【舞華視点】リベンジ勉強会(中編)
今回は舞華視点です。
◇
ねぇ、こんなの聞いてないわよ。
また前みたいに私にドキマギしてアワアワしてる岩崎っちの無様な顔が見られると思ってただけなのに。ホント、こんなの聞いてない。
急に岩崎っちが倒れるなんて、そんなの聞いてないよ!!
「ねぇ、起きてよ! 起きなさいってば!!」
あまりに突然のことに焦った私は、外面を取り繕うことも忘れ、折り畳み机に突っ伏したままピクリとも動かない彼に呼びかける。
「ああ、もう、なんなのよ! ホントワケわかんない!」
え、えっと、こういう時ってどうすればいいんだっけ!? 救急車呼べばいいんだっけ!? 110番に掛ければいいんだっけ!? 応急処置って必要なのかな!?
気が動転した私は、とりあえず彼が机に突っ伏した状態のままというのはよくない気がしたので、テーブルの上に乗っている彼の身体を起こし、カーペットの上に仰向けに寝かせてみる。
「え、えっと、人工呼吸ってしなきゃなのかな?」
そ、そりゃあもちろん男と唇を合わせるのなんてイヤだけど……でも、私が応急処置しなかったせいで岩崎っちの身に何か起きるのもイヤだし……
「って、あー、もう! やるわよ! やってやるわよ!! やればいいんでしょ!!」
慌てまくって何がなんだか分からなくなってきた私は、勢いのままに覚悟を決めた。
「よ、よし。じゃあ、いくわよ。岩崎っちって童貞だし、もしかしたらファーストキスを奪うことになっちゃうかもだけど……恨むのはナシだからね」
形式的な言い訳を呟きつつ、軽く息を吐いて床に正座した私は、彼の頭を膝の上に乗せて、ゆっくりと自分の唇を彼の口元に近づけ始める。
少しずつ、少しずつ顔と顔が近づいていって。なぜだか柄にも無くドキドキしてきた私は『これはあくまで応急処置よ!』と自分に言い聞かせながら、目を閉じて岩崎っちとの距離を一気にゼロに──
「いや、舞華。アンタなにしてんのよ」
──する前に、部屋着姿のリサっちがいきなり部屋に入ってきた。
「え、えぇ、リサっち!? なんでリサっちがここに!? ていうか、リサっち今どうやって部屋入ったの!? ここってオートロックのはずだよね!?」
「いや、普通にピッキングして入ったけど」
え、なんで堂々とそんなこと言えるの?
「ていうか舞華、アンタ。もしかして大河とキスしようとしてた……?」
「そ、そそそれは違うよ! 岩崎っちが急に倒れちゃったから、じ、人工呼吸をしようとしてただけで!!」
「え、人工呼吸? 別にいらなくない? 大河、めっちゃ息してる気がするんだけど?」
「え? いや、そんなはずは!」
リサっちに言い返しつつ、私は膝の上に乗っている岩崎っちの呼吸を確認してみる。
「スゥー、スゥー……zzz……」
「えぇ、嘘ぉ。めっちゃ息してるぅ……」
なによ、もう! よく見たら寝息立ててグッスリ寝てるだけじゃない! 慌てて損しちゃったっ!!
「まあ大河は疲れが溜まってただけだと思うよ。多分スイッチ切れて寝ちゃったんだろうね。昨日からほとんど睡眠とってないみたいだし」
入り口に立っていたリサっちは部屋の端の方へと歩いて行き、我が物顔で岩崎っちのベッドにドカッと腰掛ける。
「ねぇ、どうしてリサっちは急にここに来たの?」
「いや、いきなりアンタの声がギャーギャー聞こえてきたら、そりゃ何事かと思って様子くらい見に来るでしょ。アタシの部屋は大河の部屋の隣だから、そういう声はよく聞こえてくるのよ」
あ、そういえば私って、さっき岩崎っちが倒れた後1人で騒ぎまくっちゃってたっけ……
「ごめんね、リサっち。私のせいで心配かけちゃって」
「いや、別に謝らなくてもいいって。目の前で人が意識失えば焦っちゃうのも分かるよ。大河が寝てるだけだっていうのは、アタシが看護系の学部だから分かったことだろうし」
「へぇ、リサっちって看護師目指してるんだ。なんか意外」
「まあ、そこはどうでもいいでしょ。それで? 大河との勉強会はどうだったの?」
「え、えっと、それは……」
素直な気持ちを言えず、私は言葉に詰まる。
だって、しょうがないでしょ。今日の勉強会は全然面白くなかったんだから。
なんかいつのまにか岩崎っちが私の学部の科目もできるようになってて、めっちゃ分かりやすく勉強教えてくれるし。
今日はボディータッチしてみても、全然慌ててなかったし。前とは別人なんじゃないか、って思うくらいクールに振る舞ってたし。
全然私の掌の上で転がってくれなくて、今日は本当につまらなかった。
「まあ、やっぱ東大生って凄いと思ったよ。岩崎っちったら、自分の学部と全然関係無いことも教えてくれるんだもん。にゃはは、こういう人のことを天才って言うのかな?」
まあ、リサっちに本心を言う必要も無いし、ここはテキトーにこんな感じで返事しとけばいいかな。
「大河が天才、ね」
「ん? どうしたの、リサっち? 何か私がおかしいこと言った?」
「いや、アンタの目って意外と節穴なんだなって思って」
リサっちはベッドから立ち上がると、今度は岩崎っちが普段使っているであろう、学習机の方へと歩き始めた。
「ねぇ、リサっち? 今のどういう意味? なんで私の目は節穴なの?」
さっきの言葉に少しイラッとした私は、なにやら机を物色している様子のリサっちの背中に向けて、若干語気を強めて疑問を投げかける。
「ねぇ、舞華? アンタは大河の目の下にヒドいクマがあるのに気づかなかったの? 今日の大河を見て、本当になんとも思わなかったの?」
「……え?」
リサっちに言われて、自分の膝の上に置いている岩崎っちの顔を眺めてみる。すると、確かに彼女の言う通り、彼の目元は酷く黒ずんでいた。
なんで、気づかなかったんだろう。
「はぁ。アンタね、駆け引きに夢中になり過ぎなのよ。いっつもあざとくアピールしてくるくせに、アンタは"岩崎大河"って人間をちゃんと見ようとしていないんだよ。だから、そのひっどいクマにも気づかないのよ」
「……」
え? 岩崎大河という人間をちゃんと見る? なんで私がそんなことしなきゃいけないの?
男なんて、どうせ皆同じじゃない。男と向き合おうとしても、意味なんて無いじゃない。どうせみんな、最後に私を裏切るんだから。
だったら岩崎大河を知る意味なんてないじゃない。どうせ私のオモチャにするだけなんだから。
と、不満が溢れそうになった時だった。
「お、あったあった。ほら舞華、コレ見てみな」
そう言うと、リサっちは机の棚からノートを3冊ほど引っ張り出して、私に手渡してきた。
「え、リサっち? なんなの、このノート?」
「まあ、百聞は一見に如かずって言うじゃん? とりあえずノートを開いてみなよ。それを見たら多分、大河って人間のことが少しは分かるからさ」
「ま、まあリサっちがそこまで言うなら見るけど」
渋々従いつつ、私は手渡されたノートを開いてみる。
「え、何コレ……?」
「はは、見たまんまだよ」
「いや、見たまんまって言われても!」
コレ、全部『二重積分』の計算問題じゃん。しかも、こんなのが3冊もあるって言うの!?
「大河、言ってたよ。『別に俺は天才なんかじゃない』って」
驚いている様子の私を尻目に、どこか遠い目をしながらリサっちが言う。
「大河ってさ、本当は物を覚えるのがそんなに早い方じゃないんだって。でも、岩崎家の御曹司としての役目からは逃げられないから、必死に努力して東大に入ったんだってさ。はは、ホント笑えるよね。普段は全然そんな感じ出してないのに」
「え? じゃあ、まさか岩崎っちって……」
「ああ、そうだよ。アイツはアンタに勉強教えるためだけに昨日の朝からほとんど寝ずにブッ続けで勉強してたんだ」
「……」
なによ、それ。ワケわかんな過ぎて言葉も出ないんだけど。
だって、私って魔女候補なんだよ? しかも、まだ出会ってそんなに経ってないんだよ? 怪しさマックスじゃん。岩崎っちが気を失うまで私のために頑張る理由が無いじゃん。
ホント、意味わかんない。
「はは、舞華って意外と分かりやすく動揺するんだね」
「えっ!? いや、その、これは!」
「まあ、アンタの気持ちも分かるよ。アタシもワケ分かんないと思うし、バカなんじゃないのって思う。魔女かもしれない相手のために頑張るなんてさ、ホントワケ分かんないよね」
「う、うん……」
「でもさ。大河って多分そういうヤツなんじゃないかな、って。昨日バカみたいに頑張ってるアイツを見てたらさ、アタシはなんとなくそう思えてきたんだよ」
「……」
「ああ、もちろんアタシは舞華がどういう理由で大河に近づいてるかなんて知らないし、聞き出そうとも思わないよ? でもさ、まずはアイツを知ろうとすることから始めるのも悪くないんじゃない? 少なくとも損は無いと思うからさ」
そう言うと、リサっちは3冊のノートを全て机の棚に戻し、『まあ、大河が起きるまで膝枕くらいしてあげなよ。一応頑張ってたんだし』と言い残して部屋から出て行ってしまった。
「はぁ、ほんっと。岩崎っちって相当なおバカさんだったんだね」
目線を自分の膝元に落とし、私なんかのために頑張りすぎてしまった彼の顔を眺める。
「私って悪い女の子なんだよ? そんなにお人好しじゃ、魔女に騙されちゃうかもしれないよ? 岩崎っちはそれでも良いの?」
起こさないように、と気をつけながら。私は小声でひたすらに自分の素直な気持ちを吐き出してみる。
「知ることから始めるのも悪くない、ね」
たしかに、リサっちの言う通りかもしれない。いや、別にまだ岩崎っちを『他の男と違う』って認めたわけじゃないし、私の男嫌いな性格を変えてくれるかどうかなんて分かんないんだけど。
でも、まあ、最初から期待なんてしていないんだし? だったら別に君のことを知るのも悪くないかな、みたいな。
うん、本当に期待なんてしてないから。私は私のままで変わってないし。1回私のために頑張ってくれたからといって、それで態度を変えちゃうほど私はチョロくなんかないし。
ええ、そうよ。そんなはずなんてないのよ。ちょっと胸騒ぎがして、なんか落ち着かないような感じがするけど、きっとそれも気のせいのはず。
岩崎っち相手にドキドキするなんて──そんなこと、絶対にあるはずがないんだから。