◇15.過去と、未来への約束
「大学の時計塔に行き始めた頃は、まだウチは煙草吸ってなくてな。大学で出来た、彼氏の付き添いで行ってただけなんよ。ちょうど今の夏帆みたいな感じやわ。喫煙所には色んな年代の人が居ってさ。初めは何となく怖いイメージがあったんやけど。皆、このご時世に未だに吸ってる喫煙者、って負い目があるんかな。共通する弱さと、煙草っていう分かりやすい会話のネタがあるから、普段接点が無いようなタイプの人とも、意外と普通に話せるんよ。大学やと、学長とかな。
それで喫煙所の雰囲気が好きになって、ウチも煙草吸い始めて。で、一人で大学の時計塔に行くのも抵抗が無くなったぐらいの時に、喫煙所に誰も居らんのに窓が開いててな。確かその日台風来てたし、今ぐらいの季節やわ。普段は誰か居って、大概男の人に窓は任せてたんやけど。これから天気悪なるの分かってんのに、開けっ放しにしとく訳にもいかんやんか。それで、初めてウチが閉めようと窓際に近付いたら」
アザミは話しながらおもむろに、ローストビーフに添えられていたプチトマトをフォークで刺して持ち上げた。
「近づいたら?」
「ツルっと行って、ぐちゃ」
フォークを持つ彼女の手によって、プチトマトは空中を少し彷徨い、そしてローストビーフのソースが入った小皿に押し付けられた。フォークが刺さった箇所から、トマトの果肉が零れ出る。赤いソースのたっぷりついたそれを、アザミはぺろりと飲み込んだ。
「夏やから薄着やしな。顔面から落ちて、左目とか色んなものが飛び散って、傍から見た人は即死やと思ったらしいわ。血だまりの中で、ウチも喋るどころか、息も殆ど出来へんし。あぁ、これはやったな……って思いながら、気失って。で、目ぇ覚めたら白い天井で、左の方から誰かが啜り泣く声が聞こえてな。ウチは病院のベッドでミイラみたいになってて。泣いてるのは、大学の仲良かった友達連中やった。もうウチが死んだみたいに、枕元で思い出とかをずっと話してたわ。
誰もおらんようになってから、段々意識がはっきりしてくるんやけど、違和感があんねん。体は包帯のせいで身動きが取りづらいけど、どこも痛くないし、そういえば友達を見てたのも潰れたはずの左目やった。点滴とか包帯を無理やり外して、自分の体を見てみたら、傷一つなくてな。左目も何ともない。むしろ前よりも視力が良くなった気さえするんよ。びっくりしてるお医者さんとかにお礼言ってお金払って。夜中やのに、すぐにマンションに帰ってさ。次の日には大学に行ったんよ。
……冷静に考えたら、怖がられるって分かるよな。でも、その時は全然頭回らんかって。時計塔は封鎖されてるし、噂も広まっててな。教室行ったら、幽霊とか化け物と遭遇したような目で見られたわ。時計塔はしばらくして封鎖が解除されたけど、喫煙所は使用禁止になったまま。友達やった子も皆ウチを避けるようになって、何処におっても、誰かに見られて噂されてる気がするし、ずっと居心地悪かった。で、ウチは誰も居らんようになった時計塔に入り浸るようになった。元々好きな場所やったし、人気を避けるのには丁度よかったからな。それから、ウチは院に進んで、もう知り合いは殆ど卒業したんやけど。噂だけは受け継がれてたみたいで、いつの間にか時計塔は心霊スポット呼ばわりされるようになってた。そんな感じやわ。ここまでで、何か分かりにくかったとこある?」
「その、彼氏は周りから守ってくれなかったの?」
アザミは私の失敗した料理を食べた時のような顔をしてから、ワインを一口飲んだ。
「あいつ? ……えっとな、『おまえと一緒にいたら、こっちまで変な目で見られるから別れてくれ』、やったかな。で、話も全然聞いてくれへんかって、そのまま別れた」
「サイッテーだね。そいつ」
私の反応を見て、彼女は少し嬉しそうに笑った。
「ウチもそう思う。腹立ったから、こっちから連絡先ブロックしたわ。まぁ、付き合い始めて、そんな時間経ってなかったし、今は早めにどういう人か分かっただけ良かったと思ってる。……ウチの元カレの話はええとして、その事故からな。やっぱり自分の体が普通じゃない自覚が出てくんねん。ニンニク食べたら絶対吐くし、血の匂い嗅いだら感情が押さえにくくなるし、犬歯も気付いたら牙みたいになってる。ほんで、決定的なのは日光に耐えられへん。それからインターネットとか図書館にある文献とか、手に入る本を読み漁ってな。ウチは自分が吸血鬼ってやつになったって、結論づけた。めっちゃあほらしい話やけどな」
アザミはグラスを傾けながら、自虐的な笑みを浮かべる。
「確かに、にわかには信じられない話だけど。私は実際にアザミの事観てきたからね。信じるよ。……ねぇ、質問していい? アザミは自分以外の吸血鬼の人って知ってるの? 例えば、お父さんとかお母さんは吸血鬼、なの?」
「他の吸血鬼には会った事ないし、両親が吸血鬼かどうかも、残念ながら分からへん。事故の時に両親にも連絡いったんやけど、ウチの実家大阪でここの大学から遠いからさ。電話でなんぼでも誤魔化せたんよ。『話に尾ひれついて、凄い大怪我って聞いてるかもしれんけど、ぴんぴんしてるから安心して』って、言うてしもてな。流石に両親にも白い目で見られるのは嫌やし、ずっと吸血鬼の事については話せてないなぁ。……あっ、でもウチが子供の頃運動会に来てくれて、カンカン照りの中、家族みんなでお弁当食べた記憶あるし、たぶんちゃうわ」
私もスパークリングワインを飲みながら、彼女の話について考える。
「そっか。私はアザミのご先祖様に吸血鬼がいて、怪我をきっかけにその眠ってた才能が開花したのかな、って思ったんだけど」
「ウチもそのパターンは考えた。あとは、病院での治療中に何か変な事されたかやな。売血制度の話覚えてる? 売血制度が無くなった原因に、感染症の問題があったって言ったやろ。ウチは吸血鬼が感染症の一種なんかも、って考えててさ。吸血鬼の血が仮に輸血用の血液に混じってた場合、現代の技術で他の感染症と同じようにはじかれるのか分かれへん。事故の時、ウチは輸血したみたいやから、その中に何かが混じってたんかも。……今更それが分かったところで、やけどな」
アザミは腕組みして、また唸っている。私も真似して唸ってみるけど、やっぱり答えは出てこない。
「ねぇ、仮に誰かの意志でアザミが吸血鬼になったんだとしたら、その人の事アザミは恨んでる?」
「え? どうやろ。まぁ、大変な事もあったけど、吸血鬼になってなかったら、たぶんあそこで死んでたし。夏帆とも仲良くなれてないしな。説明不足すぎるから一発は殴るけど、とりあえずは『ありがとう』かな」
「アザミは強いね」
彼女は頬を掻きながらニヤリと笑う。
「誉めても何もでーへんよ? それで、もう他に質問はない感じ?」
「あっ。あと、初めてここに来た日に、体調が悪いと『混ざる』って、言ってたでしょ? あれは、どういう意味?」
「あれは、どっかの胡散臭い本に書いてた事なんやけど。ちょっと待ってな」
彼女は立ち上がって、ベッドの横の本棚を漁る。そして、一冊の分厚い本を持ってきた。革張りで、タイトルは『闇夜の血脈~繁栄と衰退~』と書かれている。空になったお皿を机の端に寄せ、アザミは栞の挟まったページを開いて、中身を見せてくれた。私は彼女が指し示している部分を読み上げる。
「えっと、……古来より吸血鬼は、生命の根源とされる血液を吸う超常の存在であり、その見た目や力には実態が無いとされている。創作物の影響もあり、吸血鬼は西洋にルーツがあるイメージが強いが、実際には世界各地で多種多様な吸血鬼の伝承が残っており、その形態や能力にも様々な違いがある。有名な例を挙げても、蝙蝠や鼠、狼などの動物に変身する者、妖艶な美男美女で異性を魅了する者、霧や巨大な血液の塊状の不定形など、時代や地域で如実な違いがみられる。現代では考えられないが、中世の時代、民衆にとっては、吸血鬼は身近に差し迫った脅威であり、実際に吸血鬼が実在としたとしか考えられない不可解な事件の記録も現存している。筆者は、これらの吸血鬼の超常の力は、周りの人間の恐怖や拒絶などの感情、世間の認知度に影響されているのではないかと仮説を立てた。事実、固有の吸血鬼伝承・伝説が残っている場所では後年、逸話に残るものと同じ形態と能力をもつ吸血鬼が目撃されやすい。例えば、古代ルーマニアでは……」
「あっ、その辺でええよ。おつかれ。疲れたんちゃう?」
私は頷いて、ワインで喉を潤した。
「長いよー。はぁ。それで、アザミはこの本に書いてる仮説がしっくりくるの?」
「せやな。ウチは吸血鬼になってから、不定期に体調不良というか、不安定な時期があってな。夏帆を襲った時も、吸血鬼の映画やってたやろ。確か」
「鮮血のエクリプス」
私の言葉に、アザミはパチンと指を鳴らした。
「うん、それ。怪我してから病院に行くのも怖いし、体調不良の時は自分で記録取ってるんやけど。その時期は吸血鬼が出てくる漫画とかが話題になったタイミングと、重なってるのに気付いてな。ここからはウチの推測やけど、科学が発展した現代ではオカルト分野への興味や信仰が下火になって吸血鬼の力が衰えてるぶん、創作物の読者や観客の感情の影響を受けやすいんちゃうんかなって。……お酒の力借りても、やっぱ恥ずかしいわ」
彼女は両手で赤くなった顔を仰いでいる。
「夏帆も聞いてて、しんどかったんちゃう?」
「え? うーん。私は、アザミの吸血鬼の解釈を聞いて、もし人の想いや感情が世の中に直接影響を与えて、形として現れるのなら、ロマンチックで素敵だなって思った。ちょっとポジティブ過ぎるかな」
アザミは少し驚いた顔をして、それからふっと笑った。
「ううん。夏帆はそれでええと思うよ」
「ありがと。ねぇ、アザミ。前から思ってた事と、今聞いた話が頭の中で繋がったんだけど、言ってもいい?」
「何?」
彼女は優しい顔で、頬杖をついて私の言葉を待っている。
「私ね。アザミをモデルに小説を書きたいって思ってたの。それでね、もし上手に小説が書けて、たくさんの人が読んでくれたら、吸血鬼に対する世間の認知も変えられるじゃないかなって。怖がったりする対象じゃない、普通の人間となんら変わらない存在として、あなたの事を書きたいの。もちろん、アザミには迷惑が掛からないように名前とかは変えて……」
「別にそのままでええよ? 白城アザミって名前で登場させてくれたら」
「えっ? いいの? そこは嫌がると思ったんだけど」
私の困惑をよそに、彼女は真面目な顔でこちらをみる。
「夏帆は小説家になるんやろ? 小説が発売されたら、ウチが知り合い中に宣伝したるから。登場人物と同姓同名の方が、その時の話のネタになるやん。それに夏帆が有名になったら、これウチがモデルやねんって自慢できるし。あっ、ウチの事、ちゃんと美人に書いてよ?」
「うわぁ、責任重大だぁ。……でも、いいね。それ。分かった。アザミの事はすっごく魅力的に書くから。任せて」
アザミは笑いながら、左手の小指をテーブルの前に出した。
「じゃあ、約束。夏帆は頑張って小説書いて、賞取ってデビューする。ウチは完成した夏帆の小説の良さを周りに宣伝しまくる」
私も小指を出して、彼女の指に絡める。
「うん。約束ね」
それから、私たちはコンビニに追加のお酒とおつまみを買いに行って、夜通し飲み明かした。そして、そのままリビングでアザミと一緒に寝落ちして、起きた時に飲みすぎた事を後悔したのは言うまでもない。アザミはケロッとした顔で水の入ったコップを差し出しながら「吐いたら楽なるよ」って言うけど。そしたら昨日の料理も全部出ちゃうし。思い出が吐瀉物で上書きされそうで、私は何となく嫌で我慢していた。けど、まぁ、結果的には無駄な抵抗だった。




