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悪役令嬢は我がままに

主人公のライラ・ローレンは公爵令嬢として何不自由ない暮らしを送っていた。しかし、ある日、前世の記憶が突然蘇る。自分が乙女ゲーム『聖女と三騎士』の悪役令嬢、ライラ・ローレンに転生した事を知る。そして将来は断罪され処刑される運命にあることを悟る。

 ライラ・ローレンは、その日、人生最大の衝撃に見舞われた。


 麗らかな春の午後、公爵家の広大な庭園で読書に耽っていた時のことだ。突如として、激しい頭痛が私を襲った。


 視界が歪み、脳裏に走馬灯のように駆け巡る映像。それは、自分が没頭していた乙女ゲーム、『聖女と三騎士』のシナリオだった。


 そして、目の前の世界がそのゲームの世界そのものであることを私は瞬間的に悟った。


「まさか……私が、あの悪役令嬢、ライラ・ローレンだなんて!」


 絶望が、冷たい泥のように心に広がる。ゲームの中のライラはヒロインを虐げ、王子の心を弄び、最後には断罪されて処刑される運命なのだ。


(嫌だ!こんなの冗談でしょう!? 私はこんなのは望んでない!)


 震える手で本を落とし、その場にぐったりと倒れ込む。ウチの庭師や侍女たちが心配そうに駆け寄ろうとするが、私はそれを手で制した。


「大丈夫よ。少し、目眩がしただけだから」


 形ばかりの微笑みを浮かべ、彼らを下がらせる。一人になった途端、ライラは再び深く絶望の淵に沈みこんだ。

 どうすればいい? 破滅の未来を回避する方法は何かないの……?


 その時、脳裏にふと前世の自分が抱えていたある種の諦めと反骨心がよぎった。


(待てよ。どうせどんなにあがいても、この「ライラ・ローレン」というキャラクターは、ゲームのシナリオ通りに動かされる運命にある筈。だって私自身がどんなに努力しても周囲は私を『悪役令嬢』としてしか見ないのだから)


 ならいっその事、それを利用してやる。


 ライラの顔に、悪辣ともとれる笑みが浮かんだ。それは、単なる悪意ではない。絶望の果てに見出した清々しいほどの開き直りは、今私にできる最後の抵抗だった。


(どうせ破滅するなら好き勝手やってやるわよ。いやいっそ『悪役令嬢』という立場をとことん利用して、この世界で私の望むように成り上がってやる!)


 心に決意が宿った瞬間、ライラはふっと顔を上げた。先ほどまでの絶望は消え失せ、瞳には強い光が宿っている。


 その日の午後、ライラは婚約者である第一王子、ハルバードと庭園で顔を合わせた。

 ゲームのシナリオ通り、王子の視線は隣でひっそりと可憐な花を愛でている伯爵令嬢リリーナに釘付けだ。


「ライラ、ご機嫌麗しく」


 形式的な挨拶をする王子。その声にはライラへの興味がこれっぽっちも含まれていない。


 以前の自分なら、ここで王子の気を引こうと、淑やかに振る舞ったり、リリーナに嫌味の一つでも言ったりしたのだろう。だがもうそんなものはご免だ。


 ライラはにっこりと微笑むが、その目は一切笑っていなかった。


「ええ、殿下。わたくしは常に麗しゅうございますわ。だって私はあの方のように道端の雑草などに目を奪われるような真似はしませんもの」


 ライラ言葉に、周囲の侍女や護衛たちが息をのむ。リリーナは怯えたように身を竦め、ハルバード王子の顔にわずかな驚きと困惑が浮かんだ。


「ライラ、それはいくら何でも言葉が過ぎるだろう」


 王子が低い声で咎める。


「あら、わたくしは事実を述べただけですわ。殿下がそのようなつまらない女にお心を奪われるのは、殿下ご自身にとっても、この国の未来にとっても、甚だしい損失だと申し上げているのです」


 ライラはあえて挑発的に言い放つ。王子の眉間の皺が深くなる。


 だが私は気づいた。


 彼の瞳の奥に、ほんのわずかだが、これまで見たことのない好奇心のような光が宿っていることに。私の言葉が、彼の心を僅かに揺らしたのだ。


 そんな確信が私に自信をつけた。


 ◇◇◇◇◇◇


 その日の夜、公爵執務室にて。

 父である公爵、母、そして年若い弟が揃っていた。昼間の王宮での私のの振る舞いが議題に上がっていたのだ。


「ライラ、昼間の王宮での振る舞いは一体どういうことだ!公爵家の名に泥を塗るつもりか!」


 父がが怒りを露わにする。母は悲嘆に暮れた顔で私を諭そうとする。


「ライラ、あなたは公爵家の令嬢として常に品格を保たねばならないのですよ。それを忘れたわけではないでしょう」


 ライラは涼しい顔で言い放った。


「ええ、分かっておりますわ、お父様。わたくしがあのような振る舞いをしたことに不満がおありなのでしょう? 品格ですか。ならばその品格とやらがこの私をどこに連れていくというのです?このまま行けば待っているのは破滅だけです」


 はっきりととした口調に家族の顔色が変わる。ライラは彼らの反応を試すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「ですからわたくしは決めました。これからはこのライラ・ローレン『悪役令嬢』という立場をとことん利用してやることにいたしますわ」


 公爵は口を開けて呆然とし、母は言葉を失った。弟だけが、姉の変わりように、どこか興味深げな瞳を向けている。


 ライラの瞳には、これまで見たことのない確固たる決意の光が宿っていた。


「皆さま、よく覚えておいてくださいませ。わたくしはこれより自ら破滅フラグを立て、この世界で成り上がってみせますわ!さあ、悪役令嬢ライラの華麗なる幕開けですわよ!」


「お前誰に言ってるんだ…?」


「さぁ?」


 ライラは高らかに宣言した。それは自分自身への誓いだった。ゲームのシナリオに縛られる人生はもう終わりだ。これからは、彼女自身の物語を、彼女自身の意思で紡いでいくのだ。破滅を恐れず、破滅を喰らい尽くし、新たな道を切り拓くために。


「さあ、第一歩はまず、あの傲慢な令嬢から潰しましょうか」


 ライラが指差したのは豪華な茶会の招待状だった。


 主催者は伯爵令嬢のクリスティア。表向きは愛らしい淑女を装っているが裏では陰湿な嫌がらせで多くの令嬢たちを泣かせてきた人物だ。特に、少しでも自分より目立つ者を見つけては、巧妙な噂を流し、社交界から孤立させるのが得意だった。


 出る杭は打たなきゃじっとしてられない。可愛いそうな奴よ


(確かゲームではクリスティアに嵌められたヒロインのリリーナがライラに助けを求めることになっていたわね。でもそんなお膳立て、私には必要ない)


「だって私は全部知ってるから」


 ◇◇◇◇◇◇


 茶会当日。豪華絢爛な会場には、多くの令嬢たちが集まっていた。クリスティアは得意げに、高価な茶器や装飾品について語り、令嬢たちの羨望の眼差しを集めている。


 ライラはわざとらしくため息をついた。


「あらあら、クリスティア様。随分と派手な茶器ですこと。でもわざわざこんな豪華な物を皆の前で見せびらかすなんて、まるで自分がここにいる誰よりも金持ちだと言っているみたいですわ」


 周囲の視線が一斉にライラに集まる。クリスティアの顔がみるみるうちに怒りで歪んだ。


「ライラ様! わたくしが心を込めて選んだ品を、そのような言い草……!」


「おや、お気を悪くされましたかしら?でも事実でしょ。それにそのお召し物も。確かに高価なんでしょうけれど、あなた様の肌の色には全く似合っていませんわね。言い換えれば深窓の令嬢が無理やり着せられた、色鮮やかな衣装のようで見ていて痛々しいわ」


 ライラはにこやかに、しかし容赦なくクリスティアのプライドを抉る言葉を並べた。場にいた令嬢たちは、皆息を呑んで成り行きを見守っている。普段の陰湿な嫌がらせとは違い、真正面から叩きつけるようなライラの口撃に、クリスティアは完全に狼狽えていた。彼女は言葉を失い、顔を真っ赤にして震えている。


「ふふっ。やはりわたくとしては、もう少しご自身の『真の価値』を見出す努力をなさった方がよろしいかと存じますわ」


 ライラは、クリスティアの目の前まで歩み寄った。そして、彼女の耳元でそっと囁く。


「例えば……あなた様の持つ、あの繊細な色彩感覚。あれはアナタだけの武器だわ。それをあのような派手な飾りに使うのではなく、もっと別の形で表現なさればきっと周囲を惹きつけられるでしょう。アナタも本当はそう思っているんでしょう、クリスティア様?」


 クリスティアはライラの言葉にハッとした表情を浮かべた。誰も知るはずのない、彼女が隠し持っていた「絵画」への情熱と、誰よりも繊細な色彩感覚。それをライラはなぜ知っているのか?


 彼女の頭の中は疑問で埋め尽くされた。


「まさか……!」


 クリスティアの怒りの表情が、困惑と戸惑い、そして微かな期待の入り混じったものへと変わっていく。ライラは、そんな彼女を一瞥し、軽く肩を竦めた。


「まあ、アナタのような選ばれし者がわたくしの助言など聞き入れる必要はございません。ただ、腐った才能はただの害悪ですわ」


 そう言い残し、ライラは優雅に踵を返した。クリスティアはその場に立ち尽くし、ライラの言葉を反芻していた。


 ◇◇◇◇◇◇


 数日後。


 社交界では新たな噂が飛び交っていた。クリスティア伯爵令嬢が突如として絵画制作に没頭し始めたというのだ。それも、ただの趣味ではなく、彼女の描く風景画や肖像画には、他の画家には真似できないような、息を呑むほど美しい色彩と構図が用いられているという。


 最初は半信半疑だった人々も、彼女の作品を実際に目にすると、その才能に驚嘆した。彼女の作品は瞬く間に評判となり、王宮の美術品収集家や、有力な貴族たちからも絵の依頼が殺到するようになる。


 そうなればクリスティアはもはや嫌がらせなどする暇も、必要もなくなった。彼女の心は自身の才能を認められ、創造的な活動に打ち込む喜びで満たされたからだ。


 そして彼女は気づいていた。自分に「毒」を吐き、内に秘めていた才能の存在を教えてくれたのが、あの悪役令嬢ライラ・ローレンだったということに。


 ライラの狙いは成功した。クリスティアはライラの巧妙な「悪行」によって、自らの道を切り開き、結果として社交界の秩序すらも健全な方向へと導いたのだ。


 公爵邸に戻ったライラは、執事からクリスティアの活躍を聞き、満足そうに微笑んだ。


「ふふ、順調ですわね。毒とは、時として、何よりも効く薬になるものですわ」


 彼女の瞳の奥には、邪悪な輝きではなく、全てを見透かすような、計算し尽くされた知性の光が宿っていた。決して逃れる事のできない破滅フラグを回避しようとするのではなく、あえてそれに触れることで、ライラは自らの未来を、そして周囲の世界をも、思い通りに塗り替えていった。


 ◇◇◇◇◇◇


 そして一年の月日が経とうしていた。


(さて、そろそろ頃合いね。ゲームのシナリオでは断罪イベントが迫っている頃かしら)


 ライラは自室の窓から、遠くに見える王宮を眺めていた。


 ゲームのクライマックス、悪役令嬢ライラがリリーナと王子によって糾弾される「断罪イベント」が、もうすぐやってくる。しかし、彼女の顔には一片の不安もない。むしろ、どこか楽しげな笑みが浮かんでいる。


「殿下もそろそろお決めになってくださるでしょうし」


 ライラの「悪行」は、一見するとわがままな令嬢の振る舞いに見えたが、その全てが周到に計算されていた。孤立した令嬢を助け、貴族たちの隠された不正を暴き、時には王国の財政にまで影響を与えるような情報の流れを、自らの「悪評」を盾に作り出していたのだ。彼女が立てた破滅フラグは、まるで複雑なパズルを組み立てるかのように、やがて一つの大きな絵を描き出そうとしていた。


 そして、その日は来た。


 王宮の広間には、王族、高位貴族、そして学園の教師たちが集められていた。中央には、感情を押し殺したような表情のハルバード王子と、その隣で俯くヒロイン、リリーナの姿がある。


「ライラ・ローレン!貴様はこれまでの悪行の数々、そして我が婚約者であるリリーナ嬢への度重なる陰湿な嫌がらせ。それらの罪は決して許されるものではない。よってこの場で糾弾される!」


 王子の声が広間に響き渡る。それはゲーム通りの完璧な断罪イベントの始まりだった。


 しかし、ライラは怯まなかった。むしろ涼しい顔で優雅に一歩前へと進み出る。


「あら、殿下。随分と仰々しいことですわね。仰る通りわたくしが悪行を重ねてきたのは事実。しかし、それが果たしてあなた様が仰るような『罪』と呼べるものなのでしょうか?」


 ライラの言葉に、広間がざわつく。王子は眉をひそめながら叫んだ。


「何を言うか、忘れたとは言わせんぞ。貴様はクリスティア伯爵令嬢を言葉で打ちのめし、淑女の誇りを踏みにじったではないか!」


「でしたら今や王宮御用達の画家として名を馳せている彼女の作品は、一体何から生まれたというのでしょう? 私は腐りかけた才能を少しばかり刺激して差し上げたに過ぎませんわ」


 ライラは平然と言い放つ。その言葉に列席していたクリスティア伯爵令嬢が小さく頷くのが見えた。


「そ、それだけではない!あの貧しい子爵家の娘を罠にはめたことも貴様の仕業と聞くぞ!」


「ええ、その通りですわ。ですがそれは彼女が抱えていた、国の財政を蝕む不正の証拠を、貴族社会のしがらみなく表に出せたのは、わたくしがあえて悪役を演じたからこそ。殿下には、あの不正を暴く勇気など、お持ちになれなかったでしょう?」


 ライラは、次々と糾弾される「悪行」に対しその裏に隠された真意を淀みなく語っていく。今までの彼女の行動の全てが、結果として国や人々に良い影響を与えてきたことが次々と明らかになる。


 証人として呼ばれた人々は、ライラの言葉を聞き、彼女への見方を変えていく。最初は怒りや軽蔑の目を向けていた貴族たちの間に、戸惑いと、やがて感嘆の表情が広がり始めた。


 王子は計算されたライラの完璧な弁舌に徐々に言葉を失っていく。


 最後に、ライラはリリーナに目を向けた。


「そしてリリーナ様。あなた様への嫌がらせについてですが……」


 ライラは優しく微笑む。


「様々な試練を超えたアナタこそ聖女に相応しい。ここにいる誰よりも」


 リリーナはハッとした。ライラの言葉は彼女自身の内なる弱さを見透かしているようだった。リリーナは、自分が「聖女」として相応しいのか、常に不安を抱えていた。その不安を乗り越えさせるために、ライラはあえて厳しい道を彼女に与えていたのだ。


 広間は静寂に包まれた。誰もがライラ・ローレンという「悪役令嬢」の真の姿に圧倒されていた。


 王子は、ライラの言葉に、呆然と立ち尽くしていた。これまで彼女を「悪役令嬢」としてしか見ていなかった自分自身の視野の狭さに、初めて気づいたのだ。彼の心に抱いていたライラへの嫌悪感は、いつの間にか、尊敬と、そして深い愛情へと変わっていた。


「ライラ……貴様は、一体……」


 王子が絞り出すように言う。


「わたくしはただ、この世界が少しでも面白くなるように手助けをしただけ。そしてわたくし自身が、この世界で最も輝く存在となるために手を尽くしたまでですわ」


 その瞬間、広間に光が差し込んだ。我がままに生きてきたライラの言葉は、まるで魔法のように、人々の心の曇りを吹き飛ばし、真実の光を灯したのだ。


 断罪の場は、一転して、ライラへの称賛の場へと変わっていた。


 そしてライラは高らかに笑った。

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王子が予想以上にアホだった ライラさんはお見事でした
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