契約
本当は魔女になんて、なりたくなかった。
それでも生きていくために、私は大河さんに近づくしかなかった。
──ずっと、ずっと。罪悪感で、胸がいっぱいだった。
◆
これまでの人生を極端に不幸だと思ったことはない。
けれど、私の家は昔から貧乏だった。
父、母、三人の弟、そして私。四人姉弟の長女として、これまで私は漆原家で過ごしてきた。共働きの両親は稼ぎが少ないわけではないけれど、特別稼いでいるわけでもなくて。六人で生活するとなると、必然的に質素な暮らしを送らざるを得なかった。正直、生きていくので精いっぱいだったと思う。
それでも、私は一度だって自分を生んだ両親を恨んだことはない。お金がなくても家族みんなが居れば、それだけで幸せだったから。冬は隙間風が酷くて凍えることもあったけれど、みんなで肩を寄せて笑い合っていれば、身体は寒くても心はポカポカ温かかった。
家族のみんなが好きだった。だから私は、みんながもっと暮らしやすくなるように家事も勉強も頑張った。弟たちが反抗期の時はあまり「おいしい」と言ってもらえなかったけど、毎日みんなのためにお母さんと食卓に立った。良い大学に行って良い企業に入って、将来みんなを楽させられるように、奨学金を借りながら学業に励んだ。
周りの子たちからは、「青春を犠牲にしてるようなものだよ! もったいない!」なんて言われたこともある。それでも気にせず、私は小学校から高校までひたすら勉学に打ち込んだ。
みんなで何かをがんばったり、誰かに恋をしてみたり。そういうキラキラしたイベントとか、甘酸っぱい出来事にはあまり縁がなかった学生時代だと思う。でも私にとっては、『家族のためにがんばること』も十分立派な青春だった。
努力をすれば、いつかきっと大好きな人たちを幸せにできる。
そう信じて私は受験戦争を乗り越え、日本一と名高い東都大学に合格した。
◆
大学に入ってからも、私は一般的な青春とは縁遠かった。授業の時間以外は極力バイトをして家計の負担を減らしたかったし、自分の生活費を稼ぐのにも必死だったから仕方が無い。越境して一人暮らしになったけれど、『生きるので精いっぱい』という状況は変わらなかった。
それでも、みんなの笑顔を思い浮かべれば苦しいなんて思うことはなかった。
努力はいつか報われる。少なくとも大学一年生の時までは、素直にそう信じられる自分でいられた。
けれど、私は知らなかった──神様は時に残酷で、世界は意外と簡単に変わってしまうということを。
◆
それは、本当に突然の出来事だった。
「え……? お父さんが、行方不明……!?」
大学二年の春。久しぶりに弟から連絡を受けた、あの瞬間のことは今でもハッキリと覚えている。
ある日突然、お父さんがいなくなった。家族で必死に探したけれど、どこにも姿が見当たらない。一番上の弟から必死に伝えられたのは、そんな内容だった。
最初は、事件や事故に巻き込まれたんじゃないかと思った。とにかく心配で心配で仕方がなかった。
でも、
「こっちは大丈夫だから、アンタはちゃんと大学に行くんだよ! いいわね?」
お母さんが気丈にそう言うものだから、私は不安を覚えつつも大学に通う生活を続けるしかなかった。
◆
心配するなと言われたけれど、そういうわけにもいかず。悶々とした状態で、私は一ヶ月間を過ごした。
そして、迎えた六月初旬。
「姉さん! 母さんが、母さんが……!!」
──その心配は、最悪な形で現実となった。
お父さんが行方をくらました後、お母さんは家族を養うために無理してパートの時間を増やした。その結果、無理が祟って過労で倒れてしまった。二番目の弟が、電話口で泣きそうになりながら私にそう伝えてきたのである。
「はぁっ! はぁっ……!」
連絡を受けてすぐ、私は特急列車に飛び乗った。
実家の最寄り駅に着いてからは、なりふり構わず全力で病院まで走った。
「はっ、はぁっ! おかあさん……!」
病室に着くと、そこには安らかに眠る母の姿があった。
弟たちは荷物を取りに一時帰宅しているのか、姿が見えない。
「やあやあ漆原沙耶さん、はじめまして」
──そして、ベッドの隣には見知らぬ男性が立っていた。
「え、えっと……どちら様ですか?」
振り向いてにこやかに笑う彼は、随分と中性的な顔立ちだった。
きめこまやかな白髪に、エメラルドのような瞳。
執事服のような正装を身に纏った美しい彼は、ゆっくりとこちらに歩み寄って来る。
「ボクの名前は秋山シオン。岩崎グループに仕える使用人って言えば伝わるかな?」
「え? 岩崎グループって、あの、日本トップ企業の……?」
「ああ、そうさ。あまりに突然で驚くかもしれないけど、君には二点ほど伝えたいことがあってね。ひとつは、君のお父さんが1000万もの借金を背負って行方をくらましていること。もうひとつは、その借金を代わりに君が返すチャンスがあるということ」
「えぇ!? しゃ、借金!? わ、私が代わりにって一体どういう……!?」
あまりの情報量に慌てふためきながら、矢継ぎ早に問い返した、その瞬間──
「──なに、簡単さ。ちょっくら魔女になって、ボクのご主人様に近づいてくれればいい」
シオンさんは不適な笑みを浮かべつつ、そう呟いた。