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◇7.サボタージュ

 これは松永先輩の受け売りだけど、教授という人種は小中高の先生とは少し意味合いが異なるらしい。彼らはあくまで研究を行うのが目的で、大学施設の使用や研究費用を捻出してもらう対価として講義を行っている側面がある。だから、とんでもなく面白くない授業をする人もいる。そういう人が担当の場合、私は二回目の講義から教室の後ろの方に陣取って、ルーズリーフとペンを机に出して、自分の世界に入り込んだ。今も遅れてきた学生が私の隣に座ったけど、気にも留めない。私は最近、アザミを登場人物のモデルにした小説を考えている。でも、ルーズリーフは未だ真っ白なまま。課題は山積みだ。今まで、友達をモデルに小説を書いた事なんて無かったし、本人の許可も貰わないと。吸血鬼に関しても、まだまだ知らない事が多い。それに物語である以上、初めと終わりがある。歴史上の人物を題材とした伝記なら一生を描けばいいけど、まだ若くて生きているアザミの何処を、物語の終わりと設定すればいいのかも分からない。彼女の魅力だけなら、簡単に書けるのに。


 しかし、隣の学生の落ち着きが無くて困る。目立ちそうだから、止めて欲しいんだけどな。黒いシフォンのロングワンピースから覗くスリムな足は何度も組み替えられ、デニムジャケットからでた手は、視界の端で握ったり閉じたりしている。その指先には見覚えのある紅いネイル。…………。

 目線を上にずらすと、やっぱりアザミがにやにやしながら、こっちを見ていた。

「気付くの遅っ」

「何で」

 ここに居るの? と私が言いきる前に、彼女は私の右隣に体を寄せて、ペンとルーズリーフを奪う。そして、左手で何かを書き始めた。筆談だ。


『外から夏帆おるの見えたから、顔見せに来たんよ』

 筆談でもアザミが関西弁なのに笑いをこらえつつ、私は筆箱から新たにペンを取り返して、右手で文字を書く。


『今日昼休み時計塔に居なかったじゃん。何してたの?』


『ウチの研究室の教授が学会で出張すんねんけど、資料、大学に忘れはってな。それを空港まで車で届けに行ってた』


『それはそれは。おつかれさま。ってか、免許と車持ってたんだね?』


『持っとるよ? 遠出する時以外は使わへんけど。夏帆は、この講義で今日の授業終わり?』


『そうだよ?』


『ウチもな、もう教授おらんし、早よ帰ってもバレへんねん。ほんで、ウチは暇なんよ』

 そこまで書いて、アザミは私の顔を横目でちらりと見た。

『だからさ、この講義飛んで映画でも観に行けへん?』

 私がびっくりしてアザミの方を見ると、彼女は教授の目を盗みながら、腰に手を当ててパタパタさせて、ひよこみたいな鳥の真似をしていた。私が反応に困っていると、彼女は少し怒った顔で、左肘で私を小突きながら、ルーズリーフに殴り書きをする。

『早よ止めてよ? 恥ずかしいんやけど。行きたないの?』


『自分でやり始めたのに』

 悪い大人だなぁと呆れつつ、私は大きな字で『行く!』とルーズリーフに書き加えた。


 教授がホワイトボードに書き始めたのを見届けて、私たちは教室を静かに抜け出す。それから、私達はアザミの車が置いてあるキャンパス内の駐車場まで走った。アザミに急かされるままに、私は小走りで彼女の後ろを追う。歩幅の差なのか、私がのろまなのか、ワインショップの時も思ったけど、喫煙者なのにアザミの足は私よりも早くてびっくりだ。彼女は時折振り返って、笑いながら早く早くと手招きする。それにしても、よくよく考えれば教室を出た後に走る必要なんて全く無いのに、なんで走ってるんだろう。まぁ、でも、どうでもいいか。楽しい事に間違いはないんだから。


 駐車場の真ん中に停めてあった、アザミの丸みを帯びたワインレッドのクラシックカーに飛び乗って、私達は大学を後にした。

「ねぇ、窓開けてもいい?」

「ええよ。ウチも開けよ。あっつ」

 窓を開けると、湿気を含んだ生ぬるくて重みのある風が顔を撫でた。そろそろ、梅雨が近いのかもしれないな、と私は思う。

「アザミ、陽射し大丈夫?」

「ん。今日は天気予報ずっと曇りやし。日焼け止めも、ちゃあんと塗ってるから。それに、体調ええ時は、長時間同じとこに当たらんかったら問題ないんよ。あと、これも保険」

 運転席の方を見ると、アザミは片手で運転しながら、かっこいいオーバル型のサングラスをかけていた。

「体調悪い時は?」

「無理。家から出られへん。だから、今日は天気とウチの体調に感謝しいや」

 そう言いながら、アザミはレンズ越しの目を細めて笑う。

「はいはい。感謝してますよ。で、何の映画見るかは決めてるの?」

「一応夏帆誘う前にな、駅前の映画館で上映してるやつ調べといたんやけど。いまいちピンとこーへんかってな。ミニシアターって行った事ある? 今日はそこにしよかなって」

 さっき、偶然私を教室の外から見つけたみたいな口ぶりだったけど、探してくれてたのかな。でも、そこを指摘すると、たぶん彼女は怒る。

「何? 急に、にやにやして。気持ち悪ぅ」

「ううん。何でもない。ミニシアターは行った事ないや。普通の映画館と何か違うの?」

 アザミはミニシアターと普通の映画館について説明しようとしばらく唸っていたけど、上手い言葉が出てこないみたいで。結局車を路肩に停めてスマートフォンで調べていた。でも、それも面倒臭くなったのか、彼女は画面を開いたまま、私の膝にスマートフォンをぽんと投げて運転を再開する。しょうがないから、私はそれを読み上げた。

「えっと、……ミニシアターとは、大手映画会社の影響を受けない、座席数及びスクリーン数が少ない小規模な映画館の総称であり、上映枠数が限られることから、各館が発掘・厳選した、知られざる名作や駆け出しの監督の作品、個性的な作品などが上映される傾向にある、って書いてる」

「まぁ、そういう事やねん」

 何処か誇らしげに頷いて、アザミは話を続ける。

「何回か一人で行った事あるんやけどさ。小さい劇場やから落ち着いて観れるし、無名の監督の映画でも、結構見ごたえがあるんよ」

「へぇ、楽しみにしてる」

 そう私が言葉を返した時は、こんなにも今後の私たちに影響を与える思い出になるとは、夢にも思わなかった。


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