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◇4.絆創膏と、嫌な奴への対処法

 午前中の講義が終わったあと友達と別れ、購買部で手に入れたサンドイッチと缶コーヒーを手に例の場所に足を運ぶ。昼休みや、夕方以降は時計塔によくいるとアザミに聞いた私は、春休みが終わったあとも、度々彼女に会いにきていた。手鏡で髪型におかしな所が無いか確認してから、時計塔に入り息を整える。初めは何とも思わなかった、このカビ臭さや仄かに混じる煙草の匂いが、今は少し愛おしい。

 階段を勢いよく上ると、いつも通りアザミが長椅子に座って、煙草を吹かしていた。こちらに気付いて、アザミは左手をひらひらと動かす。日陰に隠れるように座るアザミは、嫉妬するのも嫌になるくらいスレンダーで、白衣を着ていなければモデルに見間違えてしまいそうになる。

「今日、午前中講義無い日やっけ? えらい早めやね」

「ううん。二限目の担当が長谷川教授だから、もう終わったの」

「あぁ、学長の講義な。あの人、忙しいのか知らんけど、いつも早よ終わるもんな。ウチの時もそうやったわ。学生的には楽でええけどね。親が払ってくれてる授業料の事考えると、ちょっとモヤるよな。ま、おつかれ」

 アザミは納得した様に頷きながら、席を詰めた。

「ありがと」

 私は彼女の隣に座って、地味に気になっていた事を確認する。

「ねぇ、アザミは講義とか受けなくていいの?」

 アザミは煙草を左手に挟んで口から離し、ちょっと眉間にしわを寄せて私を見た。

「ひょっとせんでも、ウチの事、授業サボってる不良学生かなんかと思ってんな?」

 図星を突かれて、私はサンドイッチを開けるのに手こずるフリをして目を逸らす。

「まぁ、もう喫煙所じゃないここで煙草吸ってるんやから、不良学生ではあるけど。ウチは今、院生やから、講義受けたりする時代は終わってんの。後は研究室で適当に雑用こなして、自分の実験してればええんよ」

「もしかして、アザミって優秀?」

「せやで? 崇めてもええんやで?」

 アザミは煙草を吸いながら、得意げにニヤリと笑う。

「いや、崇めはしないかな」

「まー、されても困るわ。それより、はよ食べや」

 私は返事をしながら、サンドイッチの袋を広げ、缶コーヒーのプルタブを開けた。

「アザミもサンドイッチ食べる? それとも血の方がいい?」

「煙草吸ってるし、ウチはええよ。血もいらん」

 私が左腕を差し出しても、アザミは煙草を持っていない右手で掴んで、私の膝の上に戻す。

「別に減るものでも無いのに」

「いや、血は減るやん」

「さすが。ツッコミが早い」

 アザミは首を左右に振りながら、ため息を吐く。

「ほんまにアンタは」

「アザミってあんまり吸血鬼っぽくないよね。血も飲んでくれないし」

 アザミは短くなった煙草の最後の一口を吸って、携帯灰皿に捨てた。そして、意外そうな顔で私を見る。

「あれ、歯見せた事無かったっけ?」 

 アザミは右手の指で口角を上げて、特徴的な大きな八重歯を見せた。でも、私は怖さを感じない。

「それは何度か見たけど。いまどき歯でびっくりするのなんて小学生くらいじゃない?」 

 アザミは私の言葉が心外だったのか、腕を組んで少し唸っていた。そして、おもむろに左手に一本の煙草、右手には何も持っていない事をアピールする。

「手品でもするの?」

「瞬きせんと見とき」

 彼女はゆっくりと日陰から、右手の人差し指の先を出す。アザミの白い指が日光に照らされるにつれて、みるみる浅黒くなる。そして、煙と共に火が点いた。

「ちょっと!」

 私は急いでアザミの腕を引いて、日陰に手を戻す。でも、当の本人は、指先の火を煙草に擦り付けて笑っている。「ほら、ライター無い時も便利」なんて、おどけて話す。

「指見せて!」

「大丈夫やって。すぐ治るから」

 アザミの指先は、彼女の言う通り、よく焦げ目のついたソーセージのような赤黒い状態から、酷いやけどをした時のような水膨れに変わり、そしてしばらくすると綺麗な白い指に戻った。それでも私は心配で、鞄の中から絆創膏を探して彼女の指に巻く。

「大丈夫やのに……」

「もう、やっちゃ駄目だよ」

 私が少し怒りながらそう言うと、アザミは指に巻かれた絆創膏を、まじまじと眺めていた。

「夏帆はさぁ。よーここ来るけど、ウチの事、怖ないの?」

「何? もしかして、邪魔になってる?」

 私は絆創膏を探すときに散らかった物を鞄に仕舞いながら、アザミの顔を見る。私の反応が期待したものと違ったのか、アザミは少し不服そうな顔で煙草を咥えていた。

「いや全然。いつ来てくれてもええよ。ただ、吸血鬼ってカミングアウトしたのに、普通にここに来るのは正直びっくりしてる。しかも、めっちゃ高頻度やし。それに、今みたいなヤツも普通怖がるとこちゃう?」

 彼女の顔に拒絶の色が無かった事が嬉しくて、私は自然とにやけてしまう。でもバレたくないから、鞄の方を向いて誤魔化した。

「初対面の時、タオル貸してくれたでしょ。私的には、あれで十分って言うか」

「……ウチは、夏帆がいつか変な男に引っかかる気がしてしゃーないよ」

 彼女は煙を肺にため込み、ゆっくりと吐き出す。そして、呆れ顔でこちらを見た。

「今は色恋なんて全く眼中に無いんで大丈夫。今は小説が恋人だから」

「いや、本人の気持ちは関係なくてやな。夏帆は中身アレやけど、見た目はアレやから、気ぃつけや?」

「アレが多すぎて、よく分かんないけど。褒められてるって事でいい?」

 アザミは携帯灰皿を取り出して、灰を落としている。

「あほ。心配してんねん」

「うん。分かってる。ありがと」

 私がそう言うと、彼女はまだ長さの残った煙草を、そのまま携帯灰皿に捨てた。そして、今度は何をするのかと思えば、むすっとした顔で私の頬っぺたをつまみにくる。そこそこ痛い。

「何でぇ」

「……分からんけど、なんか腹立つ」

 アザミは満足するまで、ひとしきり私の頬の肉を揉みしだき、座り直して、また新しい煙草に火を点けた。私がじっとその様子を眺めていると、今度はジッポライターを使っている事を彼女はアピールする。私が真面目な顔で頷くと、アザミも真似をして真面目な顔で頷く。でも、二人とも堪えきれなくなって、結局笑った。


 昼食を食べ終えた後も、私は友達と合流せずに彼女の隣に座っていた。彼女の肩にもたれ掛りながら、私は無意識に煙草の煙の行く末を目で追ってしまう。

「ねぇ、煙草っておいしい?」

「あん? まぁ、ウチは好きやで。今吸ってるこれはバニラ香料が入っててな、甘いんよ。他にもフィルターのとこに柑橘系とかベリーのフレーバーのカプセルが入ってるやつとか、色々あるんやで」

 アザミは煙草の箱を開けて、その匂いをかがせてくれた。まだ火が付いていない煙草からも、濃いバニラの甘い香りが漂っている。

「でも、基本的に体に悪いもんやからな。誰かに薦められて吸うもんちゃうよ。夏帆は今年二回生なら、まだ二十歳ちゃうやんな? 誕生日いつ?」

「8月5日。まだまだ先だよ」

 隣にいるのに、彼女は私と違って随分大人びて、遠くの存在に思えた。でも、そんな私の様子を見て、アザミは笑う。

「言うても、あとちょっとやん。あせらんと、二十歳以上になったら自分で判断しいや。まー、夏帆が嫌いな奴やったら、無理やり薦めてたかもしれへんけどな」

「何で?」

 彼女は焦らすみたいに煙を吸って、中々答えてくれない。

「ウチさ、煙草未経験の奴に吸わせて、むせるとこ見るの好きなんよ。吸い始めた頃は色んな煙草試したからさ。自分に合わへんかったやつが結構あってな。酒の席とかで絡んでくる嫌な男には、タールのキッツイのをお見舞いすんねん」

「性格悪ぅー」

 いたずら少年みたいな顔で話すアザミを見て、私も釣られて笑ってしまう。ちょっと落ち込んでいたのが嘘みたいで、彼女は実は魔法とかも使えるんじゃないかと勘ぐってしまう。でも、それも素敵だなと、私は思う。


 その日、私は昼休み終わりのチャイムが鳴るまで、時計塔で過ごした。三限目の講義には、もちろん遅れた。


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