が撃ち抜いたのは、茂みの奥に潜んでいた魔獣の額だった。悲鳴さえあげられずに大きな身体が倒れ込む。鹿に似た外見で、長い角が一本生えていた。
同時、アレクの短い銀髪が風に煽られた。
「……っ?」着地しようとしていた足元に目を向けると、矢が急速に旋回をしていた。
「おわっ!?」
「やった、上手くいきました!」
オールドゴールドの矢は小さな竜巻を起こしてアレクを宙に留まらせていた。聞こえてきた明るい声のほうを見ようにも、不安定な気流に乗せられてままならない。爪先からぶわりと持ち上がり、景色が逆さまになったかと思うと、今度は風が止んでしまった。
「うおぉぉお…っ」
慌てて持ち直し、左手も使いながらなんとか足から着地する。背後で力尽きた矢が落ちて、光になって消えた。危うく頭から落ちるところだった。
「何してんだお前!」
「あれっ?うーん、難しいですね……」
弓を消しながら、追いついた少女は首を傾げる。
「空、飛べると思ったんですけど」
「空ぁ?」
「はい!私、小鳥さんみたいに空を飛びたいです!」
ころころと表情が変わる子だ、とアレクは感じた。
「私の風の魔法なら、空を飛ぶのも夢じゃないと思うんです!」
「だからって俺で試さなくてもいいだろうがよ……」
うなだれてみても、アイーシャには気にするつもりはないようだった。一瞬、逡巡するように口許に手をあてると、パッと目線を上げる。
「それより!」
琥珀色が再びアレクを見つめた。アレクの瞳はゆっくりと青に戻りながら、ほんの少し震える。
「今、もう一人撃ちましたよね?」
よく通る鈴の音が突きつけた。
「撃っ……てねえ」
「嘘です。アレクさんって嘘下手ですよね」
「お前さんが鋭すぎるんじゃねえ…?」
目を逸らして無精髭を掻く。殺傷力の高い”音の弾丸”に抉られた魔獣の額から、血が流れ出ていくのを見た。
「アレクさんの”音”、少し離れたところに反響してました」
「そりゃあ……外しただけだろ」
「いいえ。ちゃんと当たってましたよ」
微かでしたけど、聞こえました。アイーシャはそう言うと、虹彩の光を弱めた。
「見せたくないものでもあるんですか?」
自身に向けられた他人の配慮を、無下にはしたくないらしい。
久しい晴れ間は午前中しか持たないようで、雲の増えてきた空を映して少女の髪色がくすんでいく。しばらく唸ってから、アレクは隠すのを諦めた。
「───ああ、そうだよ」代わりに瞼を閉じて、暗闇に逃げてみた。「その……言うべき時が来たら、ちゃんと説明する。……からよ…」結局は反応が気になって、言い終わりに薄目を開ける。
「……!それって……!」
シリアスな少女の表情は、重大な真実に辿り着いた名探偵みたいだと男は思った。そんな呑気な考えは次の発言に吹き飛ばされる。
「弟子にしてくれるってことですか!?」
「そうは言ってねえだろ!?」
「だってだってっ、一緒に居ないとそのときって来ないですよね!」
「おっ…前なあ~~~……」
ろくに言い返すこともできなくて、アレクはこの場を去ることにした。この数日はずっとこんな調子だ。
「とにかく、今日の昼飯はそいつだから。適当に調理して、俺んとこ持ってこれたら考えてやるよ」
「調理してたらアレクさんを見失っちゃいます!」
「それでいんだよそれで」ひらひらと手を振ると歩き出す。「んじゃあな」
「わ、待ってください……!」
アレクの行く先を確認しつつ、アイーシャは魔獣の亡骸へ駆け寄った。前脚を持ち上げてみるとずっしりと重い。少女の力では到底動かせなくて、風を頼ることにした。しかし、武器として形にしない魔法は出力が大きく低下する。生まれたのはそよ風で、ささやかな手伝いしかできなかった。
「うう〜……ごめんなさい、こんな扱いしちゃって……」
散った命に謝りながら、魔獣をじりじり引きずって進む。駆け出せるわけもなく、神様との距離は遠くなっていった。




