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01. 夜明け

 ――どうして。


 セラフィナはさめざめと泣いた。

 毎日、ずっと。

 それが一か月ほど。


 よく涙が枯れなかったと、泣き止んだ今なら思う。

 我ながら、よく飽きもせず泣き続けられたなと。


 原因は婚約者。


 十二歳のとき、学園に入学する二年ほど前に婚約者に決まったのは、ダニエル・テルフォート、伯爵家の次男だった。

 実家であるアールグレーン伯爵家と同じ爵位だけれど、経済力には雲泥の差がある。領内に商業都市を持ち、豊かな税収を持つテルフォート伯爵家。


 片や祖父の病の治療のための高額な出費のせいで、借金を抱えたアールグレーン伯爵家。

 財力に差があり過ぎるこの婚約は、アールグレーン領がより王都に近かったからにほかならない。街道が整備され管理されることは、テルフォート領にとって重要だったから。

 それだけに尽きる。


 完全な政略だったけれど、私は恋に落ちてしまった。

 当初はダニエルさまもまんざらではない様子で、私たちは良い関係を築いていると思っていた。

 一人の少女が現れるまで。


 私より一学年下のその女子生徒は愛らしく、たちまちのうちに男子生徒を魅了していった。

 とはいえ中心にいる女子生徒は、多くの男子学生を侍らせて楽しんだりはせず、信奉者の中からたった一人を選んで恋人関係になった。


 仲睦まじい様子は微笑ましい。信奉者たちは恋人になった生徒を抜け駆けしたと嫉妬せず、二人を見守っているのも悪くない話だった。

 それが婚約者のいる男子生徒でなければ。


 しかも彼女が恋人に選んだのは、よりにもよってダニエル・テルフォート。

 ――婚約者のいない信奉者は大勢いたというのに……。

 二人の仲が深まるのと反比例して、私への扱いが邪険になり、二人が付き合うようになって半年を過ぎた今では、蛇蝎の如く嫌われている。


 ――どうしてダニエルさまは……。


 大きな溜息をついて涙を拭う。

 学園にいる間は我慢できても、一人で自室に居るといつの間にか涙が溢れてくるのだ。随分前からダニエルは私に冷たく当たっていたけれど、泣くほどでもなかった。

 でも一月前、聞いてしまったのだ。


「アレの家に街道があるせいで、俺は犠牲にならなくてはいけない」


 犠牲、そして名前すら口にしたくないという事実。

 私にとってとんでもなく衝撃だった。

 それから毎日、帰宅しては涙を流す日々。

 何年も上手くいっていたのに……。


 どうして……。

 なぜ……。


 泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣いて……。

 どうして私だけが泣かなきゃいけないんだろう……?

 泣いて、泣いて、思い切り泣いて……。

 そして立ち直った。


 ――なんで不誠実男のために、私が犠牲にならないといけないんだろう?


 そう思ってしまったら、なんだか馬鹿らしくなった。

 割り切ってしまうと、今度は身の振り方を考え始めた。


 テルフォート家の資金で街道を整備すれば、商人の行き来が増え通行税により収入が上がる。

 それ以外にも資金援助で領地の整備ができるため、麦の収穫も上がりこれまた税収が上がる。


 ダニエルさまが不実でも、結婚する前から愛人がいたとしても、お父さまは絶対に私を嫁がせるだろう。テルフォート伯爵としても、王都までの道を確保したいところだし、没落寸前とはいえ名門アールグレーン伯爵家と縁を結びたいところだろう。テルフォート伯爵家は先代まで子爵家だった。爵位が同じで資産に雲泥の差があっても、家格の違いを覆せなかったのだから。


 家の事情を鑑みる限り、二人の婚約を白紙に戻すのは難しい。

 だけどテルフォート家よりも裕福な、例えば金回りの良い商人の家に嫁入りすれば、我が家の借金はどうにかなるかもしれない。


 より多くの資金援助をしてくれる家を探しさえすれば……。

 私がお願いしても、きっとお父さまは聞き届けてはくれない。


 ――だったらまだ話を聞いてくれそうなお兄さまから先に相談ね。

 この時間なら当主の執務室にいる筈。


 未だ当主ではないけれど、優柔不断で流されやすいお父さまでは頼りなさ過ぎるからという理由で、当主権限はお兄さまに移って久しい。決裁に使う当主印はお兄さまが保管している。お父さまは名前だけ当主なのだ。


「お兄さま、相談があるのだけど……」

「丁度良かった、僕も話があるんだ」

 お兄さまが出迎えてくれたけど、表情は微妙だ。


「僕に婿入りの話がきた」

「――え?」

 私は頭が真っ白になる。


「お兄さま、それでは家はどうなるのです? 借金は? 私が借金のカタに嫁入りする筈ではなかったのですか」

 お兄さまの才覚がなくては、我が家の借金はどうにもならない。私とお父さまだけでは爵位も領地も返上する未来しか見えなかった。一生を家に縛り付けたいとは思っていないし、幸せになってほしいとは思うけれど、お兄さまが婿入りする話だけは応援できない。


「私も卒業したら王宮に出仕しますし、お兄さまだけに借金を背負わしたりしませんから考え直してくださいませ!」

「その借金なんだが、嫡男を婿入りさせる代わりに、半分くらいは婿養子先が支払うと言ってくれた。結婚も女性が行き遅れと誹られないギリギリまで待ってくれると言ってくれている。残りはテルフォート家からの融資で賄えるだろう?」


 嫡男を婿養子に迎えるとはいえ、破格に近い条件だった。

 でも、心から祝福できない。

 何よりテルフォート伯爵家の手を借りるなんて、もってのほかだ。


「それは駄目です!」


 私は咄嗟に止める。

「そんなことをしてはテルフォート家に我が家を乗っ取られます!」

 大声を出すのは無作法だとわかっていても、絶対に阻止しなくてはいけないから、つい声が大きくなってしまった。


「ダニエルさまは愛する相手がいらっしゃいます。愛人連れで婿入りされてしまうわ!!」

「どういうことだ?」

 訝しむお兄さまに学園での様子を全て話した。


 既に文官として出仕しているから学園のことは判らない。王宮に出仕しながら領地経営まで行っているのだ。私のことで迷惑を掛けられないと黙っていた。お父さまから学ぶのも難しいほど、大変なのだから。


 嫡男が就く部署としてはあり得ないほど忙しく、残業の多い部署だけど給料は良い。腐っても学園卒業者、上級官吏になれる資格があったというのは収入面で大いに助けられた。難しい採用試験を受ける必要があったけれど無事合格したから、若くても給料がとても良い。我が家の領地収入のうち当主家族で使える年間額と、お兄さまの年棒がほぼ同額になるくらい。お陰でここ数年は借金返済が順調だ。


 とはいえ全額返済まであと十年くらいかかるのだけれど。

 現状のままでお兄様が婿入りしてしまう場合、我が家で全額返済となると領地の切り売りの可能性が出てくる。

 今の話では婿入り先が半分肩代わりしてくれるとはいえ、お兄さまの収入がなくなってしまえば、私が卒業後に出仕したとして返済の目途が立つかどうか不安が残る。


 この国では女性が男性と肩を並べて働ける。上級官吏になる道だって開けている。でも猛勉強して良いクラスに所属するのがやっとの私が、お兄さまと同じように上級官吏になるのは非常に難しい。

 ――進路を修正するとして、でもまずはダニエルさまとの婚約を解消しなくては。


「もう修復不可能ですわ。私の名前を口にするのさえお嫌なのです」

 アレと呼んでいたのは衝撃だった。胸に抱いた恋心が吹っ飛ぶほどに。身体をベッタリと密着する姿も受け付けられなかったし、何もかもが無理。


「しかし、相手は男爵家、しかも跡取り息子がいる家だろう? 伯爵家と天秤にかければ、セラフィナを選ぶのではないか?」

「本当に切るかどうか、判らないじゃないですか。影で繋がっているままで、愛人の子を跡取りに据えられたらどうするおつもりですか? 結婚前から浮気を隠さないような最低な人ですよ」


 お兄さまのいう通り、テルフォート伯爵は男爵令嬢との婚姻を許さないだろう、利がなさ過ぎて。

 とはいえ私や我が家が犠牲になる必要は、毛の一筋ほども感じない。


「しかしお前たちは上手くいっていたじゃないか。にわかには信じられないな」


「だったらお兄さまの方でお調べください。同僚の中には弟や妹が学園に通われている方もいらっしゃるでしょう? とにかく私は嫌です。それに公然と浮気をするような方だから、真っ当な方々が離れていっています。まともな人脈も持たない方を家に迎えるなんて、将来的には負債でしかありませんわ」


 私たちの仲が良かったのは半年以上前までとは言えなかった。

 お兄さまの情報の遅さを指摘するような気がして。


「……判った。そうまで言うのなら、僕の方でも調べる。それでもしダニエルが駄目だったらどうするんだ?」

「探します。我が家に婿入りできそうな貴族家の次男以下の男性を。未だ婚約中の身ですから大っぴらに動けませんが、友人の婚約者や兄弟を当たって、婿として素行に問題の無い方を探し出します」


 私はお兄さまに宣言する。五年くらい夫婦で出仕して、返済を頑張ればばなんとかなるような、優秀な方を探せるかしら。


「表立って動けませんが、新たな婚約者を探したいと思いますの」

 もし見つからなかったら…………お兄さまたちの子を養子に迎え入れる。


 それまでに借金を完済して、アールグレーン伯爵家を継いでも良いと思わせられるように、領地を立て直すのが私の使命ね、きっと。

夜、2話目を投稿予定です。

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