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◇11.雷鳴

 玄関の扉に寄りかかりながら私を出迎えてくれたアザミは、ラフにオーバーサイズのTシャツをワンピースの様に着ていた。でも、その顔は血の気が無く、いつも以上に真っ白で、髪の毛もくしゃくしゃだ。大きな瞳は何処か虚ろで、焦点が合っていないように思えた。

「ごめんな。忙しいのに」

「全然いい。それより肩貸すよ。ベッドどっち?」

 鞄と保冷バックを玄関に置いて、アザミの右腕を肩に回す。彼女の体はじっとりと湿って、熱を持っていた。

「夏風邪?」

「いや、今やってる吸血鬼の映画、知っとる? 何やったかな。ナントカの、ナントカってヤツなんやけど」

「鮮血のエクリプス?」

 確かさっき、松永先輩に誘われた映画だ。

「……よう今ので伝わったな」

「私もびっくりだよ」

「それの影響でな。……持病みたいなもん、なんやけど。たまに、()()()んよ。情けないやろ?」

 ベッドの方を自由な左手で指差しながら、自虐するみたいにアザミは笑う。だけど、その声には息絶え絶えで、いつもの覇気がなくて痛々しい。彼女の言ってる意味はよく分からないけど、今はあまり喋らせたくない。

「情けなくないよ。体調が悪い時なんて誰にでもあるって。恥ずかしがる事じゃないし、そういう時くらい、もっと周りを頼ってよ」

「なんか今日の夏帆は、お姉ちゃんみたいやな。ウチ、姉妹おらんから新鮮やわ」

「そう? じゃあ、今日は私に任せて、休んでて」

 アザミをベッドに寝かせて、私は頼りがいのあるお姉さんの顔をイメージして、笑いかける。彼女が目を閉じたのを見届けて、辺りを見渡す。でも、彼女の部屋は、分厚い遮光カーテンが閉め切られていて、すごく薄暗い。

「ごめん。アザミ、電気つけるね。タオルと着替え持ってくるよ。着替えて汗拭かないと。このままじゃ、本当に風邪ひいちゃうから」

「タオルは洗面所。……近くに服も部屋干ししてる。今着てるヤツの色違いがあるから。これ、楽なんよ」

「分かった。それの色違いね」

 電気をつけると、ようやく部屋の全貌が分かる。部屋の家具はダークトーンで統一されていて、落ち着いた雰囲気があった。ベッドの横にある本棚には大学の参考書に、たくさんのファッション雑誌、そしてやや場違いな吸血鬼について書かれた書籍が並んでいる。洗面所に行って綺麗に畳んであったバスタオルと、ぶら下がっていたTシャツと適当な下着を外して持ってきて、彼女の枕元に置いた。

「これ、タオルと服ね。自分で拭ける? お姉ちゃんが拭こうか?」

「……今の、まぁまぁ気持ち悪かったで。ん、自分でするわ」

 そう言って彼女は少し笑って、起き上がった。そして、もぞもぞとTシャツを脱ぎ始める。無防備な白いお腹が見えた。

「残念。拭くついでに、くすぐってやろうと思ったのに」

 アザミの動きが止まった。顔は見えないけど、たぶん警戒してる。

「…………、やったら怒るよ?」

「しないしない。アザミが着替えてる間に、お粥湯煎してくるから。何かあったら呼んで」

「ん。りょうかい」


 温まったお粥の入った茶碗と、ワインボトルに空のワイングラスという、斬新な組み合わせをお盆に乗せる。やっぱり、これはない。お茶のペットボトルも買った方が良かったかもしれない。薔薇の夕暮れは食後に出そうと、冷蔵庫にあったミネラルウォータ―をコップに注ぎ、交換する。意外にも彼女は料理をするみたいで、冷蔵庫にはお豆腐と野菜が入っているし、冷凍庫にはご飯やお肉が几帳面に小分けされていた。コーヒー用の牛乳と、スーパーで買ってきた総菜が申し訳程度に入っている、私の部屋の冷蔵庫とは大違いだ。

 小さな敗北感を胸にしまいながらリビングに向かうと、着替えを終えたアザミが窓際の壁にもたれ掛って、煙草を吸っていた。窓は少し開けられて、風でカーテンが棚引いてる。もう日は落ちて、外は真っ暗だ。どしゃ降りの雨の音が聞こえる。

「寝てなくて大丈夫?」

「汗拭いて着替えたら、多少楽になったんよ。ありがとうな。あと、なんか怖いんやもん。夏帆、普段料理せーへんタイプやろ」

「そうだけど。お礼と貶すの同時はやめてよ。反応が難しいじゃん」

 ボヤキながら、お盆をもって私は彼女の隣に座る。その様子を横目で見て、アザミは煙草を消しながら小さく笑った。

「はい、お粥。あと、これお水ね。ここで食べる?」

「せやな。行儀悪いけど、ここ冷たい風が気持ちいいんよ」

 彼女は私からレンゲを受け取って、お粥を口に運ぶ。お腹が空いていたのか、アザミはすぐにそれを平らげた。

「そんなに美味しかった?」

「うん。悪ないよ。今度から常備しとこ、ってなるくらいには」

「そっか。良かった。ちょっと待ってて。まだ、持ってくるものがあるから」

 私は空の食器をお盆に乗せて立ち上がり、台所に戻る。リビングの方から、「デザート?」という子供っぽいアザミの声が聞こえた。ワインボトルを冷蔵庫から取り出しながら、私も言葉を返す。

「気付いて無かったの? じゃあ、内緒!」

 薔薇の夕暮れはスクリューキャップになっていて、慣れない私でも簡単に開ける事が出来た。ワイングラスに注ぐと、濃厚なとろみのある深紅の液体が顔を見せる。酸味のある鉄の匂いが鼻を衝いた。間違いなく血液だ。それをお盆に乗せて、また彼女の元へ向かう。遠くの雷の音がした。

「ここに来る前にね、サイトウさんのお店に寄ったの。それで、アザミの事話したら、一本譲ってくれて。……アザミ、大丈夫?」

 リビングに向かうと、彼女は両手で肩を押さえて、うずくまっていた。額には大粒の汗が浮かび、苦悶の表情が見てとれる。私は咄嗟に彼女の前に、ワイングラスを差し出すが、アザミはそれを左手で払いのけた。グラスが割れ、濃い血の匂いが部屋に充満する。それと共に彼女の両目が見開かれた。

「……逃げて、早く!」

 彼女の悲痛な叫びと共に蛍光灯がスパークし、部屋が一気に暗くなる。でも、私は足が竦んで、一歩も動けなかった。暗闇の中で、アザミの眼は怪しく光り、牙が露出していく。血管が浮き出て、皮膚が泡立ち黒い羽根が生えていく。ほんの数秒で変化は終わり、それは私を押し倒した。何倍にも膨れ上がった左腕が私の首を掴んで離さない。彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。血走った目が私を捉えていた。大きな口から涎が垂れて、私の胸にかかる。初めて私は、彼女の事を本当に怖いと思ってしまった。

「アザミッ」

 私の声にも、アザミは何の反応も示さない。彼女の牙が喉元に迫る。もう駄目かもしれないと思ったその時、強烈な光と共に雷鳴が轟いた。アザミは両腕を私の体から離し、狼狽するように後ずさる。そして、部屋の隅で座り込んだ。私がゆっくりと近付くと、彼女の肩は震えていて、消えそうな声で「ごめん、ごめん」と繰り返す。涙を流すその顔は、いつものアザミに戻っていた。

 散乱した部屋で、私は困惑しながら彼女を後ろから抱きしめて、「大丈夫。大丈夫だから」と伝える事しか出来なかった。


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