引っ張られた手
暗くぼんやりとした意識の中、起きているのかはたまた寝ているのかすら定かではない私めは大きく息を吐き出します。
「い、一体何が起こって……」
<地神>イアに立ち向かおうとした時に起きた謎の異変。
それによって視界……ではなく世界が歪んだ錯覚に陥り、その拍子に意識をも途切れさせてしまったことだけは覚えているのですが……。
「ゲホッ! ゲホッ! か、身体が重い……。ですが……何とか起き上がらねば……」
全身を襲う倦怠感と、ずっと鳴り止まない頭痛に苦しみながらも何とか立ち上がります。
そして目の前に拡がる光景に、
「え……? なんですか……これは……?」
唖然と立ち尽くしてしまいました。
形が捻れた跡形もない建物。
宙で浮く瓦礫。
地面と天井がひっくり返っている上下逆さまの空間。
ある箇所だけ消しゴムで消したかのようにぽっかりと空いた場所。
どこかへ繋がっているかと思わせながらも、どこに繋がっていることすら定かではないドス黒い渦。
私めの眼に映るのは、何とも説明しずらい非現実そのものでした。
「どうして……いつの間に……こんなことに……? ここは本当に地底都市……なのですか……?」
夢であるのならどうか夢であって欲しい。
そう願ってしまった方が気が楽になると言わんばかりの異常さに、さらに頭が痛くなります。
「一体誰が……こんなことを……? まさか<地神>イアが……? いいえ、この感じは……」
断定まで行かずとも、こんな風に空間を滅茶苦茶にしてしまえる御方は私めの知り得る限り、たった一人しかおりません。
どうかそうあって欲しくない。
そう頭では否定しても真実は変わらないでしょう。私めはこの事態を巻き起こしたであろう張本人の名を呟きます。
「アメルダ先生……どうしても信じたくはありませんが、これは貴女様がやったのですね……?」
図らずも一切予期していない場面に出くわしてしまったからか脳内の処理能力は全く機能しておらず、さっきから一向に収まらない頭痛と共に情報がグチャグチャと駆け巡ります。
私めはその気持ち悪さを鎮めるように深呼吸をします。
「……ともかくまず第一に私めがしなければならないのは、一連の先生の行動の真意を確認すること。その為にはまず――」
私めはまるで台風が過ぎ去ったかのように一本に連なっている件の異常事態の先を見つめます。
きっとここを辿れば先生と再会できる。
「必ずやアメルダ先生を止めなければ……ッ!」
そう意を決しますが、本来魔力を宿さないこの私めが願うのもおこがましいのは百も承知です。
それでも【アンダグラーダ】に訪れる前、先生の役に立つと豪語した手前それを反故にしたくなかったという意地もあるでしょうが、やはり一番は先生を救いたいという想いが強いからこそ出た言葉でもあります。
――何があっても共に笑顔で【コミティア】に帰還する。そんな望みを胸に抱きつつ、たった一人歩き始めたのでした。
……そうして先生が残した痕跡を追うこと約数分。いつの間にか【アンダグラーダ】へと続く大扉も通過しており、どうやら被害はここにも及んでいる様でした。
そんな【アンダグラーダ】もやはり隣町と同様に破壊し尽くされており、ただ真っすぐ歩くだけでも酔ってしまいます。
「……この惨状を見れば見る程、気持ちが悪くなります。先生……どうして理由もなく、”あの魔術”に似た力を振るったというのです?」
二年前、【コミティア】を襲った巨大隕石を屠った”次元斬”。
その技は正に、世界の理・概念・常識諸々を根底から捻じ曲げ、下手をすれば世界の破滅をも招く脅威だと私めは感じておりました。
そう私めでも思うことを先生が意識できない筈はありません。
(当時は絶対絶命の危機だったからこそ”次元斬”に頼る他選択肢はなかった。それも本来封印していなければならなかった<黒樺の杖>の解放をしてまで)
それくらい先生は自分の本領を誰よりも恐れ、気を配っていた。
にも関わらず、結果はこれ。正直、弟子である私めですら正気を疑います。だからこそ私めは、
「貴女は誰なのです?」
眼前に佇む<大魔女>アメルダ様の皮を被った何者かに向けてこう尋ねたのでした。
●
「――――」
私めの問い掛けに、その相手は言葉を返すどころか顔すら向けませんでした。
ただぼんやりと虚空だけを見つめていた相手は何も考えず、ただ乱雑に杖を振り下ろしました。
「……ッ」
その瞬間、音もなく周りの空間が引き裂かれ先程まで見たような異常が発生します。
それによって生まれた衝撃波に吹っ飛ばされそうになりますが、何とか耐え抜きます。その最中、私めは大声を張り上げます。
「先生……。アメルダ先生……ッ!」
「――――」
そう相手の名を呼び続けても効果は無し。さらにそもそも聞く耳持たずと言わんばかりに杖を振り回します。
「――――」
私めがいようがいまいがお構いなしに荒れ狂う相手の猛牙にとうとう、
「がぁッ!?」
右手の二の腕部分が捕えられてしまいました。
「ぐ……ぐぅ~……ッ!」
ほんの微か身体を抉られただけだというのに、今まで感じたことの無い様な激痛が走ります。
悶絶しもがき苦しみますが、相手にとってそんな都合は知ったこっちゃないと言わんばかりに暴走は止まりませんでした。
「ダ、ダメです……先生……。それ以上は貴女が貴女でいられなくなってしまいますよ……ッ! 一緒に……【コミティア】に戻りましょう……」
そんな心の底の訴えは当然相手に届くことはなく、先生もどきの何かは理性を失った化け物の如く暴れ散らかすのでした。
●
「……はぁ……はぁ……」
――これで何十回目でしょうか? 気絶した身体を無理矢理叩き起こして立ち上がったのは。
「…………」
それでももうずっと前から意識は朦朧としっぱなし。そもそも実際に立てているのかすら怪しいですし、はたまたここは現実ではない可能性もあります。
そんな曖昧な意識の中、これまた弱々しい薄れた声がしました。
「あなたは本当に馬鹿ですね。何故そこまでしてアレをどうにかしようとするのですか?」
赤く染まった半開きの視界の先には、今や原形すら留めていないボロボロの家事使用人の服を着飾った女性――<地神>イアが疲れ切ったかのように座り込んでおりました。
「もう十二分に痛感したのではありませんか? アレはもうわたしやあなたが知る<大魔女>アメルダではないことを。にも関わらず、分を弁まえず助けてやろう等、ちゃんちゃらおかしいですよ?」
「…………」
そんなこと貴女様に言われる筋合いはありません。
そう返したくても当然口なんて動かしようがないのですから無言で<地神>イアを見つめると、彼女は何となくその意図を読み込んだご様子でした。
「元より折れるつもりは毛頭ない、そう言いたげですね? ですが実際はどうです? アレの目にはわたしは愚かあなたの姿すら写ってはいない。あんなのはもう、なりふり構わず身勝手に世界を崩壊させる厄災に他なりません。だからこそ断定しましょう。それをたった一人の魔力すら宿さぬ少女がどうにか出来る可能性はゼロ。……悪いことは言いません。アレを救うことは諦めなさい」
「…………」
私めは否定の意を込めて大きく首を横に振ります。
私めのその態度に<地神>イアは苛立ち、舌打ちを鳴らします。
「ふざけるのも大概にしなさい。本来あなた達のようなニンゲンが嫌い故、最悪どうなってもいいと考えているこのわたしが無駄に命を散らすなとわざわざ忠告してあげているのです。それだけ状況が深刻であることがわからないあなたではないでしょう?」
別に<地神>イアは意地悪で私めを止めようとしている訳ではありません。その言葉通り、この人は純粋に私めの身を案じていらっしゃるのです。
それでも私めは――
「待ちなさい! くッ……!? 肝心な時に身体が……」
イア様の制止を振り切り、性懲りもなく先生の元に歩み寄ります。
「――――」
こうして何度近付いても先生は一向にこちらを認知して下さりません。なら何度でもやるまでです。
「…………」
引きずることでしか動かない脚を強引に引っ張り、血の味がする呼吸を繰り返しながら先生の元へと向かいます。
「……ッ!」
その最中、先生の足元で転がっている一人の少女を発見します。
きっと先生は彼女のことも全く気に留めていないことでしょう。なら至近距離で気絶している彼女の身が危ない。もしあのまま彼女が放置されれば先生が人殺しになってしまう。
その事態は必ずや阻止せねば。私めは決死の覚悟で彼女を救出しようとします。
「ぐ……がぁ……ッ!」
先生に接近すればする程、空間の歪をこの身で受けることとなります。
それに伴って刻まれる痛みは私めが今まで体験したどの拷問よりも悲痛でした。それでも私めは足を止めません。
そしてとうとう、
「いい加減辞めて下さいと……言ってますよね、先生……ッ!」
先生の手を掴むことに成功し、やっと初めて視線を合わせられました。
「――――」
その刹那です。
先生が私めのことを認知したかと思った矢先、強引にその手を振り払い足元に転がっていた<土の大精霊>ノムゥを遠く――正確には<地神>イアが居る場所に飛ばしたかと思うと、さっきまでの無差別な破壊活動がまるで嘘だったかのようにその方角へ正確極まりない標準を合わせたのです。
するとどうでしょう。
「……させるもの……ですかぁ~ッ!」
私めはその間に割り込むように飛び出しておりました。
「ぁ……あぁー……――」
そうしてどうなったかなんてことさらに説明する必要は無いでしょう。
先生の”魔術”をモロに喰らった私めの全身から力が抜け落ちます。
薄れゆく意識の中、無意識の内に先生へ手を伸ばします。
(申し訳御座いません、先生……。やはり私めは貴女様に何もしてあげられなかった……)
もうダメだ。
全てを諦めたその時です。
「――いいえ、これで十分よ。後のことは私に任せて頂戴」
ふとその手が何者かによって引っ張られたのです。




