02. 学園の女神とその取り巻き
ダニエルの家名をテルフォートに変更しました。
落ち着いて状況を見られるようになったら、周囲の様子は一変していた。
キャンディさま――ヘイデン男爵家のご令嬢で、今年度入学してきた女子生徒――がダニエルさまに近づいてから、私はずっと落ち込んでいたし、お二人の会話の中で私の事を「アレ」と呼んでいることを知った一月前からは特に落ち込んで、世界中の不幸を背負っているような気分でいた。
だけど周囲を見回せば、もっと大変な人たちが大勢いた。
キャンディさまはダニエルさま以外の、多くの男子生徒の目を一身に集め、女神の如く信奉されていた。その婚約者たちの多くも悲嘆に暮れていたり、諦めの境地に達していたりと、決して幸せな状況ではなかった。
男子生徒たちの中心にいるキャンディさま自身はダニエルさま一筋。他の男子生徒に目移りする様子はなかったものの、自分に対する好意を当たり前のものとして受け取っている。いくら適切な男女の距離だったとしても、婚約者に見向きもせず、一人の女子生徒だけを気にかけているのは、婚約者にとって好ましい状況ではないのだ。
――わたしだけではなかったのね。
悲劇のヒロインになったつもりだったわ……。
喉の奥から苦い笑みが零れる。
私はなんて自意識過剰だったのかしら。
放課後、図書館に寄ったけれど、キャンディさまとダニエルさまが場所を弁えずにいちゃいちゃしているのを目の当たりにして、早々に退室した。
一応、図書室にいる自覚はあるらしくて、二人とも静かにしている。とはいえ向かいではなく隣に座って、ぴったりと身体を密着させているのはいかがなものかしら。
二人の周囲には誰もいない。
そこそこの人数の利用者がいて、ほかのテーブルはすべて人で埋まっているのに。
それが今の二人の置かれている立場なのだと、多分、気付かないのでしょうね。
私はそっと図書室を出ると中庭を散策する。少し遅めの時間に迎えを頼んでいるから、今行っても馬車は来ていないのだ。
周囲を見なかった間に季節は移ろい、木々が赤や黄色に色づいている。散策路に落ち葉が溜まるのも、もうすぐだろう。サクサクと音を立てて落ち葉を踏みしめながらの散歩が楽しみだった。
一人だけの空間を楽しみながら戻ると、校舎の裏手に連れ込まれた女子生徒がちらりと見えた。相手は男子生徒三人で取り囲みながら怒鳴りつけている。
穏やかざる雰囲気だ。
――助けないという選択はとれないわね。
ここで見捨てたら、人として駄目だと思う。それに私は家の借金のことで幼い頃からあれこれ言われて打たれ慣れている。どうやったら相手を退散させるかの心得も充分だった。
「何をしているのかしら?」
近づきながら声をかける。
「お前には関係ない」
即答だった。
だからと言って簡単に引っ込む気はない。
「確かに関係ありませんけれど、殿方三人で令嬢を傷物にしようとしているのを、見捨てる訳にはまいりませんわ」
「俺たちはこの女に制裁を加えているだけだ、ひっこんでいろ」
「制裁? まあ、暴力事件ですか。それもか弱い女性を男性三人がかりだなんて。有体に言って屑ですわね」
見たところ、脅しに近いもので女子生徒の着衣に乱れはない。三人がかりで暴言を吐いていただけらしい。
しかし人気の無いところで令嬢一人というのは、第三者視点で充分にはしたなく見える。醜聞としては十分だった。
「もしあなたがたがご自分に正義があるというのなら、教師を交えて正々堂々とした態度で臨めばよろしいのです。人の目を気にするのは、自分達に正義がないと理解しているからなのでしょう? しかもたった一人を三人がかり。女子生徒を私刑にするのでさえ、数を頼りにするしかない弱虫の無能でもありますわね」
「黙れっ!」
「黙る代わりに教師を介入させましょうか?」
私は静かに言葉を続ける。
公になって困るのは男子生徒三人組で、私ともう一人の女子生徒ではない。
「私はどちらでも構いませんわ。どうぞお選びになって?」
相手の頭に血が上っているときは努めて冷静に。
どう転んでも選んだのは彼らだ。学外だったらこんな危険を冒すような真似はしない。
でもここは学園内で、不祥事が公になって困るのは彼らだ。もし爵位が上の相手だったとしても、数人がかりで女子生徒を恫喝したとなれば、良くて停学、最悪は退学だってあり得た。
私はこたえを急かすように、一人ずつ顔をゆっくり見る。
「……覚えていやがれ!」
そう捨て台詞を吐いて立ち去る。
「まるで破落戸ね」
呆れながら彼らの去っていくのを見送った。
「助けてくださってありがとうございます」
「何もされなくて良かったわ」
私たちは食堂でお茶をいただくことにした。放課後は、友人同士でお茶ができるように解放されているのだ。
小さく震える彼女をそのまま放置することはできなかった。
「まだ自己紹介もしていなかったわね、私はセラフィナ・アールグレーン。二年生、Aクラスにいるの」
「私はリーナ・ブラント。一年のBクラスです
アールグレーン様は優秀でいらっしゃるのですね」
下の成績のクラスに対してだけど嫌味ではない。
学園は十四歳から四年間通う。一学年四クラスあって成績順に分けられている。女子生徒でBクラスなら、それなりに良い成績だ。
私の場合、王宮に女官として出仕することを目指しているため、勉強を頑張って成績を維持しているけれど、そうでなければCクラス辺りでのんびりしていた気がする。
でも今の状況では、出仕するためにダニエルさまとの婚約をなんとかしないといけない。以前の彼は私を応援してくれていたけれど、今は瑕疵を見つけて攻撃材料にするだろうから。王宮官吏を始め、女性が仕事を持つのは珍しくない。だけど貴族女性で仕事をするのは少数派だから。妻が家の外で働くのを良しとしない殿方は、今の時代でも一定数いるのだ。
テルフォート伯爵家からは、今のところ支度金を始めとする資金援助を一切受け取っていないから、正直言ってお互い気が無いなら止めてしまっても良い縁組だと思っている。
結局のところテルフォート伯爵は吝嗇なのだ。
もし破談になったとして、息子に非があれば支援した金の返金を求められなくなる。円満に解消したところで貴族の面子として全額返金を要求できない。だから正式に婚姻してからの支援を言い出したのだ。
アールグレーン伯爵家の借金は、テルフォート伯爵家からの援助がなくともどうにかなりそうな程度には減っているのだ。お兄さまがダニエルさまの素行を調べ終わったら、私たちの婚約はきっと解消される。
「私は優秀ではないの。王宮に出仕したくて、必死に頑張っているだけよ」
そう言って静かに微笑む。
「ところでブラントさまはどうしてあのような状態に?」
「実は……今、一年生の間ではああいことが頻繁にあるのです」
辛そうに目を伏せ、静かに溜息をついた。
「頻繁に? 先生方は知っていらっしゃるのかしら」
「ええ、知っていて注意をしているようですが、結果的にああやって人気の無い場所に連れ出したりされるのです」
「ロクデナシだわ」
私は大きな溜息をつく。
「原因は何なのかしら?」
「……キャンディさまです。いつも男子生徒がちやほやして、女子生徒はそれを遠巻きにして。そうしたら女子生徒に無視されると言って……。でも仲良くなんかしたくないじゃないですか。入学した直後からずっと、同性と異性で見せる態度が違う人なんて、仲良くできないです」
そこまで聞いて少しだけ意地の悪い質問をしてみた。怒ると本音をポロリと洩らしやすい。
「それに何人もの取り巻きを侍らせているのも腹が立つ……かしら?」
「腹も立ちますけど、それ以上に気持ち悪いんです。キャンディさまも周りの男子生徒も」
「恋人とくっつきすぎてるから反感を買ったという訳ではないのね」
確かにダニエルさまとキャンディさまの距離は、恋人であっても学びの場で不適切なほど近い。
「その前からずっとです。それに恋人と言っても、お相手は婚約者がいらっしゃるじゃないですか。それなのにお付き合いするのも良識を疑いますわ!」
「……ごめんなさいね、手綱を握れない婚約者で」
「え……? もしかしてキャンディさまの恋人の婚約者って――」
「私なの」
間が空いた。
一瞬、理解が追いつかなかったのか、それとも失言だと思ったのか。
学年が違うせいか、リーナ様は知らなかったようだ。三年生の間では知らぬ者はいないというほど有名なのだけれど。
「すみませんっ! 私、知らなくて……」
失言の方だった。
「気にしないで。政略が絡んでいて解消できない婚約なの。ダニエルさまに絡まれない分、キャンディさまには感謝しているわ」
これは本心。
解消できない婚約というのは少々、違うけれど。頑張れば解消できるかもしれないから。
「それはまた……随分と仲が良くないのですね」
「ええ、修復不可能なまでに険悪だわ。だからお二人が付き合うのも仕方がない部分はあるの。とはいえあまり派手にされるのは外聞が悪いから、もう少し節度あるお付き合いしてくださればとは思っているわ」
言い終えて溜息をつく。
本当に何をやっているのかしら、ダニエルさまは……。
「確かに目立ってますね。仮に二人が婚約者だったとしても、あの密着はないって思います。ベタベタし過ぎて気持ち悪い……。いくら政略結婚だとはいえ、結婚前からああも外聞が悪くて、本当に良いのですか?」
「良くはないわね。先方と対等な関係なら解消するところだけれど、我が家とテルフォート家は力の差がありすぎて難しいの。それに我が家は借金があって大変だから、っていうのもあるわ」
思い出すと溜息が出てくる。
「儘ならないものですね……」
「本当にそう思うわ」
はからずも最後は愚痴になってしまって、二人で苦笑いする。
婚約者もその恋人も貴族なのだから、もう少し、ほんの少しだけでも外聞を気にしてくれれば良いのに……。




