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12. 兄の気遣い、妹の想い

「植物園に行きませんか」


 デートに誘われたのは、顔合わせからしばらく経った日だった。

 受け取った手紙を胸に抱いて「まあ!」と歓喜の声を上げたけれど、はたと気付く。 


 着ていく服がないと。


 借金返済の目途が立ったのがつい最近。憲兵と財務局が共同で件の商会の強制捜査に踏み切った。商会と会頭の財産は捜査が終了するまで凍結。不当な金額で設けた分を遊興に使い込んでおらず、商売を拡大するために注ぎ込んでいた結果、我が家を含めた被害者には全額返金可能らしい。慰謝料的な金銭は全額出るか微妙らしいけれど、この国で許される最大限の金額である、不利益の二倍を請求しているところだ。


 という訳でまだ我が家は金回りが良いとまではいえない。ようやく使用人を少し増やせた程度。

 まともな外出着なんて一枚も持っていない。平民が着るようなちょっと小奇麗なだけの服、それも二着だけ。お兄さまは王宮に出仕するために何枚か服を新調している。流石に平民のような服装で王宮に入るのは難しいから。


 でも私は……。


 制服の仕立てだけは店に出した。普段着は安い割に肌触りが良くて丈夫な反物を買ってきて自分で縫っている。何年も仕立てているから、腕はそれなりに上がっている。一応、これだけ縫えれば十分と言われる程度には。

 だから時間さえあれば、縫えるとはいえ……。お金も時間もなさ過ぎて無理。


 ――詰んだ。


 植物園に行こうとお誘いを受けたけれど無理。お断わりの手紙を、明日お兄さまに届けてもらおう。

 嬉しい、と思ったのに。

 特大の溜息をつき、今日は何もやる気がおきないと寝台の上でゴロゴロする。


 行きたかったわ……。

 もう一度、大きな溜息をついた。




 翌日の放課後、普段通りに家からの迎えの馬車に乗り込んだ。

 何故か車内にはお兄さまが……。


「何かありましたの?」

「最近、残業がちだったからね、たまには早上がりでもしたらどうかと上司から言われてね」

「そう、だったのですね」


 珍しいこともあるものだわ。でも確かに色々と忙しそうで……。帰りが遅かったのは事実だもの。こういう日があっても良かったかもしれない。

 そう思いながら馬車に揺られること少し。着いた先は屋敷ではなく商店街だった。


「たまには街でお茶でもしていこうか」

「嬉しいわ。今まで爪に火を点すような生活だったから、こうやって気軽にお店に入れなかったもの」


「苦労をかけたね」

「お兄さまが理由の苦労ではないでしょう?」

 手を借りながら馬車を降りるけれど、甘い香りはしなかった。


 お茶というなら、茶菓子の甘い匂いがしてもおかしくはないのに。疑問に思いつつお兄さまにエスコートされるがままお店に足を踏み入れる。「チリン」と軽やかなベルの音が可愛らしかった。


「――!!」


 目の前の棚には、色とりどりの反物がぎっしりと詰まっていて、可愛らしいドレスや落ち着きのある上品なドレスが、何枚もトルソーに着せられて飾られていた。


「お兄さま……」

「今まで頑張ってくれたけど、これからは令嬢らしいドレスも必要になると思ってね」


 ふわりと笑って言うけれど、我が家にはまだ商会からの入金が少なく手元不如意なのに……。

 今までほかの貴族みたいに掛けで買い物もしてこなかったから実績がない。借金持ちなのも貧乏なのも、貴族事情に明るい商人なら把握しているものだ。


 もしかして無理してお金を工面しているのでは……。


 お兄さまが私に罪悪感を持っているのは知っている。令嬢らしい華やかなドレスを一枚も持っていないだけでなく、手のあかぎれを痛ましいもののように見ていたのも。

 お風呂だって薪の節約のために入らず、普段は身体を拭いて誤魔化していた。流石に学園に入学してからは、身だしなみに気を遣わなさすぎるのは良くないから、それなりに入るように心がけている。


 でもできるだけ早く身体を洗うように、私に続いてお兄さまも入って、薪の節約に努めた。

 当然、冬場は暖炉に火を点すこともなくて、いつだって室内でコートを着て過ごしていた。


「大丈夫なの、我が家はその……」

「問題ないよ。官吏の給料は月に一度出るんだからね。返済がなくなれば、毎月一枚とは言わないけど、二か月に一枚、盛装を買えるよ。普段着なら月に二枚は買える」

 お兄さまの笑顔は、隠し事がなく事実だと語っていた。


「あ……」

 確かにそうだった。商会に強制捜査が入って、既に一か月以上が経っているのだから、最低でも一回は給金が出ている。返済がなくなったのだから、確かにドレスの一枚くらいは買えそうだ。


 王宮勤めの上級官吏は初任給でさえとんでもなく高額だ。貴族街に屋敷を購入し馬車を新しく仕立てるのは難しくても、どちらも最低限の手入れをしながら使い続けるなら問題ない程度には。その上で派手に社交はできなくても、たまに夜会に顔を出したり、友人との集まりにも顔を出せるくらいの交際費や衣装代も出せるほど。


 これほどまでに上級官吏が優遇されるのは、私やお兄さまが通っている学園の卒業生でないと採用試験の受験資格がないという狭き門である上に、試験がとんでもなく難しいから。一応、学園の卒業生以外でも、同等程度の国外の教育機関卒業であれば受験はできるけれど、難易度は変わらない。試験を突破するような優秀な人たちは、業績を上げて一代貴族の地位を貰ったり、それに付随する恩給を貰える。出世して大臣まで登り詰める人も珍しくない。


 だから貴族としての最低限の体面を整えられるようにと、給金の額が考慮されているのだとか。

 学園を一定の成績以上で卒業すれば採用試験を受けられる中級官吏や、平民の労働者階級が採用される下級官吏とは、一線を画している。


 とはいえこれから減らした使用人を増やしたい。お父さまより年上の使用人が馬車馬のように働くのも、本当は執事なのに庭の雑草取りから力仕事までこなしているのもなんとかしてあげたい。馬丁だって馬の世話や馬車の手入れ以外に、執事と一緒に雑用をやってくれている。無給なのにお祖父さまの世話になったからとか、年齢の所為で仕事が見つからないと言って家に残ってくれたのだ。


「大丈夫、必要な分は支払った残りだよ。もちろん給金も支給した。十年もの間、無給で頑張ってくれたんだから、みんなの気持ちには応えないとね」

「なら良かったわ。未払いだった分もちゃんと支払ってあげてね。それと以前よりも給金を上げてほしいわ」


「もちろん、考えているよ」

 私の考えることはすべて先回り済みだと知って、ようやくほっとした。


「アールグレーンさま」

 話が切れたタイミングで、店員から声をかけられる。「こちらへ」と言われて通されたのは試着室だった。


「実はね、既に頼んでおいたんだ」

「まあ……!」


 何時から準備していたのかしら?

 アルヴィンさまに誘われたのは前の休みだというのに。

 驚きながら待つと、空色の外出用ドレスを持った店員が現れる。


「素敵だわ……!」

 落ち着いた色だけれど明るい。胸元と裾にフリルが入っていて、年齢相応のかわいらしさがある。


「じゃあ着せてもらって」

 言い終えてお兄さまが外に出る。いくら兄妹とはいえ異性がいる前で着替えるのはよろしくないのだ。


「仮縫いまでですから、着心地の悪いところがあれば直しが可能でございます」

 手際よく着せてくれながら、胴周りや肩などが窮屈でないか逆に大きすぎないか確認していく。


「問題ないと思うわ。全然苦しくないし緩いところもないし……」

 鏡の前でくるりと回ってみるけれど、見るよりもずっと素敵だった。


「お兄さま、どうかしら?」

 再び入室したから、すぐに尋ねてみる。


「うん、悪くない。すごく可愛い」

「でしょう? ありがとうお兄さま」


 すごく肌触りの良い布で、最近着ていた中で一番上質なのがわかった。多分だけれど、私が想像するよりも高価な気もする。

 だけれど遠慮するよりも喜んだ方が、お兄さまは嬉しいと思って、素直にお礼を言う。


「実はもう一枚、服地を押さえているんだが……」

「えっ!?」

 この一枚でもすごいことなのに、もう一枚なんて!


「お嬢さまの好みを取り入れたものをと伺っております」

 持ってこられたのは明るいピンク色で、私が大好きな色だった。


「ほかにお好きな色がありましたら、ほかのものを持ってきますが……」

「いいえ、この色で!」

 交換しても構わないと言われて、つい勢いよくこの服地が良いといってしまった。

 遠慮するつもりだったのに……。


「可愛らしいお色味なので、意匠(デザイン)は少し控えめに。と言いましてもあまり何もないと地味な装いになってしまいますし」

 何冊ものデザインブックが机に置かれる。


「お兄さまもご一緒に選んでくださる?」

「もちろん」

 二人であれこれ相談し時には店員のアドバイスを聞いて、ようやく注文が終わる。


「ドレスを作るのって大変なのね」

「仕立てるのはもっと大変だと思うけどね」

「その通りだわ!」

 出されたお茶を飲みながら笑い合う。


「お客さまの喜ぶ顔を拝見しますと、疲れも吹っ飛びますわ」

 話し相手として残っていた店長が、ふわりと笑った。


 スラリとした綺麗な人で、客商売なのか話が上手く、客の好みをさり気なく聞き出すのが上手い。

 自分たちだけで考えたのよりずっと素敵なドレスが出来上がりそうだった。

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