05. 借金問題の解決
お兄さまから次の休日に来客があると伝えられたのは、五日前のこと。
財務局にお勤めの方ということで、我が家の帳簿を確認して我が家の財政を改善できるかもという話だ。
先日、学園の問題をお兄さまに丸投げした結果、助かった女子生徒のお身内の方なのだと聞いている。
「初めまして」
玄関を入ると同時に挨拶をしたのは、まだ若い男性だった。
税務の専門家と聞いていたから、てっきりお父さまくらいの年ごろだと勘違いしていた。
だけど現れたのはお兄さまより一、二歳年上といった感じの、涼し気な目元というよりやや厳しい……否、眼光鋭い方だった。
「アルヴィン・クランツと申します。財務官僚として王宮に勤めております」
クランツ家は侯爵家だ。上級官吏の職を得ているということは、跡取りではない次男や三男なのだろう。我が家みたいに財政問題を抱えているなんて理由がない限り、嫡男の就職先として選択されることはまずない。
今年の一年生にクランツ姓はいなかったから、誰かの親戚という可能性が高い。
「ようこそ。こちらが妹のセラフィナになります」
「初めまして、ようこそ我が家へ。本日はよろしくお願いいたします」
お兄さまは少々気安い態度だったから、以前からのお知り合いかもしれない。
紹介に預かった私は伯爵令嬢らしい態度で挨拶をした。
「既に帳簿は執務室の机に置いてあります。他に必要なら直ぐに用意できるように準備は終わっています」
「では早速」
クランツさまはそう言うと早々に執務室に籠った。お兄さまも一緒に。
お二人は三日間の休暇を申請している。上手くいけば借金がなくなるかもという話だから、とても気合が入っている。
そのまま昼食もお茶の時間も過ぎ、夕食の段階になってようやく部屋から出てきた。
食堂まで下りてきて食べるのは難しそうだと思って、昼食は執務室で適当に摘まめるようなものを用意して正解だった。
「お疲れさまでした。いかがでしたか?」
夕食の席で私は二人に話を向ける。
「直近、八年分を見直しましたが凄いですね。学生がつけた帳簿とは思えないほどしっかりしている」
クランツさまが少し驚いたように言う。
我が家はお父さまが頼りなさ過ぎたせいで、十年前からお兄さまが領主としての仕事の大半をこなしている。
我が家が没落した原因はお祖父さまの病気。高額な薬代がかかる上に、年齢を考えると完治は難しい。たった一年、二年の延命のために家財の全てを投げうって良いのかと考えるほどだった。
確かに家族全員がお祖父さまを大好きで……。
治るなら治って欲しいし、私の花嫁姿も見て欲しかった。
でも我が家は伯爵家、守るべき領民もいる。
それらを全て捨てて良いのかといえば否だ。
しかしお祖母さまは延命するために何でもすると言い、自分の母親に頭が上がらないお父さまは言いなりだった。
「息子や娘の学費はどうするの? 領民を見捨てるの?」
何度となくお母さまはお父さまと喧嘩になったけれど、お父さまがお祖母さまをたしなめることはついぞなかった。
お祖父さまは結局、二年頑張って亡くなり、お祖母さまは失意の中で半年後に後を追うように亡くなった。両親の間にできた溝は深く、お母さまは好きな男性を作って家を出て行ってしまった。私とお兄さまの二人に一緒についてくるか聞いたけれど、私たちの答えは否だった。
お母さまは「そう」とだけ言い残して、振り返ることもなく立ち去った。
後に残ったのは多額の借金だけ。
状況はかなり厳しかった。親族は破産する前にと集りにきたが、お父さまはオロオロするばかり。堅実な性格ではあったが押しが弱く、抵抗できなかった。
そんな危機的状況を掬ってくれたのがお母さま方のレナルド叔父さまであり、叔父さまを頼ったお兄さまだった。
以来、我が家の実権はお兄さまが握っている。最初は叔父さまに教わったことも多かったけれど、頭の良いお兄さまは学園に入学する頃には、今と同じくらい領主の仕事をこなせるようになっていた。
私もお兄さまの手伝いをずっとしている。最初は邪魔になっただけだと思うけど、いつの間にか戦力にはなっていたらしい。十歳になった頃には帳簿をつけられるくらいになっていた。
お兄さまが官吏になってから、家の仕事に割ける時間が激減した。代わりに私が領主代理の仕事の多くを代行している。
「見直した中に、何か改善できそうなことはありましたでしょうか?」
「いえ、ないですね。むしろここまでよく削減したと驚くばかりです」
その言葉になんだか嬉しくなる。
貴族らしくないと誹られそうなほど、家の内情は慎ましい。食事は品数も少なく、使用人と変わらぬものを食べている。着るものもお母さまが残したドレスを手直しするか、安い服地を買ってきて自分で縫う。季節の終わりかけは布が安くなるので、次のシーズンの服を作るのに助かっている。
お茶会などの誘いは、お母さまが家を出てった結果、醜聞から招待状が届かなくなくなって消滅した。
お兄さまも基本は社交の場に顔を出さない。当主代理であって当主ではないからできることだけれど。
本当は馬車を処分してしまいたいが、流石に伯爵家の体面を保つために必要だから、かなり無理して運用している。飼葉の費用も馬鹿にならない。馬丁は無給でも良いからと残ってくれた使用人の一人。頭が上がらないほど有難い人だった。
「貴族らしくないと言われるかと思っていました」
「そんなことは言いません。節制できることは素晴らしいと思います。中には生活を見直さず借金をしながら贅沢をして、破滅する人は意外と多いのですよ」
そういう話をされてしまうと確かに、という気持ちになってくる。少なくとも私たち兄妹はそんなこと考えもしなかった。なかったらないなりに、どうにかしようと足掻くほうに神経を費やしたのだから。
「足りていないのは、街道の補修と整備くらいでしょうか。しかし資金が無い上に借金がある以上、致し方ないですが。でも完済する前に追加で借金してでも整備した方が、生活は楽になると思いますよ」
「そうかもしれませんが、借金は怖いです」
「僕としてもこれ以上の借金を背負うのは難しいですね」
二人して否定してもクランツさまは機嫌を損なうことがなく「大変ですが、堅実なのは良いことだと思います」と一言返しただけだった。
その後は我が家の財務以外の雑談が話題に上り、和やかな食事時間になった。
食事の後はまた帳簿の見直しというので、私はお兄さまたちと別れて自室に戻る。
お手伝いをできればと思うものの、学園の勉強があり難しい。私はお兄さまと違って一生懸命勉強しなければ、Aクラスに居続けるのは難しいのだ。
翌日、お兄さまとクランツさまは、休暇を取っているから家に居られるけれど私は登校だ。
昨夜も遅くまで執務室に籠っていたらしいけれど、二人揃って朝食の場に現れた。どちらも少し眠そうだった。
だったら少しくらい寝坊をしても良いのにと思うけれど、使える時間は三日しかないから、頑張らないとだめらしい。
そして……帰宅するとご機嫌な二人に出迎えられた。
「喜べ、借金が無くなるぞ!」
喜色満面のお兄さまに抱き着かれた。
普段にない行動に驚いたけれど、もっと吃驚する言葉にそれどころではなかった。
「凄いわ、お兄さま!」
私も思わずぎゅっと抱き着き返す。
普段は自宅とはいえこんなはしたないことはしない。そもそもお兄さまに抱き着くなんて何年ぶりになるか……。
「ところでどうやって借金がなくなるのでしょうか?」
ひとしきり二人で喜んだあと落ち着いてみると、理由を聞いていなかった。
「お祖父さまの薬だよ。不当に吊り上げた価格だったらしくてね。長年付き合いのある商会だったし気付かなかったよ」
「あのときは病が蔓延していて、ちょっとした危機的状況だったから冷静に判断できなかったのでしょう。実際、庶民が服用する薬より貴族の方が品質が良く、高価だったのは事実です」
クランツさまがわかりやすく解説してくれる。
私は授業を受ける生徒のように話を聞いた。
「アールグレーン家への請求は不当なほど高額でした。薬価は国の調整が入りますからね。多少は経費や仕入れで前後しますが上限は決まっています。本来の価格は支払ったものの半額以下です。不当に値を釣り上げるのは犯罪です。請求書に現会頭の署名がありますから、言い逃れできませんね。正規価格との差分は返金されるため、借金返済どころか返金が発生しますよ。ついでに利子も取れる可能性がありますね」
厳しい眦はやや柔らかい。
そしてキラリと目を輝かせた。
「税務局としては脱税の摘発で、手柄を立てられそうな案件が転がり込んできたという感じですね」
「……薬の価格なんて気づかなかったわ」
「信用していたからな……」
貴族は体面を気にするから、わざわざ薬の値段を聞いて回ったりはしない。お付き合いがある商会の言い値で買うのが当たり前だった。買い物も基本は屋敷に商人を呼び寄せて行う。支払いは月末締めで一括。使用人が手続きを取る。貴族の中には、一生の間に貨幣を見ない人もいるくらい。
だからなのか経済に疎く、相場なんて言葉を知らない人も多いのではなかろうか。
貴族の習性を利用した悪質な商売だった。騙される方も隙があり過ぎて、反省すべき点は大いにあるけれど。
「でもよく特定の薬の値段を知っていらっしゃいましたのね」
「ある程度の価格は国が決めていますからね。よほど特殊な薬以外、その範囲内に収まりますから、値段も大雑把には把握できます。そして使われた薬は、つい最近、仕事で見たことがあって偶然にも値段を覚えていたのです。ですから一度、職場に戻って正確な価格帯を確認してきました」
財務の仕事で薬の値段を知っているのは何故かと思ったけれど、徴税にも関わってくるから知っていてもおかしくないと思い直す。
「この件はひとまず、私に預けてもらえないでしょうか」
クランツさまは目を輝かせながらお兄さまに確認を取る。
その瞳は獲物を見つけた猟犬のようだった。
「もちろん、すべてお任せします」
お兄さまもまた、キラキラした目をしながら頷いている。
有能な二人に任せておけば上手く行くと、頼もしく思える笑みだった。




