11. 新たな婚約
「お兄さま、茶器はどちらが良いかしら?」
私は朝からずっと来客の準備でバタバタしていた。
過去、借金が残っているとはいえ、貴族としての体面を保つギリギリのところでやってきていた頃。玄関と応接室、それと茶器だけは手を付けなかった。内情の苦しさを悟られてしまうと、足元を見られてしまうから、日々の食事代を削っても虚勢を張る必要があったのだ。代わりに普段着は繕いながら着続けたり、使用人を減らした。我が家より待遇が上がる家にばかり紹介状を書いて送り出したから、使用人たちにとって悪くない決断だったと思いたい。
ここら辺のことは母の弟にあたるレナルド叔父さまが采配してくれた。
あまりに減らし過ぎると、お嫁さんの来てがなくなり返って困るとも言われたのだ。私たち兄妹が学園に通えたのも叔父さまのお陰。卒業しないで勤められるところなど給金が知れていて、将来的に困るからと通うように勧められた。更に学費まで二人分、全額出してくれた。甘えすぎるのはよくないと思ったけれど、当時の私たちは十代前半で、お父さまは全然頼りにならなかったから、色々と口と手を出してくれたのは、正直なところありがたかった。
「もういいから、ゆっくりと寛いで」
「でも……、なんだか落ち着かなくて」
今日は私の見合いの日。
だから落ち着いてというのは判るのだけれど、じっとしているとそわそわするというのか、落ち着かなくて駄目なのだ。
借金問題が解決した後、通いのメイドを二人ほど雇ったから、今では私がバタバタする必要はもうない。けれど動いていた方が気が紛れて平常心でいられる。
今回の件の発端は数日前に遡る。
「セラフィナ、見合いをする気はないか?」
突然のことで、正直言って頭が真っ白になった。
「ちょっと早すぎでは? 婚約が解消されてまだ一か月ですよ」
ダニエルさまとの事がなくなったから問題ないとはいえ間もなく、あっさりと切り替えてなんてできない。
「気持ち的には判るんだが、お前が跡取りだと判ってからでは、色々と面倒が増えると思ってな……」
確かに跡取り娘への婿入りなら、後を継がない次男以下からの釣り書きが大量に届きそう。
ほんの少し前までなら多額の借金があったけれど、今はそれもきれいさっぱりない。断れない筋から望まない婚約者を押し付けられる可能性もある。
お兄さまの言葉から考えを巡らせる。
絶対に悪くない、むしろ私にとって歓迎できる相手を選んでくれる筈だもの。
「それは……。判ったわ、お見合いしてみます」
相手が誰とは尋ねなかった。
嫡子のお兄さまが侯爵家から見初められて、一人娘の婿にと望まれたのを知ったのは数か月前のことだ。詳しく話を聞けば、家のことや私のことが気になって、何度もお断りしたのだとか。それでもと何年も粘られて、その間にお相手に惚れて承諾したのが数か月前。結婚を決めたときには、私とダニエルさまが上手くいっているのだと思っていたらしい。
私たちの仲が破綻していると知って、お兄さまが悩んでいたのは事実だ。私たちの仲に気付かなかったことも、自分の結婚を決めたのが早計だったと思っていることも全部ひっくるめて。
それにお兄さまの婚約者は、私と入れ違いで学園を卒業している。結婚は私の卒業を待つらしいけれど、年齢的にできるだけ早く婚約だけでも公表してしまいたいのだろう。
だから私は未だ気持ちの整理がつかなかったけれど、話を受けることにしたのだった。
まだできることは……。
じっとするのが辛くて、次に手を出せることを探しているときに、来客を告げられた。
「お客様が到着されました」
「――っ!!」
メイドの言葉にビクリとする。
とうとう来てしまった……。
嫌ではないけれど、まだ心の準備ができていない。
そんな中で現れたのは、私の知っている方だった。
「クランツさま――!」
少し前、我が家の借金をきれいさっぱりと無くしてくれた上に、不当な高値で購入していた分の薬代が返ってくるようにしてくれた方だった。
「お久しぶりです。下心は全く無かったのですが、こういうことになって申し訳ないやら……」
心から申し訳なさそうに言うところからすると、以前の働きは見合いを意図したものではないということ。
「判っていますよ。というよりも僕が無理を言ったものですから」
お兄さまが心得ていますとばかりに前に出てくれる。
「そうでしたの?」
「ああ、あの時の働きを見て、安心してセラフィナを任せられるって思ったから、見合いの席を設けたんだ」
「確かにとても頼もしいお姿でした」
たったの二日で我が家の財政を立て直してくれた手腕は見事の一言に尽きる。
「確かご親族が学園に在籍しているとかで、手助けしてくださったんですよね?」
「今、一年に在籍しています。話を学園の外に持ち出してくれたお陰で助かりました」
クランツさまは大量の停学者を出した事件の協力者の一人でもある。
お兄さまが持ち込んだ学園の問題は、学園に通う女子生徒の身内に話を回したと聞いている。そこから少しずつ協力者の輪が広がり、省庁を横断して被害者家族の会の様相をていしたのだとか。
玄関で出迎えて応接間に行くまでの間に、私はすっかりこの見合いを受ける気になっていた。
帳簿を見直していたときの頼もしさに憧れの念を抱いていたから、クランツさまがお相手で本当に良かったと思ったくらい。
出会って二度目、早すぎるかもしれないけれど、婚約もしていない男女が何度も会うのはふしだらと後ろ指を指される。同じ職場とか学園生でもなければ、婚約でもしない限り顔を合わせるのも難しいのだ。
こうしてセラフィナ・アールグレーンとアルヴィン・クランツの婚約は整ったのだった。
* * *
今日もリボンが添えられているわ……。
アルヴィンさまは婚約が決まった翌日から、数日おきに手紙をくれる。その度に髪を飾れるようなリボンが添えられている。
綺麗な木彫りの箱に納めているけれど、そろそろ大きな箱に変えなくてはいけなさそうな数になってきている。
さほど高価ではないけれど、登校時にも身に着けられる実用的な小物は、婚約者の気持ちがとても籠っている。
制服と同じ紺色や、水色、薄紅など女の子が好みそうなものなど色とりどりで、見ているだけで楽しい気持ちになってくる。
セラフィナの方はお礼にと、手巾に刺繍を刺して贈ったり、手作りの焼き菓子――使用人がいなかったせいで、料理や菓子も自分で作れるようになってしまった――を添えたりしている。
特に焼き菓子は甘いものを好まない男性も多いことから、香辛料や香草を使った酒に合うものを贈った。
「どうしましょうダリア、幸せ過ぎて……」
学園内では大っぴらに新たな婚約の話をできないので、アールグレーン家に招待してのお茶会だ。
「良かったじゃない。婚約したてだもの。一番甘くて楽しい時期なのよ」
セラフィナが惚気半分に話をすれば、親友は面白そうな顔をしながら返してくる。
「私だって婚約者からの手紙や贈り物は、今でもとても嬉しいのよ」
うふふと笑いながら言う親友も、とても幸せそうだ。ダリアの婚約は一年前に整っていて、とても仲睦まじい。時々、惚気のような話を聞いているけれど、本当に幸せそう。
「これはセラフィナが作ったお菓子かしら?」
出した焼き菓子を摘まみながら、ダリアがたずねる。
「ええ、アルヴィンさまに贈ろうと思って作ったの」
貴族の令嬢が厨房に入るものではないけれど、借金のせいで多くの使用人に紹介状を出した上で暇を出したため、セラフィナも兄のエリオットも料理を含め、掃除洗濯と家事を一通りこなせるようになっている。あまりにも使用人が減り過ぎて、貴族だからだとか当主家の子供だからとか言える状況ではなかったからだ。
借金が完全になくなって、少しずつ使用人を増やしている今でも、着替えなど身の回りのことは自分でこなしている。
増えた使用人は、今まで負担が大きすぎた、残った使用人の負担を減らす方向で配置した。例えば人手が足りなさ過ぎて親の代から努めてくれた老齢に差し掛かる女性使用人。下働きから侍女の役割まで、なんでもこなしてくれていたのをメイド長に据えて、手足になるメイドを何人も雇用したのだ。
「そういえば料理人を新たに雇ったのではなかったかしら?」
「ええ、でも話の分かる人だから、私が厨房を使いたいと言ったら、快く使わせてくれるの。それでね、アルヴィンさまに贈ったら美味しいって言ってくださったから、贈るのは私の手作りばかりなの」
「愛ね」
「ええ、とても好きなの」
年頃の少女たちにとって恋バナは好物だ。
いかに婚約者が素敵か、どんな贈り物をもらったり、返礼に何を贈ったのかなど話は尽きない。「そろそろお帰りになりませんと」と言われたのは、陽が傾き始めた頃。さすがに薄暗くなってからの帰宅は問題がある。声をかけてくれた使用人に二人で礼を言って、ダリアは帰っていった。




