忠告
重い瞼を開けると、視界に入ってきたのは見慣れない天井だった。
「……?」
ぼうっとした頭のまま、目線を少しズラしてみる。
ベッドで仰向けに横たわる俺の右手には、チューブが繋がれていた。チューブの先には、透明な液体が入ったパックがある。これは……栄養剤か。
そうして少しずつ状況を把握していくうちに、俺の意識は少しずつ覚醒し始める。
ここが病室であり、患者として入院しているという状況。
そして、なぜ病院に担ぎこまれる事態になったのか。
今に至る経緯を、ようやく俺は思い出した。
「おはよう、舞華」
「…………うっ……ひぐっ……ぐすっ……!」
舞華の前に突如として現れた、第二の暴漢。ナイフを持ったソイツから反射的に舞華を庇い、不覚にも俺が刺されてしまったわけだ。
「うわぁぁぁぁぁん! 大河っち! 大河っち! 大河っちぃぃぃぃ!!!!」
「はは、そんなに泣くなって。大丈夫。俺は、大丈夫だから」
目を覚ました途端、ずっとベッドの横に居たであろう舞華が、赤子のように声を上げて泣き始めた。
まあ……そうなっても、無理はないか。
「大河っちのバカ! アホ!! アンポンタン!!! どうして! どうして、私なんかのために……!」
怒ったような、それでいて安心したような表情で、舞華がこちらに視線を向ける。
きっと俺が意識を取り戻すまで、ずっと泣いていたのだろう。いつもは綺麗な目が真っ赤に腫れ、その下にはクマができている。
「……まあ、それについては後でゆっくり話そう。とりあえず、先に看護師さん呼んできてくれると助かる」
簡単に終わる話ではない。そう判断した俺は、まず病院側に意識回復を伝えるべく、舞華にナースコールを頼んだ。
◆
意識を取り戻し、ひと段落ついた後、俺は自分が意識を失っている間に何が起きたのかを知ることとなった。病院から連絡を受けて駆け付けたシオンが、事の顛末を全て教えてくれたのである。
まずは、俺の容体について。現在、俺の腹部には刃物による大きな傷ができているものの、それは命に関わるほどの怪我ではないらしい。運良く致命傷を回避し、生き長らえたというわけだ。
次に事件を起こした犯人についてだが、最初に舞華を襲おうとした男は暴行未遂、俺を刺した男は殺人未遂で逮捕されたとのことである。あらかじめリサに通報するよう頼んでおいたため、俺が刺されてからすぐに警察が駆け付け、すぐさま現行犯逮捕という流れになったそうだ。
そして、刺された俺は救急車で病院に搬送。出血多量で一時は生死の境を彷徨ったものの、医師たちの見事な処置もあり、こうして回復することができた、とのことだった。
ちなみに、俺は一週間ほど意識を失っていたらしい。その間、千春さんは大学の授業で泊りがけの野外実習があったため病室に来ることはできなかったそうだが、リサ、沙耶、芦谷さんは毎日、授業が終わった後に病室を訪れていたようだ。シオン曰く「あと30分くらいすれば三人とも病室に来るよ」とのことだった。
そして、舞華とシオンはほとんど四六時中、俺の病室に居たらしい。シオンは岩崎家への報告などもあって席を外すこともあったようだが、舞華はほどんど寝ることもなく俺の傍に付きっきりだったそうだ。「大河っちが目を覚ますまで絶対ここに居る」と、何を言っても病室を離れる気がなかった、とのことだ。
「まあ、ざっと大河くんが寝てる間に起こったことをまとめると、こんな感じだね。いやー、でも目が覚めてホント良かった……」
「……すまん、迷惑かけたな」
一通り報告を終えたシオンに、心からの謝罪を告げる。
「まったくだよ! 女の子助けるために自分を犠牲にするなんて普通思わないし! ボク、今回の件で岩崎家の使用人たちからめっっっちゃ叱られたんだからね!? これから、また本家に行って報告しなきゃだし!!」
「いや、ホントすまん。マジですまん」
こればかりは返す言葉が無い。
「はぁ……でもまあ、今回の件はボクの責任だよ。君が危ない目に遭う可能性があると分かった上で、あの場へ一緒に向かった。そして……君を守ることが、できなかった」
「何言ってんだよ。俺の意思が招いた結果だ。お前は別に悪くないだろ」
「はは、ありがとう。そう言ってもらえると少し心が軽くなる。……君は、本当に昔から優しいね」
「別に、優しくなんかねぇよ。ただ事実を言ってるだけだ」
実際、今回は俺が脊髄反射で勝手に動いて危険な目に遭っただけだ。シオンが悪くないのは事実である。
「ああ。でも、そうやって自分の優しさに無自覚なのは君の悪いところでもあるかもね」
「? どういう意味だ……?」
目覚めたばかりの頭では理解できず、思わず問い返す。
「なに、簡単な話さ。君は誰にでも優しい。誰にでも、平等にね。けど、人間ってのは罪深い生き物だからさ。君の優しさを独占したいって思う人だって、居ると思うんだよ。それで多分、君を独占したい人は、誰にでも優しい君を見た時に心を痛めるよね。つまり……結果的に、君の優しさは誰かを傷つける可能性だってあるのさ」
こちらに背を向けつつ、「じゃあボクはそろそろ行くね」と告げながらシオンは病室の出口へ向かい始める。
そして、ドアの取っ手に触れた瞬間、
「たまには、『優しくしない』って選択も取るべきだと思うよ」
そう言い残すと、シオンはどこか物寂しそうに病室を去っていった。