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12/22

◇12.ガーネット

 コンビニの入口の前に立つと、呑気な来店音と共に自動ドアが開く。外との温度差にクラクラしながら買い物かごを手に取って、ジャスミン茶にアーモンド、ドライフルーツのイチジクに、杏仁豆腐と次々放り込んだ。全てアザミが好きなものだ。それから、前に買ったお粥とか冷凍のきつねうどんとか、簡単に食べられる物も追加して、留学生っぽい店員さんがいるレジに並ぶ。彼がバーコードを読み取る間、レジ奥の棚に視線を移す。私にはまだ買えないけど、アザミが吸ってるのは確か89番。正直、隣の88番も90番も同じ商品に見えてしまう。彼女曰く、この番号は店舗によって違うらしい。私なら絶対に間違った番号を何度も注文して、そのまま「これでいいです」って買ってしまうだろう。

 流暢な「袋いりますか」という店員さんの声で、離れかけた思考が呼び戻された。慌てて頷いて会計を済ませる。外に出ると、夕暮れの濃密なオレンジ色が街を包みこんでいた。もうそろそろ今日の仕事を終えてくれても良いのに、太陽は沈みきる最後まで熱波を送り続けるつもりみたい。眩しさに目を細めながら日陰に入り、スマートフォンで「今から行くね」とメッセージを送る。既読が付くのを待つあいだ、色んな人が目の前を通り過ぎていく。買い物帰りの主婦、スーツ姿の少し年上のお兄さん、学校帰りの小学生の二人組。一週間前の豪雨なんて、たぶん皆忘れているんだ。私だって、何も無ければわざわざ思い出さない。首筋の絆創膏をなぞるとまだ鈍い痛みが走った。アザミに掴まれた部分が熱を持って、あの日の出来事が夢である事を強く否定してくる。「分かった」という短い返事を見て、目と鼻の先の彼女の部屋へと急ぐ。


 マンションのエントランスを抜け、運良く来たエレベーターに飛び乗って目的の階のボタンを押した。ガラスに反射した自分を見ながら、絆創膏が目立たないように襟を直す。私にはこの前のアザミの異質な姿の事は何も分からない。でも、誰かに話すことで癒える傷もあれば、他人に気安く触れられたくない場所もある。アザミの場合は、たぶん、まだ後者。だから、聞かない。かと言って、一人にもしておけない。私は目の前の不安そうな表情を念入りに()()()()で塗りつぶす。私が陰鬱な顔をしていたら、たぶん彼女にも伝わってしまう。それは絶対に嫌だから。


 エレベーターを降りて、チャイムを押してから鍵のかかっていない彼女の部屋の中に入る。中は相変わらず分厚いカーテンが閉め切られていて薄暗く、エアコンもついていない。なのに何処か寒気のする澱んだ空気が部屋一杯に滞留していた。そんな経験は微塵もないのに、傷ついた動物が潜む暗い穴倉を連想してしまう。私は深呼吸してから、奥へと進んだ。

「アザミ、体調はどう? 良くなった?」

「あかん」

 食い気味なアザミの返答に、自然と頬が緩んで笑ってしまいそうになる。でも、ベッドの上で夏用の薄い布団に包まって横たわる彼女が、少しだけむっとした顔でこちらを見ていて。私は、荷物を下ろしてベッドの傍にしゃがみ込んだ。

「ごめんごめん。暑くない? クーラー点けよっか?」

「暑いけど、点けたらちょっと寒い。でも、夏帆が暑いんやったら、点けてええよ」

 私は掛け布団を少しめくって、手の甲でアザミの白い肌に触れてみた。頬、首筋、おでこ。熱は下がってきているけど、霧吹きをかけたみたいな細かな水滴が浮かんでいる。

「私は別に大丈夫。外の陽射しと比べたら、ここなんて天国だし。食欲はある? どうせ朝から何も食べてないんでしょ?」

「お腹空いてない。それに、人間少々食べんでも死ねへんよ」

 アザミは子供みたいに拗ねた口ぶりで、掛け布団を頭から被った。そこには、初対面の時のクールさも、ミステリアスな雰囲気も微塵も残っていない。カエル化しそうな反面、何故か少し嬉しくもある。

「栄養取らないと、治るものも治らないよ? 汗もかいてるし、ちゃんと水分とって着替えないと。熱中症も夏風邪も甘く見ちゃ駄目なんだから。早く起きないと寝てる間に料理作って、寝起きにお見舞いするからね」

 私がそう言うと、すぐにアザミはもそもそと布団から這い出てきた。

「ちょっと待って。私の料理、そんなに駄目?」

「……いや、来てくれて助かってるし、料理作ってくれるのも、ほんまありがたいねんで? ただ、その、任せっきりやと、なぁ?」

 彼女は気まずそうに寝ぐせの付いた髪を触りながら、目を逸らす。

「なぁの後がすごい気になるけど。まぁ、とりあえず着替えてきなよ。料理、今日はしないから。コンビニで買ってきてるし。お粥ときつねうどん、どっちが良い?」

「ん。ありがと。じゃあ、きつね。あとで、お金払うわ」

 アザミは汗で張り付いたTシャツを脱ぎにくそうにしながら、脱衣所へと消えていった。その間に私もコンビニ袋を片手に、台所へと移動する。冷凍うどんの袋を破って、カチカチの麺と汁を丼に入れ電子レンジで5分。ジャスミン茶とコップ、レンゲとお箸をテーブルの上に置く。

 早くもやる事がなくなってしまった。手持ち無沙汰に台所の引き出しを開けてみる。フォーク、スプーン、コルク抜きにキッチンタイマー。もう、おおよその収納場所は把握済みだ。あれから、私は大学帰りに毎日アザミのマンションへ来ている。あの姿を見ても足を運ぶ私に彼女は何か言いたげな表情をしていたけど。私が無視してお姉さんモードで接し続けていると、次第に受け入れるようになった。だって、こんな状態の彼女を放っておける訳ない。

 それに、別に私は大したことはしていない。洋服を洗濯したり、買い物を代理でする程度だ。あと、せっかくの機会だし料理にも挑戦するようになった。口にしたアザミが顔をしかめる頻度は、確実に減ってきているはず、なんだけど。

 電子レンジのベルが鳴る。予想外にひたひたの丼を零さないようにゆっくりとテーブルに運んでいると、シャワーを浴びて着替えたであろうTシャツに短パン姿のアザミが視界の隅に入った。

「……もっと大きい丼あらへんかった?」

「今、集中してるから。黙ってて」

「あい」

 見えてないけど。今、絶対に呆れた顔してる。



 食後、お皿を洗い終えてリビングに戻ると、アザミはいつもみたいにカーテンを半開きにして窓を開け、煙草を口に胡坐をかいていた。

「ほんと、そこ好きだね」

「あかん?」

 アザミは咥え煙草を器用にぴょこぴょこ動かしながら、振り返る。

「いいよ」

 私も彼女の隣に腰を下ろした。今日の夜空は雲一つなくて、心なしか星が良く見える気がする。

「そや。夏帆、手出して。忘れんうちに、これ渡そうと思っててん」

 そう言いながら、彼女は短パンのポケットから何かを取り出して、私の両手に乗せた。銀色の鍵だ。綺麗なチャームが付いている。

「ここの部屋の鍵」

「えっと、いいの?」

 私は意図が知りたくて隣に視線を移すけど、アザミはわざとらしく煙草を深く吸い込んで全然答えてくれない。じっと見つめていると、誰もいない方向に煙を吹きかけながら、ようやく彼女は口を開いた。

「これで、夏帆来る前に玄関開けに行かんでええやろ」

 それだけ?って疑問を危うく口にしそうになる。それで、どんな答えが欲しいのか自分でもよく分からないのに。

「そっか。預かっておくね」

 私は何となく鍵を持ち上げて、チャームの中心の石を月灯りに透かせてみる。それは光を受けて、乱反射する暖かな紅い輝きを放っていた。

「ねぇ、このチャームの宝石って? プラスチックとかガラス玉には見えないんだけど」

「そこの石はガーネット。本物やけど、サイズも小っちゃいしガーネット自体そんな高ないんよ。鍵だけやと、夏帆無くしそうやしさ」

「……綺麗。絶対無くさないよ。……そう言えば、こういう宝石って誰かにプレゼントする時、意味とかあったよね? 石言葉だったかな。ガーネットは何だっけ。アザミは知ってる?」

 隣を見ると、彼女はまたタイミング良く煙草を咥えてる。

「ねぇ。それ、わざとやってない?」

 アザミは否定も肯定もせず、ただふっと鼻で笑う。

「いいよ。自分で調べるから」

 諦めてポケットからスマートフォンを取り出すと、彼女は急に俊敏な動作で私からそれを奪い取って、ベッドの上に優しく投げた。呆然としてアザミを見ると、珍しく白い頬が少しだけ色づいていた。

「ふーん?」

 私は距離を詰めて久しぶりにアザミの肩にもたれかかる。彼女も「暑い」といいつつ拒絶しなかった。


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