◇21.おかえり
私は小説が発売されてから、いつどこで彼女が帰ってきてもいい様に、彼女との思い出のある場所を巡るのが習慣になった。春休みの今日は、午前中からシネ・リュミエールで映画を観ている。あれから、私はアザミを探すときは喫煙スペースにも顔を出す。煙草は不安な気持ちを紛らせてくれた。それに、文化祭の時と逆で、ふらっと現れたアザミが、私の煙草を奪って吸ってくれるような気がするから。根本ギリギリまで吸って粘る。けど、今回も彼女は現れなかった。気を取り直して、バスに乗って駅前に戻り、アザミのマンション近くの商店街を練り歩く。ここのコンビニも、よく彼女とお酒やおつまみを買いに来た。色んな記憶が蘇る。ル・サングリエにも足を運んで、サイトウさんに顔を見せに行く。静かに首を横に振る彼に挨拶をして、大学に遠回りしながら向かう。
この道を歩いていると、アザミと出会った日の事を思い出す。陽射しに照らされた赤い『止まれ』の標識と、駅前の商業ビルのネオンサインは、今日も哀愁を漂わせていた。もちろん変わった部分もある。道端の街路樹は青々と生い茂っているし、トタン屋根の軒下にいる茶トラはいつの間にか家族が増えていた。あの日は土砂降りの雨で、アザミは悩みを抱えた学生と思って、私の事を心配してくれたんだっけ。その日から、私は吸血鬼だという彼女の事が気になりだして、時計塔に通うようになった。正門をくぐると、今日もあの時と同じように、大学の体育館ではシューズの擦れる音と歓声が挙がっている。人気を避けるように踵を返して、私は外れにある時計塔に足早に向かう。
塔の内部はやっぱり薄暗い。死にかけの蛍光灯のおかげで、ぼんやりと階段の位置が分かる程度だ。でも、もう怖さは感じない。彼女とここで過ごした日々を抱きしめて、奥へと進む。一歩進む度に、カビ臭さと共に、慣れ親しんだ匂いがする。胸の鼓動が早まるのが分かる。吸い寄せられる様に時計塔の階段を上り、そこで私はバニラの匂いを纏う彼女に、また出会った。
太陽の光に照らされて、アザミは眼を細めながら煙草を吸っている。泣きそうになるのを必死でこらえた。ここで泣いたら絶対に止まらない。彼女に会う時は笑うって決めていたのに。アザミはちらりと私を見て、座り直して長椅子の場所を開け、自分の隣をぺちぺちと叩く。私は結局泣きながら頷いて、彼女の隣に座る。私が落ち着くのを待つように、アザミは煙草の先端をちりちりと燃やし、ひゅーと細い煙を吐き出した。
「……ほんとにもう。遅いよ」
「ごめんて」
私は頬に伝う涙をハンカチでふいて、彼女を見る。
「……おかえり」
「ん。ただいま」
そう言いながら、アザミは懐かしい顔でニヤリと笑った。




