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午後の授業は午前中以上に頭に入らなかった。今夜待ち受けている芦屋さんとの密会の件に加え、沙耶が昼休み中に浮かべていた儚げな表情が、どうにも脳裏にこびりついて離れなかったのである。
【私を助けてくれませんか?】
なぜ、あんなことを言ったのか。
今、彼女はどんな心境なのか。
それは魔女、あるいは“あの子”としての言葉だったのか。
はたまた魔女ハウスの枠組みに関係なく、“漆原沙耶”としての言葉だったのか──
講義終了後、帰りの道すがら。
街中で流れている旬の音楽は、一節たりとも頭に入らなかった。
◆
今日は一日フルで講義が埋まっていたため、帰宅してからすぐに夕食と相成った。
「ふふ、今日は大河さんと二人でランチだったんです」
「えー! ずるいです! 岩崎さん、明日は私とランチにしましょう!!」
「いや、アンタは大河と大学違うっしょ。無理じゃん」
「あ、私いいこと思いついた。明日は私が大河くんにお弁当作ってあげるよ」
「え!? あー、いや、でも、千春さんに手間かけさせるのも申し訳ないっつかー、なんというか……」
舞華が抜け、5人で集まる食卓。最近は全員揃った時の口数が少なくなっている気はするが、表面上は大きく変わっているようには見えない。
一人一人が譲れない想いを秘めているが、絶対に発露することはない。
なんとなく全員が互いにそれを察していて、それを承知の上で共に過ごしている。
「ふぅ、ごちそうさまでした。今日も美味かったよ、沙耶」
「えへへ、ありがとうございますっ」
言えない想いを水面下に隠して、取り繕った笑顔で食卓を囲む──ある意味、この状況の方が魔女ハウスという概念にはふさわしいんだろう。
「い、岩崎さん! この後、お話よろしいですか……?」
そして、夕食の直後。
芦屋さんは待ってましたと言わんばかりに、俺の元へ駆け寄ってくるのだった。
◆
さて。芦屋凪沙との会合開始である。
「ささ、お入りください!」
「し、失礼します……」
指定された場所は、彼女の自室。数ヶ月共に過ごしている間柄ではあるが、女の子の部屋に入るのは何気に初めてだなと気づく。ふっつーに緊張してきた。
内装の印象は、一言で言えば『女の子らしい』だ。家具の色は基本的にピンクを基調としている。カーペット、作業デスク、カーテン、ベッドなどなど……見渡す限り桃色尽くしであり、勝手に解釈一致感を覚える。作業デスクの端には小さなぬいぐるみが並べられていた。
「えっと……それで、話って何かな?」
あらかじめ用意されていた座布団に座り、彼女と向かい合う。
ファンシー感あふれる部屋が場違い過ぎて、どうにも心が落ち着かない。
「あ、あの、話っていうのはですね。岩崎さんにご協力していただきたいことがあるんです」
「協力? 俺が?」
「は、はい、そうです! 岩崎さんにしか頼めないことなんです!!」
興奮気味に言うと、芦屋さんは包み込むように俺の両手を掴んできた。
「っ! そ、そっか! まあ、俺に出来ることなら協力するけど……」
この子は素でやっているのだろうか。それとも誘惑するためにわざとやっているのだろうか。どっちにしたって、いきなり肉体接触するのはいかがなものか。指細いのに感触は柔らかいし、あったかいようなひんやりしたような心地よい温度感で、ああ意外と悪くないかもしれない──
いつまで手ぇ触ってんだ、俺。
「よ、よし! 芦屋さん、一旦落ち着こう」
「あ! す、すいません! つい勢い余って手を……」
慌てふためきながら手を離し、芦屋さんが頬を真っ赤に染める。
……これ、もし昔の舞華みたいに打算でやってるんだとした、ハリウッド級だよな。
あはは、考えるのやめよ。
「で、では! 改めて岩崎さんにお願いです!!」
そうして、様々な感情が渦巻いている最中。
芦屋さんは改めて俺と視線を合わせ、万を持して『お願い』の内容を告げる。
「岩崎さんには──これから毎晩、私のことを見つめてほしいんです」
「…………」
ほへ?