◇20.白城がいなくなってから
三浜夏帆が帰った後、俺は中断していた作業に戻る。ナイフと燭台を持ってレンガ作りの地下に降りると、ワイン樽に囲まれた部屋の片隅で松永が地べたを這いつくばっていた。俺が燭台を傾けて、痣になった頬に蝋を垂らすと、奴は殺虫剤を浴びた虫けらの様にもがいて目を覚ました。俺の存在に気付くと、松永はロープで後ろ手に縛られた両腕を使わず、上半身を起こして器用に後ずさりする。だが、後ろは壁だ。
「お前に罪を償う意志はあるのか」
松永は壊れた首振り人形の様に何度も頷く。
「今、三浜夏帆が店に来ていた。もし、白城を殺した奴が見つかったら、どうしたいか彼女に尋ねた」
その言葉に松永の動きが止まり、俺がナイフを構えると奴は身震いしながら失禁し目を閉じた。
反吐が出るのを我慢して、俺はナイフで拘束していたロープを解いた。松永は信じられないと言った顔で俺を見る。
「『誰がやったとかはどうでもいいんです。』だとさ。良くも悪くも、彼女の眼中にお前は居ないよ。ここまでくると哀れだな。俺はお前がどう罪を償うつもりなのか死ぬまで見ている。後はどうするか自分で考えろ」
松永は呆然とした表情で、縛られて赤黒い跡が付いた手首を擦りながら、おぼつかない足取りで出ていく。床に汚れた水たまりだけが残った。
「……最後の最後まで汚しやがって」
俺が地下をモップで掃除していると、あいつから電話がかかってきた。何かあったのかと身構えたが、受話器越しの三浜夏帆はもう泣きやんでいた。彼女の話す計画は荒唐無稽で、実際に実現できる事なのかは、吸血鬼の俺から見てもかなり怪しい。三浜は俺や店の名前を出すことで、商売に迷惑が掛かる事を危惧していたが、そんな事で白城が戻ってくるなら安いものだ。むしろ、俺に遠慮して、現実と小説の境界を意識して、読者の没入感を阻害してしまえば、全て台無しになってしまう。だから、俺はル・サングリエの業績に大打撃を与えるつもりで書け、と言ってやった。
数日後、松永が自首したとの報道があった。三浜も何度か面会に行ったそうだ。二人が何を話したか俺には分からない。ただ、それは必要な事ではあったのだろう。それから、半年程で三浜の書く物語が完成し、彼女は公募とやらにそれを送った。応募が締め切られてから選考が始まるので、結果が出るのはさらに半年近く先らしい。その間、ずっとあいつはオロオロとしていたが、第三者 (でもないか)の俺は妙な自信があった。完成してから原稿を読ませてもらったが、三浜の書き上げた小説には、白城や、三浜、俺、そして松永が命を吹き込まれた状態で、確かにそこにいたからだ。奇しくも、白城の命日に結果が発表され、彼女のデビューが決まった。
それから、加筆修正を施して三浜の小説が発売された。本人曰く全国的にみれば売り上げも知名度もまだまだらしいが、三浜がペンネームではなく本名でデビューした事や、現役大学生で実在する大学周辺を舞台とした小説だった事もあって、ローカルテレビ局に取り上げられ、大学や駅前の商店街を中心に局所的には話題になっている。俺もル・サングリエが物語の舞台になっているという事で取材を受けた。俺は吸血鬼がいる店なんて怖がられると思っていたが、何故か店を覗きに来る若い女性客は増えている。よく質問されるので、店頭の目立つ場所にあいつの小説を飾っておいた。
三浜の小説は殆どが実際にあった事だが、物語は白城が死んだ場所では終わらない。あいつはこれまでに無い吸血鬼の能力を一つだけ付け加えた。
それは『吸血鬼が死ぬと、人間になって甦る』というものだ。




