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第1話 隙間女

 ――とある男の家。

 本棚と壁の間の僅かな空間を、僕はそっとスマホを構えて覗き込む。

 1センチもないその隙間に、その女はいた。


 ――細長い女の顔が、隙間からこちらを見ている!


「シスター・ベル! いました! 『隙間女』です!」


「よっしゃ、下がってろ誠太! これでも食らいな!」


 スプレーを取り出して隙間に向けるその姿――彼女は修道女、シスター・ベルナデッタ。

 通称「シスター・ベル」。

「除霊剤」と書かれたスプレー缶を隙間に差し込む。プシューッと白い霧が広がった。……どこで買えるんだ、そんなの。

 隙間女は「ギィィィィッ!」と悲鳴を上げて隙間から飛び出した。

 ここで、シスター・ベルの決めセリフが入る。


「シスター・ベルの怪異撲殺チャンネル、はっじまっるよォッと!」


 シスター・ベルの景気のいい打撲音とともに、隙間女は壁まで吹っ飛んだ。

 彼女の手に持ったのは、御札がびっしり貼られた金属バットだ。

 この御札は、知り合いの巫女さんから分けてもらったものらしい。

 実体のない幽霊にも、しっかりと打撃を与えることができる。

 壁に叩きつけられた細長い体の女の霊は天井の隅に体を寄せて「キィィィエェェェ……」と奇声を発しながらシスター・ベルを睨みつけている。


 ――隙間女。都市伝説と呼ばれるモノ。家の中の隙間に挟まっている細長い女の霊。

 この時代では、害虫並みに嫌がられている怪異である。

 だからこそ、僕とシスター・ベルがその退治のために呼ばれるわけで……。


「ヘイヘイヘイ、降りてこいや!」


 シスター・ベルは、修道女らしからぬ挑発で隙間女を迎え撃つ姿勢を崩さず、女怪のほうも天井の隅で威嚇をしながら、隙を見せればいつでも飛びかかってきそうだ。僕はそんな一触即発の光景をスマホで撮影している。


 ――シスター・ベルの怪異撲殺チャンネル。僕とシスター・ベルの2人で運営している動画チャンネルの名前だ。

 もともと、シスター・ベルが「修道院のために寄付金を集めたい」と始めたもので、僕は巻き込まれた形なのだが、それなりに楽しくやっている。いや、怪異をバットでボコボコに叩きのめすという、かなり刺激の強いコンテンツではあるのだが、それがなぜか動画サイトに削除されたり通報されることもなく続いているのは奇跡と言えよう。シスター・ベルに言わせれば「神の御加護ってやつだな」と皮肉な笑いを浮かべるのみであるが。


 ふと、隙間女がこちらを見ている気がした。スマホの画面に怪異の視線が光る。獣のように眉間にシワを寄せた女が飛びかかってくる――シスター・ベルは「誠太! ブレんなよ!」と怒鳴る。僕は微動だにしない。僕がうかつに動けば、カメラがブレる。それはすなわち、シスター・ベルにどつかれるということだ。意地でも動かない。それに。


「オラッ! サヨナラホームランだ!」


 ……それに、シスター・ベルがきっちり怪異をぶっ飛ばしてくれるという信頼がある。だから、僕は動く必要がない。

 修道女に打ち返された女怪はピクピクと痙攣している。可哀想だが、他人の家に勝手に侵入した己を呪ってほしい。アーメン。

 そして、瀕死の隙間女を徹底的に殴り殺したシスター・ベルが「チャンネル登録しねえとブッ殺す!」という物騒な決まり文句を言うのを最後に、撮影を終えた。


「……よし。撮れ高は問題ないと思います」


「よっしゃ。あとは報酬をもらってオサラバだな」


 ニヤリと笑うシスターだが、僕はお金には期待していない。なぜなら。


「あの……申し上げにくいのですが、報酬から修繕費を差し引いた金額をお渡しします」


 依頼人は胃の辺りを苦しげに押さえている。わかる。僕もよく胃炎になる。

 周りを見渡せば、バットで殴られて穴だらけになった壁。

 シスター・ベルが夢中になって怪異を追いかけ回した結果、ついた傷である。


「ああ? 人がせっかく怪異を退治してやったってのによぉ……」


「うち、賃貸なんですよ……。この状態だと大家さんに怒られてしまうので……」


 依頼人の泣きそうな顔を見れば、さすがのシスター・ベルも「チッ」と舌打ちをして引き下がるしかない。


「わぁったよ。で? 修繕費ってのはいくらだ?」


「ええと……見積もりを取ってみないとなんとも言えないのですが……壁穴の修理と壁紙の貼り替えで7万はかかるかと……」


 その言葉で、シスターはぴくっと眉を吊り上げる。

 苛立ちを隠せない声色で、「おい、誠太」と僕に声をかけた。


「今回の依頼料、いくらだって?」


「5万円ですね」


「5万円から7万円差し引いたらマイナスじゃねえか」


 シスター・ベルがにらみつけると、妙な迫力がある。迷える子羊……依頼人は「ひぃ!」と悲鳴を上げた。

 こうなった彼女を抑えるのは僕の損な役回りだ。


「まあまあ、シスター……。これは僕たちが悪いですよ。依頼人の方に怒られないだけマシだと思います」


 僕は依頼人にペコペコと頭を下げて、シスターと一緒にアパートをあとにした。


「それにしても、困りましたね」


「だな。全然寄付金が集まらねえ」


 何しろ、毎回報酬よりも修理費や弁償代のほうがかかってしまい、プラマイゼロかマイナスになる。

 今回は依頼人の温情で……というか臆病な依頼人がシスターにビビってしまい、マイナス分は帳消しにしてもらった。

 差し引きゼロになっても、動画配信の広告料はいくらか入ってくるが、修道院への寄付にしては雀の涙である。


「ひとまず、武器を変えたほうがいいのでは? バットじゃなくて、もっと安全な……」


「はぁ? じゃあなにか、銃火器でも持つか?」


 この修道女にそんな物騒なものを持たせたら、余計に被害が拡大するだけだな。


「それにな、安全な武器なんか意味がねえ。怪異はこっちを死ぬ気……いや、殺す気で襲ってくる。たとえば、スポーツチャンバラ用の柔らかい剣を持つのは簡単だが、それで怪異が殺せるか?」


 そう言われると、僕は黙り込むしかなくなる。シスターが金属バットで怪異を殴り殺してくれるから、僕も安心して撮影に専念できるというものだ。シスターも「昔から慣れ親しんでる武器のほうが扱いやすいしな」とバットを撫でた。


「それにしても、最近は怪異も自己主張が激しくなりましたね。堂々としてる、というか」


「あの事件以来、怪異が隠れる必要もなくなったからな」


 2025年のことだ。街頭演説をしていた総理大臣を怪異が襲撃する事件があった。その怪異は捕獲され、新種の動物かと騒いでいた学者の研究により、神秘は思いがけない形であっけなく暴かれた。民俗学者の「この生物は妖怪として伝わっている怪異に似ている」という指摘を動物学者は鼻で笑ったが、その新種生物が自ら「己は数百年生きている超常のものである」と口を割った……喋ったことで学会は震撼した。

 その事件を境に、怪異はもはや人目を忍ぶことがなくなったのである。


 僕――盾島(たてじま)誠太(せいた)は、中学生から大学生になった。シスター・ベルと出会ったあの夜から4年が経過している。僕たちは相変わらず怪異を撲殺する動画を配信していた。

 ただ、変わったのは、僕たちの撮っていた動画に出てくる怪異が作り物ではなく、本物だということが世間に明らかになったこと。

 そこから、僕たちの動画はさらに注目され、微々たるものではあるが広告収入が少し増えたのである。

 僕は動画を撮影・編集することをアルバイトとし、シスターから気持ち程度ではあるがバイト代をもらって生活していた。

 それでも一人暮らしをしている僕にはありがたい収入だ。大学という人生で最も暇を持て余す時期に入って、動画撮影の仕事も捗るようになった。


「そうですね……とりあえず……」


 僕は金属バットから武器を変更することはひとまず諦めた。


「せめて、怪異退治のお仕事は、外でできるものにしたほうが良さそうですね……」


「だな。家の中にいる怪異もなるべく外に追い出してからブッ殺すか」


 帰り道、シスターはタバコに火をつけながら、ゆっくりと煙の混じった息を吐き出す。

 乱暴な人ではあるが、なんだかんだ、僕を家までしっかり送り届けてくれるところはいい人だなと思う。


 シスターの吐いた煙が、夜の闇に溶けていく。

 それは、僕たちの毎日がどこか非現実に近い証のようでもあった。


〈続く〉

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