這い寄る深淵
突然、目と鼻の先に一人の幼い女の子が現れたものですから、ビックリして心臓が飛び出そうになりました。
(それにここは個室の筈……。もしや、先程扉が開けられた時に忍び込んだのでしょうか?)
彼女はこちらのそんな動揺など露知らず、質問をし返します。
「ねぇ、そうだとはおもわない?」
「え!? え……えっと、ごめんね、おねえちゃんさ、貴女がいきなり現れてとってもビックリしちゃったから、何を言ってくれたかは覚えてないんだ」
「そうなの? もお、ちゃんとしてよ、おねぇちゃん!」
「は、はい……」
(何故か年下の幼女に馬鹿にされてしまいました。もう……何が何だかわかりません。そもそもこの子は誰なのです?)
「え、えっと……お父さんとお母さんはどこかにいないの? もしかしてはぐれちゃったのかな?」
すると、幼女はその年では絶対に引き出せないであろう妖艶な笑みを浮かべます。
「こりゃまた、とんちんかんなことをきくんだねぇ。あたしはいつもそばにいたじゃない?」
「?」
(ずっといた……? 私めの側に……? それは一体……)
「もしかして【コミティア】に住んでるのかな?」
「ブッブ~! もっとみぢかだよ! こうみえておねぇちゃんのことはなんでもおみとおしなんだからね! だからこそわかるんだぁ、おねぇちゃんがず~っと、くるしくてつらいおもいをしていたことがね」
ニコニコ顔でそんなことを言う幼女。
一見、空気を読めない子供の言葉に過ぎないというのに、私めは動揺を隠せませんでした。
「な、何を言ってるのかな? そんなこと一度も考えては……」
「むりはしちゃだめだよ。とくに、そういういやなことについてはさ。おねぇちゃんはもうすこし、じぶんにしょうじきになったほうがいいんじゃない?」
「……貴方のような小さい子に私めの何がわかると言うのです?」
「わかるよ。おねえちゃんは、まえからずっとひとりぼっちで、それはこれからさきもかわらないってことくらいはさ。そして、それをむいしきにじかくしているおねぇちゃんは、だれにもそのことをいえずにいる。ちがうかな?」
「…………」
幼女はどこまでも深い黒色の瞳をこちらへ向けつつ、私めの核心を突いてきたのです。
(本当に何がどうなっているのです……。なんでこの子は私めのことを全部見通しているのでしょう……)
そのことが怖くてたまらなかった私めは恐る恐る幼女に問い掛けます。
「一体貴方は誰なのです? きっと普通の人ではないのでしょう。もったいぶらずに教えて下さい」
「いいよ! べつにかくしたいことじゃないしね! あたしはさ――」
幼女は軽くそう言いつつ、真横に置いてあるサンディ様の鞄に手を突っ込みます。そして、何かを掴んで戻ってきた彼女の手には――
「これがあたしのしょうたいだよ!」
<黒樺の杖>があったのです。
●
衝撃の展開を目の当たりにした私めは生唾を飲み込みます。
「<黒樺の杖>……それには人格が宿っていたのですか?」
「せいかくには、あたしがあのつえにとじこめられてたっていったほうがただしいかな。ひどいよね、ちょっとちからがあっただけだったのにさ~」
幼女はどうにも不服そうに頬を膨らませます。しかしその後、私めの手を握り上下に激しく振ります。
「だけど、おねぇちゃんのおかげであたしはじゆうになれた! ありがとねッ!」
「そんな……貴方のためではありませんよ。<黒樺の杖>を持ち出したのはアメルダ先生の力になると思ったからで……」
「それでも、あたしをときはなてたのはおねぇちゃんしかいなかったはずだよ? まるでこれはうんめいだね!」
握られたままであった私めの手を幼女はギュッと握り直します。
ですが、私めはその手を強引に引き剥がしました。
「運命なんてとんでもありません。本来<黒樺の杖>は先生とサンディ様が危険視している程の代物。そこに封じ込められていた貴方という存在を簡単に受け入れる訳にはいきません!」
「そんなかなしいこといわないでよ。おねぇちゃんをしんにすくってあげられるのはあたしだけなのにさ」
「何を言っているのです?」
幼女は『話を少し前に戻そうか』と前置きしつつ、先の言葉の真意を語り始めました。
「たしかにおねぇちゃんは、<だいまじょ>にかわれてじんせいがおおきくかわった。そのけっか、きょうまでぶじにいきてこられた。だけもど、おねぇちゃんのこころはまったくみたされてはいない。もっといえば、ふあんときょうふでいっぱいだ。いつのひかしつぼうされ、すてられちゃうんじゃないかってね」
「! 違いま――」
「ちがくないから」
私めの反論を、幼女は強く否定します。
「おねぇちゃんが<むまりょくのいみこ>なのはふへんなこと。それがかわらないかぎり、おねぇちゃんはえいねんにすくわれないし、きぼうもない。でしょ?」
「だから違うと言っているではありませんかッ!」
もしかすると、ここまで怒りが沸き上がってきたのは生まれて初めてのことだったかもしれません。
どうしてそこまで感情が高ぶってしまったのか? その理由は、我が師を侮辱されたからかもしれません。
「アメルダ先生は決してそんなことをなさりません! 私めのことはともかく、あの御方を悪く言うのだけは許しませんよ?」
今までしたことの無いような睨みを効かせますが、幼女は澄ました表情を崩しません。
「おねぇちゃん、それはもうしんっていうあぶないちょうこうだよ。うらぎられるのはきまりきってるのに、そんなしんようをしちゃダメじゃない?」
「妄信だろうと構いやしません。先生は私めにとって命の恩人。その方を信じないのは不敬に他なりません」
「あくまでじぶんをだましつづけるんだ。たとえそのおもいがきょせいだったとしても」
幼女は失望の溜息を吐き出します。
「それはかなしいなぁ。そのゆがみはいずれおねぇちゃんをさいあくのみらいにみちびく。あたし、そんなてんかいはのぞんでないよ~」
幼女はあまり上手ではない泣き真似をします。
対し、私めは胸を張り自信満々に応えます。
「心配いりません。私めにはアメルダ先生とサンディ様という心強い味方がいるのです。その方達がいるのなら私めは百人力です。だから絶対に貴方の思い通りにはさせません」
「あたしてきにそれはおすすめしない。だってそのひとたちは、おねぇちゃんとおなじばしょにたってないんだし」
「それはどういう意味です?」
「つまり、おねぇちゃんとのきょりはちぢまらないってこと。あのふたりは、もってるがわのにんげん。どうしたって、なにももってないおねぇちゃんとはわかりあえないの。だからさ、あのきしがさっきいった『むまりょくでもなにももんだいない』っていうせりふにはへどがでるわ。つくづく、すくいようがないなあほなきしだこと」
幼女がサンディ様をそう罵った時です。真横から声が掛けられました。
「おいおいおいぃ~、もしや誰かの悪口大会開催中~? それ超面白そうだからワタシも交ぜてくれない?」
そこにいらっしゃったのは、先程まで弁当の買出しに行っていたサンディ様ご本人でした。
その姿を見た幼女は苦笑いを浮かべます。
「あらら、おじゃまむしがきちゃった」
「そう邪険にしないでよ? 五年前、共に死闘を繰り広げた仲じゃない? でしょ、深淵?」
そう仰りつつ、サンディ様は黄金色の剣を抜きます。
それに際し、幼女も<黒樺の杖>を構えます。
「「――――」」
その後、刹那の間に両者の力がぶつかり合い、空間に亀裂が生じたのでした。




