第13話『音と共に沈む』
「あたしは……」
数秒、宝石を見つめた水面色の瞳が閉じる。
「……ずっと付きっきりとか、無理です。あたしは世界を飛び回る商人なんだから」
自分を確かめるべく握りしめる。「ですよね、」とアイーシャが亜麻色の毛先を指に絡めた。押すか退くかを決めかねているのだろう、とアレクは弟子に思う。
「はい。なので」
マーガレットは、帽子を目深に被ると息を吐く。大きく開いた口から、深刻な顔色で──。
「"現地師匠"になります!」
……と、堂々宣言した。
「言葉……」
アレクがひと言。アイーシャが一瞬ぽかんとして、それから弾けたように笑いをこぼす。
「なるほどです!これなら浮気になりませんよねっ、アレクさん!」
「お前も乗ってんじゃねえよ……」
はしゃぐ少女の鈴の音に、ミカが密かに硬直していた。未だ嘗てなく固まった相棒の肩を、これは好機とラヴィが叩く。
「まあ、上出来なんじゃないかい」
その言葉は自分でなくマーガレットに向けられたものであると、ミカは片隅で聞いていた。
「でもでも、人に物教えたことなんかないので!手合わせくらいでお願いしますよー!」
半ばヤケなのか、一転鼻息を荒くして短刀を回すマーガレットに、「はいっ」と少女が元気よく返事する。それから、大きくて丸い琥珀色が、暗がりに似合わぬ光を称えてミカを見た。
「──……や、今は」止まった時を解かれて、少年は口ごもった。
「『花喰い』を……」
「あ、ああ」
マーガレットがぎこちなく頷く。
「皆さんで追っかけてるんでしたっけ。途中まで追っかけられてたと思うんだけどなーあたし……」
逃げてきた気がする方角を眺めた。花喰い、と呟き直すと、瞳が一転、獲物を探す鳥のようになって岩壁を見渡す。
「花といえば知ってます?ちょうどこの神殿には、ちょー高値のつく希少な花があって」
「えっ、知らないですっ」アイーシャがアレクを見た。男は表情を変えずに首を振る。微かに揺れる銀髪に、「興味ないもんね」と旧友が手のひらを上に向けた。
「つっても噂なんですけどね。白い漏斗形の花で、花びらがキラキラ光るらしいんです。そんで呼び名が『太陽の祝杯』……私もそれ目当てに来たんですけど、もしかしたらその『花喰い』も…、」
瞬間、水面が僅かな光を反射した。
「おっ?おおっ?」
その美しさを打ち壊す素っ頓狂な声をあげながら、彼女は俄に立ち上がる。
「えっ?ど、どうし──」
「おおぉーーっっ!?」
出来たばかりの弟子には目もくれず、バランスを崩し猛然と、マーガレットは走った。
「今!確かに見ましたよ!光っ!」
商人の行く先に煌めくものがあることに、アイーシャも気がついた。自分の視力ならここからでも見極められると、アイーシャはじっと目を据える。
同じく立ち止まっても良かったはずの商人は、まともに視界を正すことなく息を吐いていた。腕を真っ直ぐに伸ばして、煌めきを掴みにかかる。
「この!マーガレットちゃんの瞳から逃れられるとお──っ」
カチッ。
マーガレットの片足が、音と共に沈んだ。
「……え?」
足許を中心として、巨大な魔法陣が出現する。太古に神族が遺したであろう強力なトラップは、見る間に光を放つとぐるりと回って、その場に居るものを呑み込んだ。
*
「……あ?」
「んん…?」
神々をも眩ませる光から、しかし覚めるのも彼らは早い。二、三度の瞬きをしてから、アレクは虹彩を翠く激しく震わせた。
「……は!?」
「んー、転送魔法だね」
猫口をしてぼんやりと呟いたラヴィに、一方でアレクは声を荒らげる。
「お、おいっ!?アイーシャ!?ミカ!!」
暗がりの景色に変化は無かった。変わったのは、少年少女が消えたこと。
大声で人の名前を呼ぶことに良い気持ちはしない。反響した自分の声に何も返ってこないことが、酷く恐ろしい。
「声の届く範囲に居て、気配で分からないわけないだろう」
ラヴィが冷たく言った。
「お前なあっ、なんでそんな落ち着いてられんだよっ」
「君こそ取り乱しすぎだね。前の君はそんなんじゃ……」暗い金色をした瞳が伏せられる。「……いや、同族にはそういう所もあったかな?何にしろ、彼女に何を貰ったんだか気になるよ」
珍しく心の底を口にする白髪の彼は、睫毛を上下させて、何処か遠くを見ているようだった。
「まあ、大方察しはつくけれどね」
「あっ、あの、」
二人の空気を、マーガレットがおずおずと破った。ベレー帽に手をやりながら、それをしきりに被り直している。
「ご、ごめんなさい、すみません、あたし……っ」
先程までの威勢を地面に落としてしまったらしい。再び青ざめてしまった少女に、アレクは却って少しだけ落ち着いた。
「お前……なんつーか」
「?」
「いや……何でもねえ」混乱している時のマーガレットは小動物を思わせる。本質を突く物言いは彼女を追い詰めてしまう気がして、男は無精髭を掻いた。
「大丈夫だよ。あの子たちはそんなに弱くない」
唯一怖じずに、ラヴィが歩き出す。相変わらず当てはなく、けれど確信を持った歩みだった。
溜め息を吐いて、旧友がその背を追う。
マーガレットは踏み出す前に手許の光を確かめた。いざ手にしてみると、それは花などではなく、彼女にとっては見慣れた原石だ。
「なーんだ、これただの宝石だ……」
落胆しながらもちゃっかりと懐に仕舞いこんだ。それから一歩踏み出して、跳ねた前髪に、人間の少女とは違う風を感じて振り返る。
「誰か来る……?」




