08. 魔性の女神
ダリアとお茶をした三日後、私はようやく学園に復帰した。
「大変だったわね」
「もう体は大丈夫?」
同級生に挨拶をすれば、口々に見舞いの言葉が出てくる。皆ずっと気にしてくれていたらしい。
私はできるだけ丁寧にお礼を口にして着席する。
授業は十日も学園を休んだ割についていけた。庭に出る許可が出たのと同時に、勉強を再開したからだ。読書禁止の中で、短時間だけなら勉強だけ許可が下りたというより、勉強についていけなくなったら困ると猛抗議の末、許可をもぎ取った。
それからは毎日、お兄さまが帰宅してからつきっきりで勉強をみてくれたというのも大きい。さすが国内随一の難関である、王宮の上級官吏向け採用試験に受かっただけある。
放課後、登校初日は何の問題もなくて、ほっとしたところで、キャンディさまが現れた。
「――!!」
相変わらず可憐な雰囲気の持ち主だ。
ざわり、と教室が不穏な空気に包まれた。
彼女の周りには、幸いなことに信奉者の男子生徒は一人もいない。
「セラフィナさま、どうして私とダニエルの仲を裂こうとするのですか?」
初対面でいきなり名前を呼ぶなんて、家でどういう躾けをされてきたんだろうと疑問に思う。随分と無作法だ。
でも初めて聞いたけれど、声まで可愛い。
涙で潤む目を向けられると、自分が悪いことをしているように思えてくるから不思議だ。
「私はお二人の仲をどうこうしようとはしていないわ。食堂の件の前に、私との婚約は解消の方向で双方合意ができていたの。あの時はもう既に、テルフォート伯爵家とヘイデン男爵家が話し合いを始めていたのではないかしら。伯爵が二人の仲を反対したというなら、私ではなくご自分のお父さまに話を通した方が良いわ。政略の糸口さえみつかれば、反対されなくてよ」
「そんな……! 男爵家のウチが伯爵家との政略と同じようにできる訳ないじゃないの!」
「できないことを私のせいにしないで」
キツいことを言っている自覚はある。
でも結婚という家同士の契約の話を私に振られても困る。何の対応もできないのだから。
もしお友達だったとしても、愚痴を聞くことができるというだけ。ダニエルさまの不実を嘆いていた私を、ダリアが慰めてくれていたのと同じように。
テルフォート伯爵は癖のある方だし、息子たちに利益の無い婚姻をさせる気は全くないけれど、顔合わせの初っ端から気の合わない二人を結婚させるほど非情ではない。
少しでも利があれば結婚対象にはなる。例え伯爵家と同等のものではなかったとしても。
そしてより利が大きいからと、一度結んだ婚約を一方的に反故にするような、相手を踏みつける真似もしない。仮に別れるとしても筋を通す。吝嗇ではあるけれど。
「酷いわ! 私たちが苦しんでいるのを見て楽しんでいるのね!!」
そう言うと泣きながら走り去っていく。人の話を聞かない人だった。
あれではテルフォート伯爵が結婚を許す日は、永遠に来ないはね……。
後ろ姿を見送りながら思わず呟く。
周囲では「凄いな」「あれが魔性の……」という声が交わされていた。
「セラフィナさまに言ってもどうにもならないのに……」
「アールグレーンさん、当分は取り巻きたちに攻撃されないように、僕たちが守ろうか?」
同級生がみんな同情的だ。気遣う言葉が優しい。
「どうしてあんな感じの娘が、一年生では人気あるんだろうね?」
走り去っていく姿を見た同級生が、ポツリともらす。
私も同感だ。
庇護欲をかき立てられる雰囲気ではあるし、可愛らしい方だと思う。
でもそれだけでは説明がつかない何かがある。
彼女の残り香がに大人っぽい匂いが混じっていた。香水か練り香だと思うのだけれど、随分と背伸びをしている。
もしかしたら可愛らしさの中に垣間見える大人びたところに、子供と大人の狭間にある不完全で繊細な何かを感じるのかもしれない。
「あの娘、麝香なんか使ってるんだ」
「香水の匂いにやられたってことかな?」
私と同じように、香りに気付いた男子生徒が噂する。
「貴族の結婚なんだから、子供たちがどうこうできる筈ないのに……」
後ろ姿を見送りながら、ダリアが呟く。
「夢見がちみたいだから、きっと理解できていないんだと思うわ」
「甘やかされて育ったのね、きっと」
親友の言葉に続くように、見ていた女子生徒たちも呟いた。
確かに同級生たちの言う通り、甘やかされていたとしか思えない。あまりにも世間知らず過ぎて。
のんびりしていたら次は信奉者が来るかもしれない。
そう思ったら荷物をまとめる手が早くなる。
「お待たせ」
ダリアと二人で教室を出るときもまだ匂いを感じた。
残っていたのは柔らかだけれど官能的な香り混じって、別の甘酸っぱい香りを含んでいる。
既婚女性が身にまとう、男性を誘うための香りである麝香、甘い果実の香りに混じってネペンテスという薬の主成分を焚いた香りだった。
翌日から、私はキャンディさまの信奉者からの集中攻撃を受けることになった。
とはいえ人気の無い場所に呼び出したり、直接的な暴力を振るえば退学が待っているから、近くで聞こえるように嫌味を言う程度。
嗤ってしまうほど可愛いくらいの嫌がらせだけれど、念のために同級生たちが私を守ってくれている。女子生徒だけでは危険だからと、男子生徒も付き添ってくれるから安心できた。
食堂に行くときは割と大人数になってしまうから席を取るのが大変なのに、それでも嫌な顔一つしないで助けてくれる同級生たちに感謝の気持ちしかない。
* * *
「ダニエル様の停学なのですが……」
「一か月の停学だろう?」
夕食どきに話を振ってみた。
処分は私が怪我をした当日に出ている。もちろんだけれど、お兄さまも処分結果を知っている。
「それなのですが、倒れた私を庇ってくださったようです。もしダニエルさまがいらっしゃらなければ、私は大怪我を負っていたかもしれないと……」
「しかし原因は彼の方にある。気にしてもしょうがない」
最初は私もお兄さまと同じように思っていた。
でも近くで目撃した同級生によれば、かなり暴力が酷かったらしい。発端がダニエルさまにあると知っていても、思わず庇いたくなるほど。今の二年生の中では割と同情的な空気になっているらしい。
「そうかもしれませんけれど……お見舞いと、できれば学園に対して処分の軽減をお願いできないでしょうか」
停学になってなかったとしても、学園を休まなくてはいけないほどの怪我だったらしい。
「セラフィナが望むのなら、見舞いには行ってみるが……」
私を溺愛してくれているお兄さまは少々不満そうだったけれど、それでも見舞いに行ってくれると約束してくれた。
「早いうちに学園に行こうと思う」
見舞いから帰宅したら考え方が真逆になっていて、思わず耳を疑ってしまった。
「どういう風の吹き回しでしょう?」
「ダニエルの怪我を見たら、処分の撤回を申し入れしても良いと思ってな……」
そう言いながら眉をしかめる。
「庇ってくれなければ、セラフィナは大怪我をしただろうな。見ていて打撲の跡が痛々しかった。あれから十日以上経っても、まだ身体を動かすのが辛そうだったよ」
「それは……」
一応、ダリアを始めとする同級生たちから、ダニエルさまの武勇伝は聞いている。「最低な浮気者だと思っていたけれど、紳士的なところもあるのね」なんて評価。でも相当に痛そうだったとか、割って入った教師に連れられて医務室に行く姿はボロボロで肩を借りなくては歩けなかったとか。
「幸いにも大きな怪我にはなっていなかったのは、攻撃を背中で受けるようにしたからだろうな。それと申し訳なかったと本人から謝罪を預かってきた」
「まあ……」
今更だと思う気持ちもあるけれど、でもキャンディさまの信奉者みたいでなくて、良かったと安堵の気持ちの方が強い。
何よりそこまで最低な方に成り下がっていなかったことが嬉しかった。




