07. 婚約破棄と悪意
「セラフィナ! お前との婚約を破棄する!!」
「それは学園内の食堂でするお話でしょうか?」
昼休みの食堂、そこは多くの生徒達が集まる場所でもあるから、目立つことこの上ない。
婚約という私的な話をするには、とても不適切な場所だと思う。
そもそも当事者であっても、婚約は家同士の契約であるから、当主でなければ結ぶことも取りやめることもできないのが普通。
「うるさい、黙れ! お前が俺とキャンディの仲を引き裂こうとしているのは判ってるんだ!」
「僕たちはキャンディを虐めてるのも知ってるんだ!」
ダニエルさまの言葉に呼応するかのように、信奉者たちが口々に私を罵る。
停学からこっち、信奉者の数は多少減ったくらいだけれど、各段に大人しくなった。大半は不満そうな顔をしているものの、だからといって何か行動することもない。
とはいえ一部の男子生徒に反省の色はなく、すれ違いざまに睨みつけたり、聞こえるように悪口を言うなどの嫌がらせはある。
ダニエルさまの言葉に追従しているのは、そんな反省していない生徒だった。
「何もしていませんよ」
「嘘をつけ!」
即座にダニエルさまが否定する。
しかし本当に私は仲を引き裂こうなんてしていない。
むしろ――
「私は引き裂くことなどしていないと申しております。むしろお二人の仲が進展する可能性のあることを要求しましたが」
「嘘をつくな!」
「本当ですわ。だって婚約を白紙にするために動いたのですもの」
「――っ!!」
私の言葉に一瞬、言葉が途切れる。
「だったらなぜ父上はキャンディとの関係を切れと言うのだ!」
「それはテルフォート伯爵に聞かないと判りません。しかし嘘ではないことは、帰宅してからお父上に確認されればわかるでしょう。私たちの間が元通りにならなければ婚約は白紙に戻すように、既に契約書が書き換えられています」
「それこそ嘘だ! お前の家は借金漬けだし、俺の家はお前の領地の通行権が必要なんだからな!」
「状況が変わったのですよ。我が家の借金は年内に自力返済の目途が立ち、テルフォート家は別の街道によって流通量を増やしています。私たちの婚約は以前より遥かに利益が薄い物になったので、双方にとって無理をしてまで縁を結ぶ必要がなくなりましたの」
正確には既に借金は残っていない。それどころか返金によって手元にお金が戻りつつある状況。一括で返金されないのは、借金先の商会の資産整理が終わってないからだけ。
でもこの場で、我が家の状況を教えてあげる必要はない。
「デタラメだっ!」
「キャンディを虐めてたのを誤魔化すのか!」
外野がうるさい。
根拠なく私の言葉を否定するのは何なんだろう?
何をもってデタラメというのか、家同士の取り決めも知らないお子様の戯言に、少しイラっとくる。
「お前の言葉だと、キャンディとの交際はむしろ喜ばれることだろう! 説明が矛盾し過ぎている!」
「それはヘイデンさまとの婚姻に、テルフォート伯爵が利を見いだせないからでは? 決まった相手がいなければ誰でも良いという話ではありません。少なくとも我が家と同程度の利があることを、示すことができなかったことが原因でしょう」
可愛いだけでは意味がないと指摘した。
政略結婚の対象になるほどの価値は、キャンディさまにないのだと。
婚約者への言葉は、同時に選ばれた筈の恋人本人も切りつける。
無価値なお前が選ばれると、何故思ったのだと。
この場にキャンディさまはいないけれど、後から耳に入ったら傷つくだろう。
知ったことではないが。
「黙れっ!」
かっとなったダニエルさまが私を突き飛ばす。
思ったよりも力が強かったらしい。
――ほんの少し強く小突いただけだったのに。
と手を出した本人は思ったらしい。
怒り一色だった顔に驚愕が浮かんでいたから。
私はその場に踏みとどまることができず後ろに倒れ込んだ。同時に後頭部に強い衝撃を感じて視界がゆるやかに闇に呑まれる。
意識が遠のくその中で、足に衝撃と痛みを感じた。
蹴られたのだと気付いたけれど、動けないまま意識を手放した。
「毎日、ノートを届けてくれてありがとう」
ダリアは私が休んだ日から欠かさず授業のノートを届けてくれている。
食堂で気絶してから七日、私はずっと学園を休んでいる。本当は五日目に医者から登校しても大丈夫だと言われていたのに、お兄さまが家から出してくれなかったというよりも、部屋から出してもらえなかった。
六日目には食堂で食事を摂ることを許され、七日目の今日から短時間ならと庭に出ることを許された。
でもそれ以上の行動は許されておらず、毎日、寄り道してノートを届けてくれる親友に顔を見せる事すら許されない。
そのノートでさえ一通り目を通す程度で取り上げられる始末だ。帳簿付けなどの手伝いだけでなく、読書も禁止。
「毎日きてくれていたのに、お礼も言わずにごめんなさい」
数少ない使用人に止められてしまって、ノートを届けてくれても直接顔を合わすことが叶わなかった。借金に喘ぎ無給でも屋敷に残ってくれた、貴重な彼らの言葉を振り切れるはずもなく……。
「セラフィナのお兄さまは過保護ね」
「お兄さまだけでなく使用人一同も……」
少し困ったように笑うと、ダリアは仕方がないわねと笑い返した。
「これ以上、心配をかけさせたくないから大人しくしているけれど、動かないからお腹が空かないし、よく眠れないの。だというのに体調が戻ってないからだって言われて。困ってしまうわ……」
思わず溜息が出る。
大切にされている自覚はあるけれど、やりすぎは良くない。
「エリオットさまはお兄さまというより、お父さまの代わりだもの。責任を感じているのよ」
「そうなのかもしれないわ。お兄さまは学園に入る前から自分がしっかりしなきゃって、全部自分で背負い込んでいたもの」
自分の母親に毅然とした態度を取ることが無かったお父さまや、夫を見限って家を出たお母さまに代わって、お兄さまが当主として立たなければいけない状況だった。正確には当主代理だけれど、既に実権を握って十年を超えている。
そういう状況だから、私自身もしっかりして迷惑をかけないようにと、ダニエルさまのことも我慢の限界まで言わなかった。最後はお兄さまに頼って婚約を解消する道筋を立ててもらったけれど……。
「テルフォートさまは一か月の停学になったわよ」
休んでいる間の学園のことを聞くのは初めてだった。
「退学にはならなかったのね」
学園に入学してからのダニエルさまはひどい態度ばかりで、とっくに婚約者としての愛情は無くなっているけれど、幼馴染としての情はまだ残っている。
「ええ、突き飛ばしたのはちょっと行きすぎだったけれど。でも本人は少し小突いただけのつもりだったって。すぐ近くで見ていたけれど、確かにセラフィナが倒れたときはびっくりした顔をしていた。その後にあなたに暴力を振るった生徒は退学処分になったわ」
遠のく意識の中で蹴られたと思ったのは本当にあったことだったらしい。
「ダニエルさまとの違いは何だったのかしら?」
「テルフォートさまはかっとなってつい手を出したものの、暴力を振るう気はなかったみたいよ。それに二人の諍いに他人を巻き込ませる気もなかったの。でも蹴った方は明確に暴力を振るうことを目的にしていたわ。婚約者に切られた相手なら、何をしても許されるって本気で思っていたみたい。近くにいた男子生徒数人も同様だったわ。でもテルフォートさまはセラフィナへの暴力を阻止しようと行動したの。例え腹を立てている相手とはいえ、女子生徒に手を挙げるのは間違っていると思ったみたいだから……。あんなことしていても性根は腐りきってなかったってことね」
「でもダニエルさまが男子生徒に付き添ってもらったんでしょう?」
「いいえ、話を聞きつけて勝手についてきたみたい。立ち位置から、全員が連れ立っているように見えたけれど、テルフォートさまは頼る気もなかったらしいわ」
「……そうだったのね」
ほっとした。
自分の記憶の中にいるダニエルさまが、完全に消えて無くなった訳ではないのが嬉しい。
暴力を振るった場合の処分は最低停学一か月から。相手が大怪我したり休学が必要だったり、悪質だった場合はもっと長期になるか退学処分が待っている。だから妥当な処分なのだけれど、その後の行動を考慮して、もう少し処分が少なくても良かったのではと思う程度に、評価する心の余裕も出てきた。
「退学になったのは何人くらいいたのかしら?」
「五人よ。全員が一年生で、侯爵家の子が二人と伯爵家、子爵家、男爵家の子がそれぞれ一人。実際に手を出したのは二人だけど、残りも手を出す予定だったとして同罪になったの。詳しくはお兄さまにお伺いした方が良いと思うわ」
「高位貴族が絡んでいるのね……」
爵位を聞いて少し憂鬱になる。
「だから何? 流石に集団で女子生徒一人を襲うような相手なのだもの。アールグレーン伯爵家に圧力をかけてくるのは愚策だと思うわ」
「……だといいのだけれど」
お兄さまの足手まといになるのだけは絶対に避けないと。
「大丈夫よ、元から信奉者の男子生徒たちは、周囲から冷ややかに見られていたらしいもの。女神に堕ちる前から素行が悪くて周囲から冷ややかな目でみられていたのだとか。今回で完全に見限られただけよ。セラフィナのことは被害者の一人として同情的な目で見られているの。学園に復帰しても今までと変わらないと思うわ」
「そうだったら嬉しい」
親友の言葉に少しだけ安堵したところで、長居をしては疲れさせてしまうからとダリアは帰っていった。
その日、帰宅したお兄さまに加害生徒の実家から圧力がかかっているか聞いたところ、確かにあったと返ってきた。
とはいえ圧倒的にあちらの分が悪いからなのか、あんまり大騒ぎしないようにと釘をさしてくる程度で、泣き寝入りしろとは言わなかったのだとか。それと適当な和解金で手打ちにしてくれと言われたと。
心配が杞憂だったと知って、本当に良かったと思う。




