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◇2.雨と煙草と

 階段を上りきると、学内を一望できる件の大きな窓と少し開けた場所があった。雨が降っているのに、何故か窓は半開きで窓枠から雨雫が垂れている。私はまたシャッターを切るためにそこに近づく。個人的には風に棚引くカーテンでもあった方が絵になるのにな、と思う。歩きながら、カビ臭さとは違う匂いがするのに気付く。


 背後で軋む音がして振り返ると、備え付けの長椅子に座った女性が足を組み替えながら、物珍しそうにこちらを眺めていた。アッシュグレーのショートボブに、少し裾の汚れたダブルの白衣、タイトジーンズに赤いローカットのスニーカー。綺麗な紅いネイルをつけた指には、火の付いた煙草が挟まっていた。窓が開いている理由の合点がいく。彼女が煙草の煙を逃がすために開けたんだ。


「んーっと、雨宿り?」

 ハスキーな声でそう呟いた彼女は、垢抜けた雰囲気を纏っていて、少なくとも文芸サークルには居ないタイプで。正直に言うと少しおっかない。今もネコ科の大型肉食獣が獲物に狙いを定める様な大きな瞳で、私を捉えている。

「えぇ、まぁ」

 話を合わせる様に頷くと、彼女は煙草をくちびるにちゅっと差し込んだ。そして、白衣のポケットからハンドタオルを取り出し、ぶっきらぼうな仕草で私にそれを投げつける。

「びちょびちょやんか。はよ拭かんと風邪ひくよ。ここ冷えるから。ウチもさっき使ったから、ちょっと湿ってるけど、そんな汚れてへんと思う」

 タオルを投げつけられた事よりも、彼女の話し方が関西弁である事に驚きつつ、私は頭を下げた。

「ありがとうございます」

 わたしが礼を言うと、彼女は座り直して長椅子の場所を開け、自分の隣をぺちぺちと叩いた。受け取ったタオルで髪を拭きながら、私は彼女の隣に座る。

「煙草の匂い大丈夫? 嫌やったら消すけど」

「別に嫌じゃないです」

「そか。良かった」

 彼女は煙草を持った左手を軽く持ち上げて、私の座る逆側へ向けてひゅーと細い煙を吐き出した。

「ここ、人こ―へんから、びっくりしたわ」

 煙草を咥えながら彼女は振り向いて、少し頬を掻きながら笑った。

「こういう時、普通なんの話するんやろね」

「私もよく分かりません」

 私も苦笑いを浮かべながら頷く。

「とりあえず自己紹介しよか。ウチ、白城(しらき)アザミ。アザミって呼んでくれたらええよ。よろしくな」

三浜夏帆(みはまかほ)です。よろしくお願いします」

 アザミは煙草を少し遠ざけて、上から下へと私を品定めするように視線を動かす。

「高校生? でも、今日日曜やし、オープンキャンパスちゃうやんね?」

「はい、一回生です。あ、いや、この春休みが終わったら、二回生です」

 私は緊張して、少し混乱しながら答えた。

「そっか。じゃあさ、敬語止めへん? ちょっと距離感が遠く感じるやん? 同じ大学に通ってるんやし、ため口にしてよ」

 アザミは有無を言わせない目力のある顔で、私を見つめてくる。

「分かり……分かった。アザミ」 

 私がそう言うと、彼女は満足そうにニヤリと笑った。

「夏帆はさ、この時計塔の噂って聞いた事無いの?」

「噂?」

 私はわざとらしく誤魔化す。アザミはまた煙草にくちづけをして、先端をちりちりと燃やし。よどんだ空気に白い煙を吹きかけた。


「ここはさ、元々小さな喫煙スペースになってたんよ。でも、数年前にそこの窓から落ちたアホな生徒がおってな。当時、学内の図書館にウチの友達もいたんやけど、建物の中に居ても悲鳴と何かが潰れたようなひしゃげた音が聞こえたらしいわ。んで、その事件のせいで時計塔の喫煙所は使用禁止。気味悪がって、ここには誰も近づかへん。知ってた?」

「その事なら知ってる」

 私は髪を拭く手を止めて、頷いた。

「知ってたんか。そっか。ふーん」

 アザミは煙草を挟んだ左手の指の腹で唇を押さえて、しばらく黙っていた。煙草の先端の煙が迷うように、ゆらゆらと揺れながら天井へと向かう。


「ウチはさ、今日は所属してる研究室で、棚卸し手伝ってたんよ。試薬の在庫数えたり、いらん物捨てたり、ガスクロって機械のメンテナンスしたりな。でもさ、一回生ならまだそういう雑用無いやろ? 夏帆はさ。今日何しに来たん?」

「いや、散歩というか。そんな大した理由じゃないんです」

「こんな天気で? 人の寄り付かん場所に? あと、また敬語に戻ってるで。初対面やけどさぁ、相談して楽になるんやったら話聞くよ? なんか辛い事でもあったん?」

 何と答えるべきか迷っていると、アザミは真面目な顔で私を見ていた。どうしよう。とても気まずい。

「あの、秘密にして欲しいんだけど」

「誰にも言わへんよ」

「あの、……小説の、ネタを探しに来たというか」

「あん?」

 この時のアザミの拍子抜けした顔はしばらく忘れないと思う。そんな表情だった。私は極力彼女の目を見ないように努めながら、ここに来た理由を説明した。私の話を聞きながら、彼女は安心した様に、けらけらと笑っている。

「つまり、夏帆は小説家になりたくて物語を書いてるけど、ちょっとスランプで。ネタ探しにわざわざ休日に大学まで来たん?」

「うん」

 私はとっくに乾いているのにタオルで髪を拭くふりをして、顔を隠しながら頷く。多分ひくぐらい赤くなっているんだと思う。耳が熱い。

「ウチさ。てっきり夏帆がなんか嫌な事あってさ、ここから飛び降りるアホ2号になろうとしてるんちゃうかなと思ってな。ほんま焦ったわ」

 アザミは根本ギリギリまで吸った煙草を携帯灰皿にしまい、濃紺色の煙草の箱を白衣の胸ポケットから取り出して、とんとんと叩いている。

「小説書いてるのって、そんな恥ずかしがる様な事なんか?」

「昔、友達とか親にカミングアウトした事あるけど。大概どん引かれて終わりだよ」

「そっか。つらいな」

 アザミはそう言いながら、慣れた手つきで2本目に火を点けた。

「アザミは何か秘密とか無いの?」

「ウチ? せやなぁ」

 彼女は少し考え込むように、ジッポライターの蓋を弄っている。開けて、閉める。カチン。


「実は吸血鬼って言ったら、嫌?」

 アザミは怪しげな瞳で八重歯を覗かせながら、ニヤリと笑う。その横顔を見ながら、私は、また心の中でシャッターを切る。まだ、会ってほんの少しの時間しか経っていないけど。私は彼女に、どうしようもなく惹かれ始めていた。


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