22. 破滅の序曲
昼食後はお父さまも交えて、全員がのんびりと居間で過ごす。
そして晩餐の後、お兄さまとアルヴィンさまの三人で執務室に籠った。午前中に見つけていた不正の証拠をまとめるために。
夜、短時間だけにしたのは油断を誘うため。
伯爵家の内情を把握するために、使用人を送り込んでいるとは思わないけれど、縁故で雇われている人たちは、命令されれば聞かない訳にはいかない。大きく領地の在り方が変わろうとしている今、大叔父さまたちが何も言い含めずに帰宅したとは思えなかったのだ。
十二年前、お祖父さまが高名な医者に掛かるため、居を王都に移してから今日まで、好き勝手していた人たちだから。
お祖父さまが倒れたその年は、領地に問題が発生したとして税収が一割減った。翌年は不作だったとして更に一割。その後は二割減ったまま十年の間税収が変化していない。おおよその実績と比較すると、着服していたのは不作の年で一割、豊作の年で三割から五割を中抜きしている。
「五割の中抜きでも通ったのなら、税収を取りまとめて領主に報告する担当者が見逃していたってことよね?」
「それが家宰か……」
「領地全体で同じような税収額が続いてるわ」
管理に携わっていた責任者全員が共犯……。
首謀者は――。
「一体誰?」
十年もの間、横領を許していたのは領主の怠惰。
「許さない。絶対にすべて暴き出して見せるわ」
ザラリとした感情が肌を撫でた。
実権をアールグレーン伯爵家の正当な当主に取り戻すために闘ってやる。
決意を新たに、私たちは執務室を後にした。
夜半――。
「☆◆△〇!!」
絶叫に近い大声で跳び起きた。続いて激しい言い争いをするような声が延々と続く。
「何?」
「釣れたみたいですね」
女性の傭兵が、部屋の中で護衛として一緒にいてくれた。
夜にしかけてくる可能性が高いからという理由で。
そして仕掛けてくるなら今夜だろう、とも。
予想通りの展開だった。
私とお兄さまは安全のために部屋を移動済だ。
元々は私たちは二階、アルヴィンさまや侯爵たちは三階。代わりに寝台で横になっているのは取り押さえるための傭兵たち。
就寝のために灯りを消したと見せかけて、暗がりの中で私はアルヴィンさまの部屋に。アルヴィンさまはクランツ侯爵と、お兄さまはラム侯爵と相部屋で一晩明かす予定。
少しの間、取っ組み合うような大きな音と怒声が続く。
「使用人まで全員起きそうね」
いつまで続くのだろうと思いながら、階下の音に注意を払う。
「適当に騒ぎを大きくしたら制圧します」
「大きく……?」
人を起こすのが目的で、本来は音もなく抑え込むことができたのかしら?
「押し入った現場を見なければ、陰謀だと思い込む使用人も出てくるでしょう。だからこそ現場を見せつけるのですよ」
全員が領地採用の使用人だもの。叔父さまたちの遠縁や知り合いなど縁故採用も多いだろう。
十年もの間、一度も顔を見せたことがない当主よりも、生まれたときから知っているような人たちを信頼するかもしれない。
否、そちらの方に重きを置いているだろう。
「周囲に咎人だと知らしめたいのね。後ろ暗いところがあっても仕方がないと」
「そういうことです」
顔が見えないけれど、声の雰囲気から微笑んでいるのがわかる。
まるで生徒を導く教師のようだ。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
そう言われると、部屋を移動してきたとき同様、手を引かれて階段を下りる。
私やお兄さまに割り当てられた部屋の辺りに、使用人が数人集まっていた。
声の主は床の上で、まだ怒声を上げ続けている。
「この男が誰だか知っている人は?」
軽々と床に押さえつけながら手際よく両手を拘束する。
護衛は二人組で行動している筈だけれど、素人相手では一人で十分なのかしら?
そう思いながら眺めると、使用人の奥から更に一人、床に組み伏せられている男がいた。
「彼は――」
使用人の中から一人が恐る恐るといった様子で名を告げた。「――さんが」「お嬢様の部屋で」「若様の部屋に?」など小さな囁き声がいくつも漏れる。
「騒がせて申し訳ない。こいつらは一晩、地下牢に置いておくんで」
軽々と肩に担ぎ上げた。暴れているけれど、全然問題ないみたいだ。
「場所はわかりますか? 案内しましょうか?」
「大丈夫、旦那さまから鍵を預かってますし、場所も聞いているので」
野次馬の中から男性使用人が申し出があったけれど、にこやかに断りを入れていた。
旦那さまという言い方は、私やお兄さまではなくお父さまの意志が介在してると思わせるのに十分だった。
事実、父と子の間にわだかまりはなく、むしろ関係は良好だ。
けれど使用人たちの目から不仲だと思わせるものだった。
関係良好だと使用人たちが理解すれば、これから色々とやりやすくなる。
領主館で働く人たちを総入れ替えするのは大した手間ではないけれど、彼らは同時に領民でもある。今後を考えれば良好な関係を築くのに越したことはないのだ。
「もう寝ないと! 明日に響くぞ」
勤続年数が長そうな男性使用人が、ほかの使用人たちに声をかける。
既に制圧済の賊など、身内ならともかく、ただの見知った相手であれば後回しされる。一番重要なのは、明日の勤めである。寝不足になった結果、勤めが疎かになるのは許されないのだから。
足元に気を配りながら、使用人たちが屋根裏のそれぞれの部屋に戻っていった。
「終わったみたいだけれど、コトの起きた部屋で寝るのは嫌だわ」
できればこのまま三階の客間で寝たい。でも逆を言えばほかの人たちを相部屋で一晩過ごさせるということで。
「どうしたら良いかしら?」
「既に空き部屋を使用可能にしております」
襲撃後を考える余裕はなかったのに、いつの間にか用意が整っているとは。
しかも秘密裏に動かなければいけない状況下で。
部屋を準備するのは大変だったと思う。なのにこうもあっさりと言ってしまえるとは。
「手際が良いのね」
「経験の差、というものです。初めての御仁が対応できるものではありませんよ」
余裕綽々の様子に頼もしさを感じる。
「セラフィナも無事だったようだね」
「お兄さまも」
使用人の去った廊下は、私たち兄妹と護衛しか残っていない。
「お兄さまが狙われたのって……」
「間違いなく後継者を消したかったんだろうね」
「なんてことを……まったく」
溜息しか出てこない。
贅沢がしたいなら、王宮官吏にでもなったら良かったのに。
一応、末端とはいえ貴族には違いないのだから学園への入学資格はある。頑張って上級官吏になれば、領地の管理業務に従事するよりよほど高額な給与を得られる。
中級官吏であれば贅沢は難しいけれど、田舎に籠るよりは華やかな生活ができるだろう。
なのに……。
「怠惰に贅沢を享受したいなんて」
本当に迷惑な人たちだ。
しかし溜息ばかりをついてはいられない。
今夜はもう一つ、仕掛けがあったのだから。
そろそろだと思うのだけれど……。
廊下の向こうに広がる暗がりを見つめる。
小さな足音が徐々に近づいてくるのと同時に、白い影が大きくなって人型を取った。
「お父さま……」
執務室と当主家族の私室は屋敷の東翼。客間のある西翼とは反対方向だ。
そのお父さまが現れたという意味は、釣れたということだろう。
「ご無事で良かった」
「お前たちは……?」
「私は殺されかけて、セラフィナは夜這いを」
「――!! それで何もないか!」
お父さまが何事もないのを確認するように、私たち兄妹を眺め、次の瞬間、ガバリと抱きしめられた。
「無事で良かった」
「大丈夫よ、お父さま。ラム侯爵がこうなるのを予見されていたの」
「それはその……助かりました。息子と娘を守ってくださってありがとうございます」
顔を上げたお父さまの頬が、蠟燭の灯りで光る。一筋の涙が伝っている。覚えていなかったけれど、案外、涙もろかったらしい。
「よくあることですよ。本家と分家が敵対派閥に所属しているときなんかにね。お家騒動は嫌というほど経験しました」
ニヤっとした腹黒さを少し滲ませた笑みは、私たちに見せるときと同じだ。
「取敢えず寝ましょうか。お父上の部屋も、僭越ながら部下が用意しておきました。問題なく寝られますよ」
余裕を見せながら、全員を三階に誘導する。追加で必要になる部屋は二部屋ではなく三部屋になり、そしてすべての部屋が整っていた。
「部屋の外に歩哨が立ちますから、安心して眠れますよ」
本来、当主を差し置いて言うべきではないのだろうけれど、この場を仕切っているのはラム侯爵で、この人だけが荒事に慣れている。仕切ってくれなければグダグダになってしまうだけなので、すべてをお任せだ。
「朝、起きたら彼らが何故暴挙に出たのかわかりますよ。行動はそれからで十分。今は身体を休める時間です」
言い終えると率先して移動を始める。
私たちはゾロゾロと後をついていき、そして部屋に戻っていった。
「先刻まで使っていた寝台で寝るわ」
他人の使った寝台では寝にくいような気がして、続き間の侍女用の部屋に入る。念を入れて客間の寝台ではなく、続き部屋の従者や侍女用の寝台を使うように言われていたのだ。
主人用ではないとはいえ上級使用人が使うものだから、それなりに寝やすくてて良いものが使われている。
「おやすみ」
そうは言って横になったものの、眠気は完全に飛んでいる。目が冴え過ぎて仕事でもしようかなんて思ってしまうほどに。
でも起き出しては護衛も休めなくなってしまう。交代で仮眠を取ると言っていたけれど、難しくなるだろう。何より気を張らなくてはいけない仕事だから、できる限り休ませたい。
悶々としながら、頑張って寝ようと努力する。無駄だとは思っていても。
何度も寝返りをうち、溜息をつく。
眠れない……。
やっぱり無理。
起きようと思った直後、ドアがノックされた。
「セラフィナ、起きてる?」
「お兄さま……」
手にカップを二つ持って入ってくる。
「寝られないんじゃないかと思って」
寝台に腰かけると、私が上体を起こすのを待ってカップを渡された。
何種類もの花の香りがする。
一口飲むと蜂蜜の甘さが口に広がった。
リンデンやラベンダー、カモミールといった柔らかな匂いが、荒みかけた心を穏やかにしてくれる。
「私も眠れなくてね。義父上は慣れているみたいだけど、普通は人生に一度も経験しないような事だから」
「そうだと嬉しいわ。守られていて安全だとわかっていても、二度と経験したくないもの……」
襲われる危険と隣り合わせの生活なんて真っ平ごめんだ。
何度も経験したと笑っているラム侯爵は、きっとすごく強いのだろう。
「私も同じかな。義父上同様、宰相府に異動という話もあったんだけどね、断ったよ。安穏と暮らしたいとまでは言わないけど身の危険があるのは嫌だからね。忙しくても今の仕事が良いよ。やりがいはあるし、何より楽しい」
「私にもできるかしら?」
外の機会を見るのは悪くない。借金はなくなっても予定通り結婚するまでは、王宮官吏になってはどうかと言われていた。
「できるよ。セラフィナは優秀だ。結婚してもずっと続けられるんじゃないかな。夫婦二人で領主の仕事をこなせば、十分にやっていけるだろう」
「アルヴィンさまは優秀だもの」
私がいなくても、一人で両立させてしまいそうだ。
「セラフィナも十分すぎるほど優秀だけどね。学園の成績を維持しながら、領主代理を見事にこなせている」
「お兄さまは首席だったけれど……。でもそう言ってくれると嬉しい」
「事実だよ」
お兄さまが大丈夫と言うと、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。
借金がなかったらお父さまと一緒に暮らせたのかしらとか、お母さまは家を出なかったのかしらと思わなくはない。
ああでもお母さまは借金以上にお父さまの押し負ける弱さを嫌っていたから出て行ったかも。
お祖父さまの病気がなかったとしても、お祖母さまはバークス子爵を溺愛していたから、過分なお小遣いを上げ過ぎて、やっぱり我が家の家計は打撃を受けたかもしれない。
きっとお祖母さまとお母さまが大喧嘩して、お母さまは出て行っってしまうのね。
埒もないことを考えていたら、いつの間にかうつらうつらし始める。
意識が沈む寸前、お兄さまの「おやすみ」が聞こえたような気がした。




