<海神>ポセイン
「――クフフフフフフ……ッ! カンカンと照り付ける太陽……ッ! 白き雲……ッ! そして水平線の彼方まで続いていると言わんばかりの蒼き大海原……ッ! こんな素晴らしき景観を前にして心を躍らせるなと言うのが無理な話じゃ!」
そう豪語しつつアメルダ先生は眼前に拡がる海にえらく心酔なさっておりました。
「どうじゃ、エメルダよ! これが海であるぞ! 当然目の当たりにするのは初めてであろう?」
「そうですね、どう言葉にすればいいかわからないくらいの壮観で御座います」
「じゃろう? じゃろう? お主とこの景色を共感出来て、妾は感激じゃわい!」
アメルダ先生は見るからにソワソワとしており、それと同時に目もキラッキラに輝かせておりました。
何だかおかしな話です。本来子供である私めよりも気分を高揚させているのですから。
そんな海へと赴く前、私めは先生と共にとある像の前に立っておりました。
「これが【シールス】もう一つの観光名所である<海神>ポセイン様の銅像ですか?」
「あぁ、そうじゃ。神々しいであろう?」
「はい、本当に。確か世界の創世記において海を拡げたという逸話があるのですよね?」
<海神>ポセイン様。見た目は可憐で優雅な人魚らしく、またあまりにも大きな巨体をしていたのだとか。
そんなポセイン様は、”トライデンタル”と呼ばれる銃の形をした<神具>を用い、世界を蒼色に染める役割を担っていたようです。
「その”トライデンタル”の一発は空をも裂く大威力。そうすることによって半ば強引に雨雲を発生させ、強引に豪雨を降らせたとの逸話が残っています。ポセイン様は”トライデンタル”のその力を使い、元々水の一滴すら滴らなかった干ばつ地帯の【シールス】を”蒼き都”と呼ぶに相応しい大海に造り変えたのですね?」
まさかたった一丁の銃だけで海一個を形成してしまうとは。
(その驚異的な力に私めは覚えがあります。それは――)
「――まるで先生が用いていたあの”黒樺の杖”を彷彿とさせます」
「いや。お主には悪いが、そう比べるのもおこがましいくらい、レベルが違い過ぎるでの。いくら蓄積魔力量が多く、そして”魔術”の才に恵まれていようとも所詮妾は人の身に過ぎぬ。全身が”マナ”で構築された神には到底敵わぬでの。それに力を放出する媒介においても、人の手によって作られた”黒樺の杖”と、神自らが抽出して練り上げた<神具>とでは天と地程の力の差がある。その構図は正に、底辺の人間と最上位の神のようなものじゃ。流石の妾でも神と競おうものなら、一瞬で塵芥にされるのがオチじゃろうな」
「そ、そんなにも差が……。本当に凄まじいのですね、神という存在は……」
「じゃからこそ、今もこうして海の守り神として崇められておるのじゃよ。その分、あんなことをしでかした不届き者は許せぬでの」
先生はそう呟きつつ、<海神>ポセイン像の手元――今は不自然に空いている場所を見つめます。
「本来ならあそこには、<神具>”トライデンタル”が収められているのでしたっけ?」
「あぁ。材質も機能も本物とは全く違う模造品とは言え、仮にも<海神>が実際に用いたとされる武具じゃ。それを持ち去るなど言語道断。罰当たりにも程があるでの」
「噂ではそのせいで【シールス】の天候が悪くなったという方もいらっしゃいますが、実の所どうなんでしょう?」
「そこまではわからん。じゃが、少々不穏な空気が漂っておるような気がしなくともない。こればっかりはその異常気象とやらを実際に目にしなければ判断のしようが……って、妾は一体何を言っておるのじゃ? 嵐なんて起きて欲しくはないでの」
先生は苦笑いを浮かべつつ手を叩きます。
「ともかく観たい物は観れたし、もうそろそろここを出発したい所じゃが、その前に旅行のガイドと合流する手筈になっておるでの」
「確かにそうですね。この旅行は一応ツアーですから、現地案内の担当の方が付きっきりになって下さるのですよね?」
「その筈じゃがの。集合場所はここで合っとるし、時間も少し過ぎてるときた。まさかすっぽ抜かされたりしておらぬじゃろうな?」
そう仰った先生の額にじんわりと汗が流れます。
流石に海風があるとはいえ、気候柄温暖である【シールス】の炎天下にずっと晒されれば、当然身体に熱が帯びます。
もしこのまま海に直行出来れば、涼しい気分にもなれるでしょうが、ガイドの方との約束を勝手に破るワケにもいかず、身動きが取れない状況でした。
私めは手持ち無沙汰的に先生へ問いを投げ掛けます。
「それにしても平気ですかね? 私め達の素性がバレたりしないでしょうか? 本来ならガイドの方と同行するのはリスクしかないと思われるのですが?」
「恐らくじゃが、さほど気にする必要はないでの。【コミティア】ならまだしも世界各国から観光客が集まるここ【シールス】に紛れてしまうえば、そう易々と妾とお主の正体を暴かれる可能性は少ないとみておる。ぺちゃくちゃとうっかり口を滑らせん限りはの。……まぁそれについては、この妾が一番気を付けばなならぬのじゃがな! ガハハ!」
先生は自虐的に顎を上げて笑うと、面目無さそうに頭の後ろを掻く。
「お主には悪いが、妾はどうにもそういう演技や嘘は苦手じゃ。なるべくボロを出さぬ様に尽力はするが、もしもの時はフォローを頼むぞ、エメラルダ」
「はい、畏まりました、アマルダ先生!」
このようにお互いを事前に決めた偽名で呼び合います。
今まで呼んだことのない名前に戸惑いを覚え、どうにも歯が浮きそうになりますが、自分達の身を護るためには致し方のないこと。なんとかして慣れないといけませんね。
(アマルダ先生……アマルダ先生……。はは、なんとも言いにくいです)
言い慣れない名称を何度も心の中で反芻していると、どこからともなく何かが地面を擦る変な音が聞こえてきたのです。
何だろう?と音がする方を向くと、その奥から巨大な魚らしき影がこちらへと近付いて来ていたのがわかりました。
その謎の光景に思わずギョッと目を丸くさせます。
(魚が歩いてる……じゃなくて、よく見ると誰かが引っ張ってるのでしょうか!? それに、あんな人間の体の数倍もしているであろう魚をお一人で担いでいるご様子。どんな怪力ですか、一体!?)
突如として現れた謎の人物の行動に、私めや先生だけでなく、同時に<海神>ポセイン像を観に来ていた観光客全員がポカンと口を開けておりました。
ズルズルという魚を引きずる音がどんどん大きくなり、そしてゆっくりと鳴り止みました。
「「…………」」
未だ呆然としてしまっている私め達を他所に、魚を引っ張ってきた蒼色の髪をした人物――色黒に焼かれた健康的な肌と、水着の隙間から伺える六つに割れた腹筋も魅力的な女性――がキョロキョロと辺りを見渡し、何やらこっちを凝視したかと思うと、一気にこちらへ近付いて来ました。
「あっ! その翠色の髪のお嬢ちゃんと、紫色の髪の少女はもしや! もしかして君達だし? 【コミティア】から遠渡遥々来たっていうエメっちとアマっちってのはさ?」
いきなり顔を詰められたものですから、流石の先生も困惑気味に表情を歪めます。
「い、如何にもそうじゃが、其方は一体何者じゃ?」
「あっ、そういえば申し遅れたし! 二人共あまりにも可愛いんで、思わず気分が上がっちまったみたいだし。ウチの名はディーネ。お二人さんの【シールス】旅行の案内を承ったガイド担当って奴だし!」




