大河の対価
──懐かしい夢を見た。
長い間砂浜を駆け回った俺と"彼女"は、砂で服が汚れるなんてお構いなしといわんばかりに2人で寝そべり、照りつける日差しの下で会話を交わす。
「私の家ってね、お父さんが仕事ばかりであまり家に居ないの。だから、さ。ちょっぴり寂しいんだよね」
隣で言葉を紡ぐ彼女の顔には相変わらず靄がかかっていて、その表情を伺い知ることはできない。
白いワンピース、白い素肌、華奢な身体。まるで妖精のような彼女の肢体だけはハッキリと視認できる。なのに、顔だけがどうにもこうにも目に映ってくれない。
「寂しい、か。はは、俺と同じかもね。俺の父さんも仕事人間だから、気持ちは分かるかもしれない。」
「へへ、そっかそっか。君も同じなんだ。だったら、とっても仲良くなれそうだね!」
声を弾ませる彼女の顔はやっぱりハッキリ見えなくて。笑っているんだろうなという推測はできても、その笑顔はいつも見えなくて。
ああ、だけど。
「はは、そうだね! 俺たち、もしかしたら似たもの同士なのかもね!」
きっと『寂しい』という、幼さ故の感情が。そんな、どこにでもありふれていそうな想いだけが俺と"彼女"の共通点だった。
◆
「……ほがっ」
ほのかに紙の匂いを感じつつ、マヌケな起床音を上げながら俺の意識は覚醒。顔に覆い被さっている漫画を手でどけ、身体をベッドから起こして辺りを見回してみる。
「ふふ、芸術的な寝落ちだったね。2時間くらい顔の上に漫画乗ってたよ。ていうか今のアンタの顔、腑抜け過ぎじゃない? あはは、ダッサ!」
「不思議なもんだな。お前の煽りを聞いてると1発で目が覚めてくる」
「へへへ、そりゃどうも」
「いや、褒めてねぇからな?」
相も変わらず人の部屋に勝手にクッションを置き、漫画を片手に寝そべるギャルを見ていると、今がどんな状況であるかは嫌でも察することができた。なるほど。どうやら俺は、器用にも漫画を顔の上に乗せた状態をキープして、お昼寝をしていたらしい。
「つーか同じ部屋に居るんだったらさ、俺の顔から漫画どけてくれてもよくない? 窒息したらどうすんの?」
「いやー、なんかフゴフゴ言ってる大河が面白くてさ。んで、ずっと放置してた」
「オーケー、少しでも優しさを期待した俺がバカだった」
カレンダーのページが1つめくれ、今日から9月の始まり。しかし、リサの様子を始めとして俺の身の回りには驚くほど変化がない。
「ねぇねぇ、大河。この家の駐車場にあるのってアンタの車だよね?」
変わりばえのない日常を嘆いていると、いきなりリサが近くに寄ってきた。
「あ? なんだよ藪から棒に」
しかし、相変わらず良い脚である。コレで性格も良けりゃ完璧なのに。
「いや、アタシさ? 友達から海の家のバイトに誘われてて、明日から泊まり込みで海の家に行く予定でね?」
「ほう?」
「でもその海の家ってメチャ遠くてさ? 泊まりだと荷物とか多いし、電車移動だと大変なんだよね。だから大河に車で送ってもらおうかなって思って」
「なるほど。確かに今駐車場にあるのは俺の愛車だし、お前を海の家に送ろうと思えば、送れなくはない」
「ね、そうでしょ? 片道2時間くらいだし、ササっと送迎を──」
「──だが断る」
そんなものはNOに決まっている。この岩崎大河が最も好きな事のひとつは、上から目線のギャルにNOと断ってやる事だ。
「えぇー!? なんでだよ、このケチ大河!!」
「いや、普通に断るだろそんなの。なんで俺が何の得もなしに往復4時間も運転しなきゃいけねぇんだよ。聖人君子じゃねぇんだぞ」
「チッ」
え、舌打ちした? ねぇ、今舌打ちした?
「フ、フン。そんな態度をとるんだったら、なおさらこの話はナシだぜ。せいぜい大荷物を抱えて移動するが良い」
「あー、もう! 分かったよ! じゃ、じゃあ……大河の4時間の労働に対する対価をアタシが払えばいいんだな?」
何を思ったか、リサは突然頬を紅潮させつつ俺の両肩を掴んできた。
「お、おい、リサ。お前、いきなり何を……」
え、ちょっと待って。顔近い。こんな展開聞いてない。あと良い匂い。
「あ、あのー、リサさん?」
「アタシ、お金いっぱいあるわけじゃないし、大して良いものも持ってないから大河に払える対価とか無くて。だ、だから、その……大河がアタシを海の家に連れていってくれたら、なんでも1つ言うことを聞いてあげるってのは、どう?」
「……」
なんでも。なんでも、ときたか。
なんでも、というのは言葉そのままの意味で捉えて良いのだろうか。つまり普段は俺に強気に出ているスタイル抜群の金髪ギャルに、なんでも命令することができるということなのだろうか。
ふむ。だったら、話は変わってくる。いや、別にエロい命令しようとか思ってないけど、話は変わってくる。車カッ飛ばすだけで命令権を獲得できるというのは、対価としては悪くない。
「ほら、そこのギャル。なにをグズグスしている。さっさと駐車場に行って車に乗り込むぞ?」
「清々しいほどの掌返しね」
その安易な選択が後に波乱を呼ぶことを、この時の俺はまだ知らない。