23. ボートン家の破滅
アールグレーン伯爵家の分家ではなく、平民の数代続く代官家の話がメインです。
普段通りの時間に目覚めた。
夜半に目を覚ましたから、今朝は寝坊するかと思ったのだけれど、人というのは思った以上に習慣で動く生き物なのかもしれない。
いつも通りに身支度を整えて食堂に向かい、そして食事を摂る。
お父さまは少し食傷気味だけれど、ほかは皆変わらない様子だった。でも食事を終えた後も誰も席を立たない。
全員が食後のお茶を飲み終わったころ、昨夜の報告が始まった。
「侵入者は三人。一人目は執務室に火を放つ目的での侵入。二人目はエリオットさま殺害目的、三人目はセラフィナさまの身を汚す目的でした」
「そんな……」
呟いたのはお父さまだった。
真っ青な顔で、もし立っていたなら倒れていたかもしれない。少し手が震えていた。
証拠隠滅のために火を放つところまでは、許容の範囲だったのかもしれないけれど、まさか息子や娘が標的になるとは思っていなかったのかもしれないし、血を分けた弟や叔父がそこまで残忍な凶行に走ると思っていなかったのかもしれない。
「火付けはトム・ボートン、代官の息子ですね。不正の証拠を隠滅する目的でした」
領地管理の手伝いをしている家の息子だ。何代か前の当主の頃から、代々我が家に仕えていて管理人の中では最古参。
「次にエリオットさまを害そうとしたのがブレナン・アールグレーン。セラフィナさまを害そうとしたのがカイル・アールグレーンになります。それぞれ前伯爵閣下の弟の息子と、従兄弟の息子になります」
続柄の説明はラム侯爵とクランツ侯爵のため。
私から見るとブレナンは従兄弟、カイルは再従兄弟になる。
ほとんどお会いしたことがないとはいえ、親戚だから名前と続柄は把握している。顔は憶えていなかったけれど。
殺害を目論んだのは従兄弟のブレナンは確か長男でお兄さまより年下。下に妹が二人。父親であるダン叔父さまは次男で、王都に住むバークス子爵は三男で末っ子だ。
お父さまの弟の長男だから、お兄さまを害せば継承順位が上がる。既に爵位は私が継いでいるけれど、兄がいなければ強気にでられないだろうと踏んだらしい。私を排するか嫁にするかは、私がどれだけ従順であるかで決めるとか、一体何様だろうと思う。
私を襲おうとしたのは祖父の五人兄弟の末っ子に当たる大叔父さまの孫。お祖父さまが伯爵家を継ぎ、次男、三男は娘しかいない家に婿入りし、四男と五男が家に残った。チェスター叔父さまは五男の息子になり、お父さまにとって従兄弟に当たる。
「ダンやチェスターはご存じなのか……?」
ダンは叔父さまの名前でブレナンの父親、チェスターは大叔父様でカイルの祖父に当たる。二人とも領地管理の職に就いて各家の家長であり、昨日の親族会議の参加者だ。大叔父様たちは既に老齢の域に差し掛かっている。
だけれど二人とも矍鑠していて息子世代と共に、アールグレーン伯爵家の領地経営に口を出していた。
「むしろ父親や祖父にけしかけられたようです」
少し震えの混じる声でお父さまが尋ねた。嘘であってほしいと思っていたのだろう。若気の至りの末の暴走だったと。
だけれど希望は打ち砕かれ、既に座っているのも辛そうなほど憔悴しているのが見て取れた。
近しい親族として信頼していた相手に手酷い裏切りを受けたのだから、仕方がないのかもしれない。本当ならここで寄り添ってあげたい所ではあるけれど、そんな時間はないので、使用人に任せるしかない。
夜、押し入ってきた家には尋問が終わった直後に人をやって家人全員を拘束し、屋敷も封鎖済である。
それ以外の家も念のために執務室を閉鎖し、屋敷の出入りを制限してある。だけれどこちらは朝、陽が昇ってからなのは、今のところ何の罪状もないから。
「そうですか……。では食事も終わりましたし、行きましょうか」
既に全員が席を立てる状態だし、ほかに今、この屋敷でやり残したことはない。
「お父さまは少し休んでくださいませ」
身じろぎ一つせずに、頭を押さえたお父さまを置いていくのは後ろ髪引かれるけれど、ご一緒できる余裕はない。
「もし薬があれば飲んでいただいて」
近くで片づけをしていたメイドに声をかける。
少し眠れば気持ちが落ち着くかもしれない。
一軒目はボートン家の捜索。
一番、領地管理に精通している家だからこそ、不正にもっとも関係している、もっと言えば主犯ではないかと思っている。
息子が屋敷に火を点けようとしたと知って、屋敷の中は葬儀の直前かというほど空気が重かった。未遂とはいえ火付けを領主が重く受け止めれば、縛り首もあり得るのだから、あながち間違ってはいない。
ちらりとボートンの家族を一瞥した後、アルヴィンさまと一緒に執務室に入る。お兄さまは家族への聞き取りなどの担当だ。一見人当たりの良いお兄さまは、尋問役として私たち三人で一番適任だった。
帳簿に目を通すと屋敷にあった帳簿とほぼ同じ。
「どこかに裏帳簿がありそうな感じですね」
「十年の間、バレなかったのですから、ほかの部屋に隠すような面倒な真似はしてないでしょう」
棚の中身を端から確認していく。
表の帳簿を一つの山にして、それ以外を別の山に。床に詰まれる書類が増えていくなかで、ようやく裏帳簿が見つかった。机の天板を上げるだけという、単純な作りの隠し引き出しだった。
机の上にある書類入れやインク壺などを退けるだけで何の細工もなく、拍子抜けするほどあっさりと開く。
「念のために隠したという程度の雑さだな」
見つけたアルヴィンさまの声に呆れが滲んでいた。
「裏帳簿と一緒に、他家の分の表帳簿も見つかったよ。こちらは差分けどね」
「こちらも家計の収支が見つかりました。随分と贅沢をしていますね」
ざっと見た感じ、領地に戻ってから近隣の領主としか交流しておらず、衣装代を使っていないお父さまよりも出費が嵩んでいる。屋敷の規模も使用人の数もまったく違うというのに。
「通り過ぎるときに見ましたけれど、皆さん良いお召し物でしたわ。意匠はともかく、服地は上質な絹でした」
流行の先端は王都から。街道沿いの村とはいえ、少し離れたこの村に伝わるまでに流行遅れになってしまう。
だから古臭さを感じるけれど、服地は高位貴族が普段着にしていてもおかしくないもので、本来なら平民出身の代官が着られるようなものではなかった。
話をしながら目を通していくけれど、王都に住むそれなりに裕福な家庭程度には出費が多い。屋敷の中を確認していないけれど、馬車も所有しているらしい。維持費が嵩むから、貴族か下位貴族より裕福な中上流でもない限り難しく、ボートン家程度では無理な買い物だ。
逆に貴族が参加するような社交の場に出る必要がないから、宝飾品の購入金額はドレスなどよりも控えめ。
「財産没収は確実そうだな」
金銭として残している分以外にも、家財などをすべて売り払ったところで、横領分を回収できる見込みがなさそうだった。
「もし追放するとして、身一つになるでしょうね」
着替えも路銀も何もなしが妥当。
実際には行き倒れになるから、最低限の着替えと片道分の路銀くらいは持たせることになるだろうけれど、野宿よりはマシな宿と、貧民よりはマシな服が一着だけ。
思わず大きな溜息が出てしまった。
「裏帳簿は如何でした?」
私の持つ書類を覗き込むアルヴィンさまに聞く。
「どうやら誤魔化した税の半分をボートン家が、残り半分を三つの分家が分けたみたいだな」
渡された裏帳簿にさっと目を通す。
表の帳簿との差、収入の合計、分配金の額まですべて細かく書き込まれている。ボートン家の取り分から、家宰にもお金が流れていた。
「お父さま次第ですけれど、最低でも任を解いて領地から出すしかなさそうですね……」
そう言って再びため息をついた。
「取敢えず書類はすべて屋敷に運び出しましょう。お願いしたら兵がやってくれますか?」
「仕事の範疇だと思うよ」
取敢えず二冊、昨年の裏帳簿と収支の記録を持って執務室を出た。残りは兵士に丸投げだ。
「お兄さま」
「どうだった?」
ボートン家の全員と一緒に食堂にいるお兄さまに声をかけた。
「真っ黒です。どうしょうもないくらい……」
差し出した帳簿類を見せる。
アルヴィンさまのような財務の専門家ででなくともわかるほど、はっきりとした証拠だ。
「申し開きのしようもないな」
お兄さまが冷たい目でボートン家の当主を見下ろした。
「贅沢品はすべて差し押さえる。すべてが判明するまで屋敷から出ないように。もし逃げる素振りがあれば地下牢に収監するから、そのつもりで。横領分以外は回収しない。もっともほぼ家財の全てがなくなるが」
家の中は玄関と執務室、そしてこの食堂しか見ていないけれど、随分とお金をかけているように見える。そもそも家自体が比較的新しい。多分、建ててから数年といったところ。
「止めてっ!!」
突然ボートン夫人が椅子から立ち上がり叫んだ。
後ろを振り返ると、長持ちを持った兵士が階段を上るのが、開いた階段から見えていた。
「お母さまからいただいたものだってあるのよ!」
「横領した金を耳を揃えて今すぐ返せるのなら考慮しよう」
「できるわけないじゃないっ!!」
「だったら諦めることだ」
兵士に肩を掴まれて無理矢理座らされる夫人を、お兄さまが見下ろした。
贅沢をむさぼりながらも、それなりに蓄財に励んでいたとはいえ、当然一括で返せるような額ではなかった。買ったものを売り飛ばしても、元の値段にはなり得ない。この屋敷でさえ、すべてが終わってから売り出される筈だ。
もし返済が分割だったとしても、簡単に返せるものではない。親戚からお金をかき集められたとしても無理だろう。
「夫妻の服もすべて差し押さえるから、使用人のお仕着せを用意するように言ってくるよ」
使用人は台所に集めているらしい。
夫妻は落ち込むかと思っていたけれど、今、着ているものでさえ押収されると知って再び喚き始めた。
すごく煩い。
「私たちも出よう」
「ええ……」
怒声を背中に受けながら食堂を出ると、二人で屋敷の中を見て回る。
貴族の屋敷と比べると小さいとはいえ、それなりに作りは豪華で、中にある調度の類も一級品とはいかないものの、それなりに良い品ばかり。
夫婦の寝室に顔を出すと、兵士が中身を少し見せてくれる。
宝石箱にはぎっしりと耳飾りや指輪が収められていた。どれも小ぶりとはいえ使っている石は上質で高そう。お母さまの宝石箱に入っていてもおかしくない品質だった。ボートン夫人にとっては一張羅に合わせるもので、お母さまには普段遣いという違いはあっても。
夫の方もカフスは金や銀に宝石をあしらった高級品だった。お父さまの持ち物よりは安物とはいえ、十分に高価で平民の間ではさぞや浮いていただろう。
あまり長居をしては作業の邪魔になるからと、それだけ見て屋敷の外に出る。
厩舎には馬が四頭。ただならぬ屋敷の様子に少し緊張気味らしい。馬丁の宥める声が聞こえた。
「馬は馬車と馬丁ごと我が家に移動かしら?」
「それが一番良いだろうね」
手入れのされた庭には季節の花が咲き乱れている。
貴族の別荘と言っても通用しそうな感じ。
「次の家はどうなっているのかしらね」
一軒目でこれなのだから、二軒目はどうなっているのか見るのが怖い。
「我が家の分家で、伯爵家の贅沢を知っている家だもの。もっと散財していそうだわ」
「想像通りだと思うよ」
アルヴィンさまの言葉に溜息をつく。
今日はあと何回、溜息をつくだろうと思いながら。
昨日は更新できずすみません。




