新人冒険者コフル
すり鉢と乳棒で、コフルは先程から一生懸命、傷薬と、気付け薬を調合していた。
思ったよりも早かった。
師匠から言われたのだ。
「コフル、あなたも十四歳。そろそろ外の世界を知りたいとは思いませんか?」
コフルは少し悩んだ。この森の中にある瀟洒な家を離れるのかと思うと、少しだけ心細い。自分の魔術でやっていけるだろうか。だが、師は行かせたがっているのが分かる。銀色の長い髪をした優男で、どういうわけか俗世から離れた世捨て人のようにここに住み、コフルを育ててくれた。優しい目を見て、コフルは思った。この人の期待に応えてみたい。と。
そういうわけで、コフルは明日出発だというのに、思い出したように森に探索に出掛けて薬草を摘み、様々な薬を調合していた。備えあれば患いなしということだ。
扉がノックされた。もう、この優しく木戸を叩かれる音ともお別れなんだな。コフルはそう思うと一抹の寂しさを覚えた。
「コフル、そろそろ眠ったらどうですか? 村まで半日掛かるのですから寝不足では途中でバテてしまいますよ」
「はい、師匠、そうします」
コフルは懐中時計を見て夜中の一時を差していたことに気付き、今調合している薬を終わらせたら眠ることに決めた。
2
別れは味気ないものだった。だけど、おかげで心が休まった。
「いってらっしゃい、コフル。道中気を付けて。ここはあなたの家です。いつでも戻って来て良いですよ」
師匠の穏やかな笑顔と言葉に見送られ、コフルはまずは村を目指して歩いていた。
季節は春。新たな鳥達の囀りと、大きくなった山鳥の雛達がちょこちょこ横切ったり、リスやムササビが木の上で木の実を食みながら森の一員としてコフルを見ていた。
「しばらく、森を離れるから。みんな、元気でね」
コフルは森の仲間達に別れを告げ、薬の詰まった小さな背嚢を肩に担いで、手にはトネリコの魔術の杖を持ち、草葉を鳴らして歩いて行った。
そうして時折物々交換で訪れる村にコフルは辿り着いた。
今回は路銀は師匠から貰っていた。出発前に忘れていたかのようによこしたのだ。大金を。師匠のありがたみを知り、独りとなったコフルは馴染みの食堂へ足を運んだ。
「おやおや、魔女ちゃん、来てたのかい」
小太りの女将が柔和な笑顔を向けて来る。
「こんにちは、女将さん」
コフルはシチューを頼んでパンを浸して食べていた。食べながら思う。いつか路銀は尽きるだろう。でも、そんな理由で家に戻るだなんて少しカッコつかない理由だ。そうだ、独りで生きていくにはどうすれば良いのだろうか。薬師にでもなれば良いのか。
その時、大人が数人入って来た。ガラは悪くはない。親切そうな人達だが、物々しい装備をしている。抜身の両手持ちの剣に、腰に差している斧、皮と金属の鎧を着て外套を羽織っている。傭兵か、それとも冒険者か。
冒険者?
それはギルドに所属し、困りごとを解決する職業だった。コフルも勿論知っていたが失念していた。この村にも冒険者ギルドはある。
よし、挑戦してみよう。
「女将さん、シチューおかわりです!」
3
小さな村の冒険者ギルド故、建物は狭かった。
コフルは審査を受けていた。書類を書いて提出する。
「おめでとうコフル、これであんたも正式な冒険者だ」
冒険者ギルドの親父が言い、コフルは渡された金属製の板をマジマジと見詰めた。ユデ村で登録。コフル。上記の者を冒険者と認める。と記されていた。
「依頼を受けるには、まずは、何をすべきでしょうか?」
コフルが尋ねるとギルドの親父はカウンターから乗りだし、右手を指した。
四人ほど、軽装の男がいる。彼らは冒険者ということだろう。何をしているのか観察すると、掲示板に貼り出された羊皮紙を眺めている。
コフルも歩んで行った。
オーク退治の依頼。リザードマン退治の依頼。この二つがあった。冒険者達は、命が惜しいと言い合って結局出て行ってしまった。
オークもリザードマンも知っている。だが、これらが単体で居てくれれば良いが、群れの場合、コフルの手には負えなくなる。それでもリザードマンの討伐の依頼を見て、少しだけやってみたいという気がして来ていた。依頼主は湖の管理人だった。リザードマンが縄張りにし始め、観光客が来なくなった。どうにかして欲しいと記されている。
「リザードマンなら言葉が通じるかも」
コフルはそう思い、勇気を持って掲示板を指さしてギルドの主に伝えようとした。
だが、その前に依頼の記された羊皮紙は剥がされた。
大男が立っていた。無精髭で、荒っぽい顔立ちをしている。背中に見えるのは大剣、いや、巨剣。平たく分厚い刀身を持つ両刃の剣であった。
「ん?」
男がコフルに今気づいたというように見下ろした。コフルはペコリと頭を下げた。
「嬢ちゃん、まさか、この依頼を受けたかったのか?」
男は軽く驚いたように言った。
「リザードマンの言葉なら分かるので説得できればと思って」
コフルが言うと男は破顔した。
「勇敢で優しいんだなお嬢ちゃんは。気に入った。だがな、話し合いが通じなかったら殺されるぞ。そこまで考えていたか?」
「えっと……」
「俺もリザードマンの言葉を知っている。ドーガだ。この依頼、組まないか? 報酬は山分けだ」
コフルはリザードマンを説得できる自信に溢れていても、もしもの時を忘れていた。オークと出会った時だって分かり合えなかった。このドーガという人物は見た目よりも優しく、頼り甲斐のある男だとコフルは思った。
「分かりました、コフルと申します。ドーガさん、よろしくお願いいたします」
こうしてドーガが、ギルドの親父に事情を説明し、リザードマンの退治依頼の羊皮紙を提出したのであった。
4
ドーガが居てくれて本当に良かったとコフルは思った。
湖にはリザードマンが、言ってみれば二足歩行のトカゲ人間らが、群れで居たのだが、コフルとドーガの度重なる説得により、矛を収める形になった。しかし、一人、誇り高いリザードマンが一騎討ちを所望してきた。
「万が一、俺が負けたら全力で逃げろよ。話し合いも白紙になるからな」
「でも、違約金が」
「金よりも命の方が大事だ」
「分かりました」
コフルは対峙するリザードマンらと、ドーガと誇り高いリザードマンの一騎討ちの様子を見ていた。
リザードマンも鎧を着、剣を持っている。彼らもまた人間達と同じような文化を営んでいるようだ。
ドーガの剣はリザードマンの盾を打ち砕き、リザードマンはそこで突っ込んで来る。ドーガは流れるようにハイキックをし、リザードマンの顎を強かに打った。空高く上がったリザードマンの腹部にガントレットの拳を叩き込む。
誇り高いリザードマンは舌を出し、すっかりのびてしまっていた。
リザードマン達は慌てて倒れたリザードマンを担ぎ上げて、彼らの言葉で住処を変えることを誓った。
「人間の言葉よりも魔物の言葉の方が信じられるもんだ。奴らはもう来ないだろう」
ドーガが笑みを零して言った。
「それじゃあ、依頼完了ですね」
コフルは歓喜すると、ドーガは頭をボリボリ掻いた。
「それがなぁ」
ギルドに行くと、違約金を取られた。何故なら依頼内容は「退治」であったからだ。ギルドの親父が湖の管理人に事情を話すと、報酬を出すのを渋ったのか、話しが違う。ということになってしまった。
「悪いな、嬢ちゃん、初の依頼が失敗になっちまってよ」
外に出るとドーガが申し訳なさそうに言った。
「良いんです。あれが最高の形でした」
するとドーガが言った。
「どうだい、嬢ちゃん、俺と組まないか?」
「組む?」
「ああ、世の中、剣で解決できることは山ほどある。だから、人間は剣を選ぶ。だが、嬢ちゃんみたいに、言葉で分かり合おうと言う奴が大分減っちまった。王都のアカデミーでは色んな魔物の言葉を勉強できる。だが、卒業した奴らは言葉では無く力で、つまり魔術で相手を捻じ伏せようとする。俺が出会った中で言葉で分かり合おうだなんて言ったのは、嬢ちゃんで二人目だ。これだけ各地を渡り歩いてもそう考えられるのはたったの二人。世知辛い世の中だ。勿論、言葉が通じなければ俺の剣と嬢ちゃんの魔術で切り抜けることにはなるが」
コフルはドーガを見て考えていた。リザードマン語での交渉も見事なものだった。知人に習ったそうだが、とても綺麗な発音だった。そして戦いにならないように努めて冷静に、互いの利を説いた。
確かにこんな人珍しいかもしれない。コフルは決めた。
「分かりました、ドーガさんと一緒に旅をします」
「そうかい、ありがたい」
ドーガが手を差し出す。
「でも、嬢ちゃんは止めてくださいね。コフルと呼んで下さい」
「分かった、よろしくな、コフル」
「こちらこそ」
コフルは手を伸ばし自分よりも何倍か大きく、ゴツゴツした相手の手を握り返したのであった。






