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◆3.先輩A

 僕と三浜夏帆の関係性は単純で、理工学系の大学の文芸サークルの先輩と後輩でしかない。僕が一年先輩。そのサークル活動自体はかなり緩いもので、所属人数こそそれなりにいるが半数以上が幽霊部員で、大半は5月の新入生歓迎会と秋の文化祭、そして年末の忘年会くらいしか現れない。律儀に毎週サークルに参加してるのは、彼女が入部するまで久しく暇人の僕くらいのものだった。


 三浜さんは応用化学学科の新入生だったが、奇妙な事に真剣に職業作家になる事を目指していた。何故文系の学部がある大学に進学しなかったのか、僕は彼女に質問した事がある。

「私の両親は二人とも理系出身なんですよ。文系に行っても、就職後に役に立つ知識なんて無いの一点張り。小説家になれるのは、子供の頃から賞を取っている様な文才のある選ばれた人間だけ。そんな感じで全く取り合ってくれなくて。まぁ、私も自分の才能を信じきる事が出来なくて、理系に進学したんですけど。でも、悔しいじゃないですか。だから、私は在学中に小説の公募やコンテストに応募して、賞を取ってデビューまでの道筋を立てて、びっくりさせたいんです」


 僕自身は趣味の読書の延長で、気まぐれに小説まがいを書いているに過ぎない学生だったが、それでも三浜さんの登場は嬉しかった。文芸サークルの主な活動は小説執筆で、極論を言ってしまえばペンと紙があれば誰でも出来る、とても敷居の低いものだ。だから色んな学生がやってくる。そして、殆どの学生がビールの泡みたいに時間経過と共に自然消滅した。

 でも、彼女は何かの代替品として小説という媒体を選んだ訳ではなく、シンプルに小説をこよなく愛していた。だから、僕はすぐに三浜さんに好感を抱いたし、彼女自身も自分の小説に対する正直な意見を切に求めていた。だから、自主的に集まって、お互いの小説の感想を言い合うようになるのに、そんなに時間はかからなかった。


 三浜さんと話す様になって、分かった事が幾つかある。まず彼女は度を越えたロマンチストで、現実とフィクションが異なる事を重々理解しながら、あえて混同させている節があった。同年代で流行りの異世界物よりは、古典的で普遍的な内容の小説を好み、物語の入口は日常に潜んでいると信じてやまない、そんな女の子だった。おまけに彼女は完璧主義者で一度小説を書き始めると、完成させるまで生活を疎かにする癖がある。実家から届いた野菜をお裾分けする為に、何度か彼女の一人暮らしのアパートを訪れた事があるが、もっぱら週末は睡眠時間を削り、食事も殆ど取らず安物のインスタントコーヒーだけを摂取していた。栗色の髪をヘアピンで留め、うすい銀縁眼鏡をかけて、机に齧りついている執筆中の三浜さんは、何というか魅力的な危うさを放っていて。体調や部屋が酷い状態になろうと、あまり気にしていない様だった。単純に僕が異性として認識されていないだけな気もするけれど。


 ともあれ、三浜さんは一回生の頃、頭の中に渦巻く物語を吐き出すように、執筆活動にあたっていた。おおよそ3回の週末を使って第一稿を完成させ、僕に意見を求めた。そして凡庸な僕の感想を元に一週間で修正を加え、募集中の公募やコンテストを探し応募する。僕には真似できないスピードで一連の作業が終わると、彼女はようやく思い出したみたいに睡眠を取り、溜まった洗濯物の処理や掃除を始め、最底辺まで下落したQOLを回復させた。所属学科特有の実習や実験の有無によって多少前後するが、それが三浜さんと出会った頃の基本的な執筆ペースだった。


 でも、それは長くは続かなかった。賞を受賞するというのは、やはり簡単な事ではないらしく、結果が公表される度に彼女は自信を無くしていった。まるで自分の全てを否定されたみたいに。次第に彼女の筆は進まなくなり、「最近、自分の書いている小説が、読んでくれる人にとって本当に価値ある物なのかどうか、全然分からないんです」と僕に呟いた。

 より優れた作品が他にあった可能性を考えれば結果と物語の持つ価値は必ずしもイコールでは無いし、主催側の求める物で無かったカテゴリーエラーの可能性もあるし、別に気にしなくてもいいと僕は伝えた。でも、素人の一学生に過ぎない僕の根拠の無い意見が、三浜さんの心にどれだけ響いたかは分からない。


 曇りがちな彼女の顔に笑みが戻り始めたのは、彼女の大学生活一年目が終わりに差し掛かった頃だったと思う。後期の試験期間が終わり、実家に帰省する準備をしたり、アルバイトに勤しんだり、大半の学生が校舎に来ない中、僕たちは大学構内の購買部の横にあるラウンジのテーブル席に陣取って、お互いの書いた小説に目を通していた。僕たちが集まる場所は決まってここだ。

松永(まつなが)先輩。子供の頃、学校で七不思議とかって流行りました?」

 きっかけとなる会話の始まりは、そんな何気ない三浜さんの発言から。

「七不思議? 怪談とか、そういうの? 何で?」

 視線を上げると、ちょうど彼女が僕の原稿に、何かを書き加えている所だった。どうやら、誤字でもあったようで、訂正作業をしながら彼女は答えた。

「夏にホラー系の公募が何個かあるんですよ。まだ先ですけど、最近はもう書き上げるのにどれだけ時間が必要か読めないんで」

「ふうん。しかし、ホラー」

 ボールペンの頭で額をノックして、僕は幼少期の記憶をほじくり返そうと努めた。でも、殆ど思い出せない。

「小学生の時はクラスにこっくりさんとかやってる子が居たし、多分七不思議とかも、それなりに存在したとは思うんだけど。でも、役に立てそうにないなぁ。子供の頃は幽霊とか祟りとか、そういう話は極力耳に入れないようにしてたからさ。それより、そもそも君って怖いの書けたっけ?」

「本格的なのは全然。でも、中学生の頃は未来の自分が小説を書いてるなんて、予想もしなかったですし。それに、色々足掻いてみたいんです。くだらない内容でもいいんで、何かありませんか?」

 三浜さんは原稿とペンを机の上に置き、拝むみたいに大げさに両手を合わせている。

「そうだなぁ。時計塔の話は聞いた事ある?」

「何ですか? それ?」

 彼女はぽかんとした顔で僕を見た。こういうのは雰囲気が大事だ。僕は声色を下げて、咀嚼する時間を与える為に、ゆっくりと意識して話す。

「三浜さんも知っていると思うけど、ここの大学の時計塔は歴史あるゴシック建築スタイルで建設されている。塔の頂上には、大きな時計が四方向に向けられていて、外壁にも草花や動物の装飾が施され、緻密で凝ったデザインが特徴だ。そして、内部は木造りで、温かみのある雰囲気になっている。一階は階段部分が中心で、二階へ上がると、外を一望できる大きな窓がある。今はどうなっているか分からないが、昔は椅子やテーブルが置かれ、喫煙スペースとして利用されていたらしい。ここまで聞いていたら分かると思うけど、明らかに大学のシンボルとして、学生たちの憩いの場となる様に設計されているんだ。でも、今は誰も近づこうともしない。何故だか分かるかい? ……それはね、数年前に起きた事故が原因なんだ!」

「詳しく教えてください」

 顔を見なくても、机に映る影で三浜さんが身を乗り出したのが分かった。彼女の反応に確かな手ごたえを感じて、僕はずいぶん前に先輩から聞いた、時計塔で数年前に起こった事故の話をぺらぺらと彼女に伝えてしまった。あそこに、誰かが居るなんて考えもせずに。


 その話をしてから約一週間後、彼女から電話があった。その頃、僕は実家に帰って祖父母の家庭菜園を手伝い、慣れない肉体労働で疲れ果てていた。電話越しの三浜さんは、嬉しそうな声で運命的な出会いがあったと、僕に断言する。彼女の求める物語の核となる物が、その出会いの中に存在するように彼女には思えたし、僕には知る由も無いけれど結果論で言えば、その直感は正しかったらしい。もちろん、それは間違いなく喜ばしい出来事だ。惜しむ点があるとすれば、その相手が僕では無かったという事だけで。どうして、彼女を誘って一緒に時計塔に行かなかったのか。そんな後悔が、僕の脳を押しつぶす。回らない頭で三浜さんが電話越しに明るい声で礼を言っているのを聞きながら、僕は誰が彼女に変化をもたらしたのか、邪推せずにはいられない。


 僕は三浜さんが好きだ。でも、彼女にとって僕は、ただの先輩Aでしかなかった。



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