21. 父と子
「お父さま、不自由をかけさせて申し訳ございません」
不正に関わっていないのに、家宰と同じように閉じ込めているのは申し訳なかった。杜撰過ぎる領地経営が原因の不正だから、お父さまに責任がないかと言われれば「ある」としか言いようがないのだけれど。
今回はお兄さまと私の二人、それとドアにほど近い場所に控える護衛が一人だけ。身内だけの気安さか少し砕けた態度だった。
「それで、どうだった……」
縋るような目で見るのは、全幅の信頼を寄せている家宰の進退が原因。
「残念ながら、思っていた以上の額を横領していました」
「そうか……」
立ち上がろうと浮かせた腰を再び下ろす。
「庭付の屋敷と、荘園の権利証が出てきました。土地からの収益を運用したものも。放逐だけでは済ませられません」
言葉の裏には憲兵に引き渡し、相応の処罰を受けさせるという意味が含まれる。
横領していた期間と規模を考えると、死罪も見えてくる。
「そうか……」
再びの言葉。
「これだけのお金があったなら、疾うに借金を完済できていたでしょう。私やお兄さまの苦労は無用のものだったみたいですね」
きっと使用人のほとんどを解雇しなくて済んだ。転職などの理由で辞めていった人員の分を補充しない、といった形で自然と減るに任せる程度で済んだと思う。そうやって使用人を半数以下でやりくりしたり、食事の質を落としたり高級食材を使わないなど、無理のない範囲でどうにかなった筈だ。
「済まないな……。苦労をかけさせて」
力ない謝罪はきっと本心。
私たち兄妹が、自分の想像以上に厳しい生活を送っていたことに良心の呵責を覚えたみたいで、昨日の話し合いの中、一人辛そうに顔を歪めた。
「取敢えず権利書の類は没収いたします。具体的な購入費用はこれから調べますけれど、まず間違いなく給金で手を出せるようなものではありません。ですから我が家の財産に加わるかと」
「畜生ッ!!」
それまで大人しかった家宰が暴れる。
しかし一瞬で制圧され、後ろ手に縛られた。
「彼を地下牢に……」
「了解しました」
鍵を渡しながら指示を出す。
護衛の人たちには領地に着く前に屋敷の間取りを教えている。私の記憶は幼過ぎて曖昧だったけれど、お兄さまは完璧に覚えていた。
だから何処と場所を指定すれば、迷わず辿り着けるほど屋敷内を把握済み。
喚く家宰に猿轡を噛ました上で担ぎ上げ護衛たちが退出していった。
「お父さま、横領しているのは家宰だけではないかと思います」
「間違いないのか……?」
私の言葉に驚愕の色を浮かべる。
それはそうだろう。自身の弟と叔父たちというだけでなく、十年もの間、ずっと領地を守ってくれていたと思った人たちが、実はただの盗人だったのだから。
「ええ、先ほど話していましたでしょう? 豊作でも不作でも関係なく税収が同じだったと。執務室の書類を見る限り、その件は黙認していただけで家宰は関わっていませんね。上がってきた税を掠め盗っていただけなので」
「誰が……」
「金額的に一人ではないでしょう。バレずに横領できたことを考えると、少なくとも半数は横領に手を染めていたかと」
何の半数とは言わずともわかっただろう。流石にあなたの身内です、とは口に出せなかった。
「そんなに……なのか」
「自分さえ良ければ、という方は珍しくないと、王都で学びました」
「本当に、何も見えてなかったんだな……」
がくりと頭を垂れる。
「お父さまは善良ですから、悪意を持つことがわからないのでしょう。だから気付きもしなかった」
「……」
「ですが――」
私は言葉を切り、小さく息を吸う。
「お父さまのそういうところが、娘として好きです。領主としては駄目だと思いますけれど。でも変わらないでいてくれたことを嬉しく思うのです」
「……!」
ガバリ、と顔を上げる。
信じられないと顔に書いてあったけれど、でも私がお父さまを好きなのは変わらない。ちょっと、いいえすごく恨んでもいるけれど、反面仕方がないとも思ってもいる。
「私も父上が好きですよ。少しどころでなく呆れていますが。だからこれからも家族でいましょう」
「ありがとう、こんな父を好きでいてくれて」
娘や息子と同じ色の瞳が滲み、一筋の涙となって流れた。
「ありがとう……」
再びの言葉の後も小さな嗚咽が続く。
記憶にあるより一回り小さくなった父の姿に胸が痛んだ。
少し間を置いてお茶を差し出す。既に冷えていて美味しくはないだろう。でも使用人を呼んで新たな茶を用意させるよりも、室内に人を出入りさせたくはない。
温くなったお茶を、それでも礼とともに受け取り喉に流し込むと、ほんのちょっとだけ気持ちが落ち着いたようだった。
「お父さまにお願いがあります」
「私にできることは残っているのだろうか?」
「むしろお父さまにしかできません」
嘘でも方便でもない。適任者だからこその願いだった。
「私たちと使用人の間を取り持ってください。私たちは彼らにとって、突然乗り込んで屋敷を荒らす侵入者でしかありません。そうではないこと、敵対の意志を持って接しているのではないと言って欲しいのです。とはいえ夜、屋敷に侵入するのに手引きした者は、誰かわかり次第、追放してほしいですが」
「わかった。使用人たちはみな態度が悪かったね。絶対の存在だと思っていた相手を、容赦なく殴りつけた横柄な相手だとも思われているからだろう」
確かに屋敷の中で自分が一番の適任者だと言って、使用人たちと話をしようと確約してくれる。
時間をかければ信頼関係は築けるとは思っている。
でも努力しなくても間を取り持つ人がいれば手っ取り早い。やることが山積しているのに、無駄に労力を費やしたくなかった。
お父さまはようやく、父親としてできることを得て微笑んだ。
そして「しかし――」と話しを続ける。
「屋敷に火を放とうとしたり、人殺しの手伝いをしたのに、追放だけで良いのかい?」
「あまり厳し過ぎると民心が離れますから……。それに縁故採用なのだから、強要されたら断り切れないでしょう?」
分家や長年、領地経営の一端を担っていた家からの指示であれば、一介の村人が断るのは難しい。
「だから家には置けなくても、それ以上の罰を望んでは駄目だと思うの。それとお父さま、しばらくは屋敷から出ない方が良いかもしれません。叔父さまや大叔父さまからの追及が激しくなると思います。できれば今日だけは、私室から出るのは必要最低限で」
ここからはお父さまを守るための話し合いだ。
自分たちのためなら兄や甥に当たる人を犠牲にしても、きっと何も思わないだろう人たちから守るのが、娘として今できる最大のこと。
「一人では部屋から出ないでください。もし叔父さまたちが来ても、攻められ神経を削られるだけ。だったら合わない方がよろしいでしょう。半月ほどで全て終わらせます。ですから……」
最悪は捨て駒として利用されるのがオチだ。
一応、元当主だから、使途不明金の原因がお父さまだったとしても罪に問われない。自分のお金を自分勝手に使っても罪にはならないから。
「護衛をつけます。何人でも必要な数だけ。訪問者がひっきりなしにきて落ち着かないとおっしゃるなら、客間でもほかの部屋でも好きなところにお移りいただいて構いません。もちろんこの部屋で生活なさるのも、です。お父さまの屋敷ですから。だけれどできる限り守りやすい場所にいてください。私たちが望むのはそれだけです」
「ありがとう、できるだけ迷惑にならないように過ごすよ」
「迷惑だなんて……。ただこれ以上、お父さまが傷ついてほしくないだけです」
「うん、わかっているよ。私の子供たちが優しいのは」
お父さまは想像以上に有言実行の人だったらしい。
その日の昼食から、食堂で普通に食事を摂れた。使用人たちとの間にまだ溝が残っていて、少々ぎこちなくなある。これから少しずつ歩み寄っていけば良いだけなので、今はこれくらいの距離感でも問題ない。
叔父さまたちは朝食を食べた後、三々五々と帰宅していた。
食堂でお父さまが改めてアルヴィンさまや侯爵方に頭を下げる。
既に父子が和解済みとあって、三人とも厳しい事は言わなかった。
「それで、これからはどう動くんだい?」
「一軒ずつ査察に回ります。それと王都に手紙を書いたので、家宰候補が来ると思います」
実は食堂で追い返された後、グランツ侯爵はのんびり遠駆けするような雰囲気で、領地を出て一番近い宿場町まで行ってもらっている。領地の不正が穏やかに片付くとはおもっていなかったけれど、だからと言って最初から大人数の護衛を引き付けて行けば、不必要に反感を買う。
そんな訳で宿の一つに護衛の大半を待機させていたのだ。
呼び寄せるのと同時に、王都への手紙も何通か出してもらっている。更に寄り道してもらい、のんびりと村を見て回りながら帰ってきてもらった。
「村はどうでした?」
「長閑で良い所だったよ。でもパン焼き窯が壊れている村もあったし、道の整備も良くないね」
「そういったものを全て後回しにしていましたから……」
借金返済に全振りするために、領地の整備を後回しにしてきたけれど、実は不正を早めに追及していたら、もっと早く解決したのかもしれない。
わかってはいたけれど、子供二人が後ろ盾なく乗り込んでても、難しかっただろうと思う。お父さまは自分の弟や叔父を、一緒に領地を守る人たちだと信じきっていたから。
今回、将来の外戚となる方々の力を借りて、ようやく着手できるようになっただけなのだ。




