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◇19.絶望の果てに、涙を拭って

 私が文芸サークルの模擬店で借りていた教室の後片付けに参加して、アザミの元に帰る途中あちこちで騒然とした学生の声が聞こえた。何があったのか分からないまま、胸騒ぎだけが激しくなる。時計塔の真下には群衆が集まっていて、救急車の赤いランプが不吉に光っていた。私が人をかき分けて前へと進むと、そこには血だらけのアザミがいる。私は彼女の手を握って、一緒に救急車に乗ったけど、アザミの意識が戻る事は無かった。病院に着くと既に心肺停止の状態で、それからすぐに医師による彼女の死亡宣告がなされた。

 現実感が欠如したまま時間だけが過ぎる。大学は臨時休校となり、翌日の朝にはアザミの事は殺人事件として報道されていた。でも、私はアザミがもう居ないという事実を受け止めきれなくて、ニュースも全く見れなかった。


「……約束したのに。何あっさり死んじゃってんの、ばか」

 書き溜めた原稿を全部ゴミ箱に捨てて、私はアパートの部屋に籠って電気も付けず一日中泣いていた。涙も枯れ果てて、部屋が真っ暗になってどれくらいの時間が経っただろう。振り切れた感情がようやく何割かだけ戻ってきてくれた。正常とはいかないまでも、頭を働かせる事は出来る。落ち込んでいるだけじゃ変わらない。私はそもそも吸血鬼とは何なのかをもっと知る必要があった。そして、その手掛かりを私は既に持っているはずだ。私は泣いているあいだ、ずっと握りしめていた物を月明かりに照らしてみる。鍵に付いたガーネットのチャームは、未だ暖かな紅い輝きを放っていた。


 夏休みに何度も通った入り組んだ道を歩いていく。時間帯のせいか、人通りもなくて。隣に誰も居ない静けさが、心細さが、時折記憶の中の彼女の後ろ姿を見せてくる。改めて、アザミの存在の重みを噛みしめる。初めて彼女と来た日を思い出す。こんな形でここを訪れる事になるとは思わなかった。

 お店の扉にはクローズの札が掛けられている。でも、看板は小型の丸い照明に照らされたままだ。


『……もう閉まってるよ?』

『これは建前。まだイケる。ほんまに誰もおらん時は、ここの照明が消えてるから』

 記憶の中のアザミがル・サングリエの看板を指差す。


 私は深呼吸してから、木製の扉を引いた。店内は照明が最低限に絞られていて、シーリングファンの静かに回転する音だけが聞こえる。しばらく待つと、暗がりのカウンター奥からゆっくりとサイトウさんが現れた。彼の顔は陰になっていてよく見えない。

「こんばんは。サイトウさん」

「……お前か。白城の件は残念だった。ただ、今は取り込み中なんだ。出直してくれないか?」

「アザミの事で、サイトウさんに聞きたいことがあるんです。少しだけでも駄目ですか?」

 私はカウンターに近づいて彼の顔を見る。そこには、業務的な笑みも無ければ、威圧的な雰囲気もない。憔悴した顔で、頬が泣き腫らした様に赤くなっている。私と同じだ。

「何が聞きたい?」

「ありがとうございます。単刀直入に言いますね。サイトウさん、あなたも吸血鬼、ですよね? いや、こう聞いた方がいいですか。あなたがアザミを吸血鬼にしたんですよね?」

 彼は否定も肯定もしない。

「何でそう思う?」

「アザミから、数年前に彼女が時計塔から落ちて、怪我をしてから体に変化が起きたって所までは聞いています。それで色々調べて、自分が吸血鬼になったと考えたとも。でも、冷静に思い返すと分からない部分があるんです」

 私は彼女のマンションの本棚にあった分厚い本を鞄から取り出してカウンターに置いた。

「彼女はインターネットとか図書館にある文献とか手に入る本を読み漁って、自分が吸血鬼になったと結論付けたと言っていました。ただ、情報過多のこの時代に、吸血鬼の本質に触れるような正確な情報を、そんなピンポイントで手に入れられるのかなって、疑問がありました。アザミの部屋にあった、この闇夜の血脈という本は実に細かに吸血鬼について日本語で記されています。でも、ネットで検索しても出てこない。それに、作者の名前もバーコードも無い。つまり市場に出回っていないんです。あと、どうやって、アザミはル・サングリエで血液を購入できると知ったんでしょうか? 誰かが『薔薇の夕暮れ』の合言葉を教える必要がありますよね? ……サイトウさん、あなたが全て裏で手引きしていたんじゃないんですか?」 

 私は本に挟まった栞を引き抜いた。裏返すと、それは栞ではなく名刺になっている。『Le Singulier Saito』と金字で印刷されたそこには、ご丁寧に手書きで『薔薇の夕暮れが御勧めです』と書き加えられていた。

「そうだ。全て俺のせいだ」

「詳しく聞いてもいいですか?」

 彼は力なく頷いた。

「俺もあの大学の卒業生でな。数年前まではあそこに通っていたんだ。もう止めたが、あの頃は俺も喫煙者で、時計塔に入り浸ってた。そこに白城がやってくる様になった。煙草も吸わないのに、喫煙所に来る女子なんて珍しかったし、本人の性格もあってすぐに溶け込んだ。直接話した事は無かったが、俺も嫌いじゃなかった。あいつがいるだけで場が華やかになるんだ」

 そう言いながら、サイトウさんは悲しそうに笑う。そこでようやく分かった。あぁ、この人もアザミの事が好きだったんだ。

「台風の日に俺が喫煙所で煙草を吸った後、窓を閉め忘れていた事に気付いてさ。時計塔に戻ってみると、白城が足を滑らせて血まみれになっていた。一目で分かったよ。このままじゃ助からないって。一瞬迷ったが、俺は意識を失った彼女に自分の血を飲ませた。結果、白城は吸血鬼になり生き永らえたが、そのせいで周りから孤立するようになった。だから、俺は彼女が吸血鬼として生きていける様に、可能な限り陰からサポートすると決めた。図書館で吸血鬼について調べている白城の本の山に本物を混ぜたり、あいつの鞄の中にル・サングリエの名刺を滑り込ませて、ここが秘密の暗号で売血をしているという噂を流した。店に来ても、俺の事に気付いていないのは笑ったが、それでいいと思った。それからも、ずっと遠目から見守ってきたんだ」


 私は藁にも縋る思いで、カウンター越しに彼の腕を掴んだ。

「あの、吸血鬼のサイトウさんなら、アザミを生き返らせる古の方法とか、何か知ってるんじゃないんですか? 吸血鬼って、人間より寿命の長いイメージが定着してますし、生命力だって強いはずですよね?」

 でもサイトウさんは、首を縦に振ってくれない。

「そんな事ができるなら、もうしてるさ。俺は神様じゃない。死んだ者は生き返らない」

 サイトウさんの重みのある声が、私の肩にのしかかる。

「それに、白城は最近店に来てもただのワインを買うだけで、薔薇の夕暮れは求めなかった。だから、相当体が弱っていたはずだ」

「……そんな。私には血はちゃんと飲んでるって言ってたのに」

「何かあったのか?」

 私はアザミのマンションに初めて訪れた際の出来事を話した。彼女の事を思い出すだけで、枯れたはずの涙がまた溢れてくる。

「もう、なんで。最近は体調も良くなってる、って言ってたのに。文化祭の夜も私、彼女に吸血鬼にしてって頼んだんですよ。でも、アザミは血を吸ってくれなかった」

「……君が吸血鬼に憧れたのと同じように、彼女は人間に戻りたかったんだろ」

 私はポケットに入っていたシルクのハンカチで涙を拭う。彼はちらりと私に視線を向け、うなだれるように頭を下げた。

「結局、俺は白城を長く苦しめただけなのかもしれないな」

「そんな悲しい事、言わないでください。私たちはサイトウさんが居なかったら、出会えてません。それに、アザミも自分を吸血鬼にした人と会ったら、『ありがとう』って伝えたい、と言っていました」

「本当か? もし、そうなら少しだけ救われるよ」

 サイトウさんは私の言葉に力なく笑う。


「もし、白城を殺した奴が見つかったら、お前はどうしたい?」

「……知ってるんですか?」

 私は驚いて、サイトウさんの目を見る。

「仮定の話だ。俺はそいつを捕まえて、何であんな事をしたのか問いただして、相応の罰を与えたいと思っている。この国ではどんな理由であれ、ひと一人殺しただけじゃ極刑にならない。だが、吸血鬼の俺なら警察に捕まる前に探し出せるだろう。お前が望むなら、復讐の場を与える事も出来る」

 彼は冗談か本気か分からない真顔で話す。

「誰がやったとかはどうでもいいんです。それでアザミが帰ってくるならまだしも。でも、彼女の為にそこまで言ってくれて、ありがとうございます」

「俺がやりたいだけだよ。……ただ、確かにそんな事をしても白城も喜ばないな」

 サイトウさんは天井を見上げ、カウンターの上に置いた拳をきつく握りしめた。それから、彼は私にも新しいル・サングリエの名刺を渡して、「何かあったら連絡しろ。白城が悲しむような事だけはするな」と言い残して、カウンターの奥へと消えていった。


 ル・サングリエから帰った後、私は何もやる気が起きなくて、枕を濡らしながらスマートフォンに撮り貯めた写真をずっと眺めている。文化祭のカボチャ頭、研究室で撮った白衣姿のアザミ、夏休みに一緒に作った料理。一枚一枚スライドする度に時間が遡るみたいに、その時の記憶が蘇った。

 ある喫煙スペースで撮った写真に、ふと私の指が止まる。シネ・リュミエールに初めて行った時の写真だ。もう、ずいぶん昔の事のように感じる。二人で大学を抜け出して、車でドライブして、砂塵の瞳という映画を観た。今握りしめているハンカチも、アザミが貸してくれたものだ。ずっと借りたままでごめん。それから……。


 『でも、フィクションならって言うか。フィクションだからこそ、現実でどうしようもない事柄にも希望を与える事が出来るんちゃう?』

 あの時の彼女の言葉が、頭の奥に響く。


 アザミは吸血鬼として死んだ。それなら、まだ彼女はフィクションの影響下にいるかもしれない。私はベッドから飛び起きて、ゴミ箱に捨てた原稿を拾い上げた。私は小説の世界でなら、ヒーローや神様にだってなれる。本当は全てを思い通りに動かす事が出来るはずで。それに、これは彼女と共に同じ時間を過ごした、私にしか出来ない事だ。他の誰でもない、私がアザミを助けないと。

 ハンカチで涙を拭いて、眼鏡をかけ直し、机の上にお守り代わりのアザミの部屋の合鍵を置いた。デビューもまだなのに、ほんと責任重大。私は気合いを入れてペンを持ち、また文章を紡ぎ始める。小説を書く事は、正解なんて存在しない、風をとらえ影を追うような途方もない作業だ。でも、代わりにやってくれる人はいない。誰かに求められた訳でもない。自分の意志で机に向かっている。なら、私は自分自身を信じてやるしかないんだ。


 絶対書いてみせるから。だから待ってて、アザミ。


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