◇14.バースディ
「夏帆はさぁ。そろそろ前期のテストやんな?」
アザミは最終的にスープカレーになったものを、スプーンで口に運びながら私を見る。
「ん? あぁ、うん。7月末だから、もうすぐだね」
「もう、ウチも来週から様子見ながらやけど、大学行くつもりやしさ。そろそろテスト勉強に専念し? ここで勉強してくれてもええけど。ウチも買い物とか家事くらいはもう自分で出来そうやから」
私はテーブルの向かい側に座る、彼女のおでこに手を当ててみるけど、確かにもう熱はない。顔色も随分良くなったように見える。
「ほんとに、もう大丈夫?」
「おかげさまでな。テスト終わったら、ちょうど週末夏帆の誕生日やろ? 何か欲しい物、無い? 車で旅行とかでもええよ」
「でも、病み上がりでしょ? まだ止めといた方がいいんじゃない?」
私の心配をよそに、アザミは首を横に振る。
「ウチがお礼したいんやって。今回は夏帆が来てくれて、ほんまに助かったんよ。だから、何かさせて?」
「んー。じゃあ、ここで宅飲みは? テストの打ち上げ兼誕生日祝いって感じで、アザミの手料理食べてみたいな。最近美味しいもの食べてないし」
彼女は視線を落として「あっ……。せやな」と、しみじみと頷いた。
「なんで今、お皿見たの?」
私の問いには答えず、彼女は笑う。
「まぁ、それなら久しぶりにちゃんとした料理作ろっかな。夏帆は嫌いな食材とか、アレルギーってあるん?」
「無いよ?」
アザミはカレーの中の、水分を吸ってぶよぶよになった魚肉ソーセージを、おそるおそる食べた。彼女の眉間に強めのしわが寄る。まぁ、それは確かに私も失敗だったと認めざるを得ないけど。
「りょうかい。じゃあ、まだ時間あるし、何作るか考えとくわ。夏帆はちゃんと勉強するんやで? 単位落として、ウチのせいにせんといてよ?」
「わかってるよ」
アザミに言った通り、私はそれから付け焼刃の試験勉強に勤しんだ。といっても、試験期間も状況は殆ど変わらなかった。アザミが過去問をくれると言うので彼女のマンションに行って、そこで分からない部分を教えてもらって、そのまま雑魚寝したり。途中からは家に帰るのも億劫で、着替えも持ち込んで殆ど自分の部屋には帰らなかった。試験なんか好きじゃないけど、宅配ピザをとって、夜通し勉強して、友達の家に連日泊まるなんて経験は初めてで。前々から準備していれば、こんな事はしなくてもいいんだけど。正直言って、それは凄く楽しかった。
試験が終わり、久しぶりに自分のアパートに帰って散らかった部屋を掃除していると、すっかり忘れていた色んな事に気付く。冷蔵庫の牛乳は賞味期限が切れているし、松永先輩が誘ってくれていた映画も、いつの間にか公開が終わっていた。前期試験が終わると長期休暇に入るから、サークル活動もしばらく無い。夏休み明けにでも、先輩には謝らないといけないかも。でも、前に買い物中にかかってきた電話の反応を考えると、今から少し億劫だった。
誕生日の夜。私はサイトウさんとの約束を果たすべく、ル・サングリエに寄ってから、彼女のマンションに向かった。私がチャイムを鳴らすと、アザミが出迎えてくれる。今日の彼女は化粧をしていて、白のオフショルダートップスに、ネイビーのクロップドパンツを穿いていた。
「そろそろ来るんちゃうかなって思ったわ」
「おまたせ。何だか今日は気合い入ってるね」
「そう? でも、いつもと同じ部屋着ってのも、特別感なくてアレやんか」
私は自分の服装を見る。最近よく着ている、ゆったりめのワンピースにカーディガン。完璧に普段着だ。
「……ちょっと着替えてきていい?」
「もう色々用意出来てるから、あかん。それに、別に可愛いやん」
アザミは赤面する私の手を取って、廊下を進む。
「今からパスタ茹でるから、ちょっと待っといて?」
そう言って私をリビングの椅子の上に座らせると、彼女は冷蔵庫から大皿を取り出して、テーブルの上に並べる。薄切りにされたローストビーフに、シーザーサラダ。彼女がテキパキと動くのを見ていると、私も何かしないと落ち着かない。何か無いか考えていると、ワインの存在をすっかり忘れていた事に気付く。
「やっぱり、私も手伝うよ。あと、言い忘れてたけど、これ持ってきたの」
私が立ち上がって保冷バックを見せると、エプロン姿の彼女の手が止まる。しまった。配慮が足りなかった。私は急いで袋から取り出して、彼女に中身をアピールする。
「あっ、ごめん。薔薇の夕暮れじゃないよ。甘口のロゼのスパークリングワイン。今日から私も二十歳で、お酒飲めるから。サイトウさんのお店で選んでもらったの」
スパークリングワインのラベルを見て、アザミは安堵の表情をみせた。
「そっか。じゃあ、夏帆はワイングラスと小皿とか用意してくれる?」
「うん。分かった」
小皿とワイングラス、フォークなどを出して、ワインのコルクとしばらく格闘していると、アザミがパスタの盛られた皿を持ってやって来た。エビとアボカドが乗った冷製クリームパスタだ。
「もう出来たの? 早くない?」
「ソースの方はもう事前に準備してたし。 それ、ウチが開けよか?」
「お願い」
私がワインボトルを手渡すと、彼女はエプロンの端でコルクを掴んで、きゅっと捻った。ポンという気持ちいい音が鳴る。彼女は手慣れた様子で、透き通ったピンク色の液体をワイングラスに注ぐ。アザミはボトルをテーブルの上に置き、エプロンを外しながら向かい側に座った。
「じゃ、乾杯しよか。夏帆、お誕生日おめでとう」
「あっ、ありがとー。じゃあ、乾杯!」
ワイングラスを軽く当てて、口に運ぶ。瞬間、テレビでいつか見たワインの作法が頭をよぎる。スパークリングワインって、グラスを回して色を楽しんだり、匂いを嗅いだりするんだっけ? 少し迷ったけど結局答えは出なくて、私は何もせずにジュースと同じ感覚で飲んだ。
「どう? 初めてのお酒の味は?」
「これがフルーティーな香り、ってやつなのかな?」
「なんで疑問形なんよ」
私の様子を、アザミはニヤニヤした顔で眺めている。
「上手く言えないけど、結構好きかもしれない」
「へー? 意外と飲めるタイプ? なら良かったやん。じゃあ、次ウチの料理も食べてみてよ」
「うん。いただきます」
私は彼女の用意してくれた料理に順番に箸をつける。どれも美味しくて幸せな気持ちが溢れるのと同時に、こんな料理の上手い人に私はなんて酷い物を一ヶ月も食べさせていたんだろうと、申し訳ない謝罪の気持ちが芽生えてくる。でも、最終的には普通に幸福感が勝った。
「ねぇ。今度、一から料理の仕方を教えてよ」
「いやや。めんどくさい」
アザミはそう言いつつも、満更でもない表情でグラスを傾けていた。
料理をあらかた食べ終えて、初めての酔いと食後の余韻に浸っていると、彼女は残り少なくなったスパークリングワインを、お互いのワイングラスに注いで、重そうに口を開く。
「夏帆は触れへんようにしてくれてるけどさ。初めて、このマンションに来てくれた日に、ウチ色々やらかしたやんか。夏帆には色々助けて貰ってるし、やっぱり私の体の事について、ちゃんと説明しといた方がええと思うんよ」
「うーん。……私はアザミの事、大事な親友だと思ってるから、困ってる時は助けるよ? そこはお互い様でね。でも、友達だからって、隠し事が一つも出来ないって訳でも無いでしょ? だから、言いにくい事とか本当は知られたくない事を、義務感でお酒の力を借りて言うつもりなら、聞きたくないかな」
私の言葉に、アザミはゆっくりと頷いた。
「ウチも、夏帆の事は大事な親友やと思っとるよ。……せやな。お酒の力を借りたかったのはあるかもしれへん。ウチも強い人間じゃないし、嫌われたくないから、今までちゃんと言わへんかった。でもな、義務感とかじゃなくて、親友やと思ってるからこそ、夏帆には知ってほしいんよ。……だから聞いてくれる?」
「うん。それなら聞く」
「ん。ありがとうな。じゃあ、何から話せばええんかな」
アザミは腕を組んで、少し唸っている。
「アホ1号の話、覚えてる?」
「……えっと?」
お酒のせいか、全然頭が回らない。
「喫煙所の二階の窓から落ちたアホな生徒がおって、あそこが心霊スポットって呼ばれるようになったって、アレ」
「あぁ、時計塔の話ね。理解した」
「あのアホ1号な。実はウチなんよ」
恥ずかしいのか酔いのせいなのか、彼女は珍しく頬を染めながら、少しずつ言葉を紡ぎ始めた。




