【幕間】友達
◇
大河さんは、リサちゃんを探しに飛び出していった。
凪沙ちゃんは、その後を追いかけていった。
そうなると、必然的に魔女ハウスは私と千春ちゃん、もといシオンさんの二人きりになるわけでして。
「なんだか、寂しくなっちゃいましたね」
これまでの日々が嘘だったかのように、広々としたリビングは静寂に包まれていた。
「……沙耶は、ボクを恨んでないのかい?」
ソファーの方に歩み寄ってシオンさんの隣に座ると、彼女は怪訝な顔で私に尋ねてきた。
「私がシオンさんを恨む? なんでですか?」
「いや、だってボクってば魔女ハウス計画の首謀者じゃん。私利私欲のために君たちを呼びつけた黒幕じゃん。挙句の果てには音崎千春として全員をダマしてた大ウソつきじゃん。もっと怒るとかないのかなー、って……」
「ふふ、それは確かにそうですね」
今まで魔女として暮らしてきて、辛かったり、泣いたりしちゃうこともあった。彼女の言う通り、本当なら少しは恨んだり怒ったりしてもいいのかもしれない。
「でも、私は魔女になったおかげで大切なものができました。大事な思い出を作ることができました。傷つくこともあったけど、魔女にならなかったら今の私は居ないんです。だから、怒りよりも感謝の方が大きいんだと思います。たとえあなたが自分のためにやったことだとしても、確かに魔女たちは救われたから」
たぶん、そう思っているのは私だけじゃない。魔女になって後悔している子なんて、一人も居ないはずだ。
きっとみんな、大河さんと出会えて良かったと思っているから。
「はは、なんとも皮肉な話だね。魔女だっていうのに、お人好しばっかじゃん。そりゃあ皆、大河くんに攻略されちゃうわけだよ。それともアレかな? 大河くんに影響されて、みんなお人好しになっちゃったのかい?」
愉快そうに笑いながら、シオンさんが目線を合わせてくる。
「ふふ、どうなんでしょうね。でも、シオンさん──千春ちゃんも、私たちと同じだったんじゃないんですか?」
そして私は、あくまで黒幕として振る舞う彼女も、大して私たちと変わらないんじゃないかと思った。
「え? ボクが君たちと同じ? はは、冗談よしてよ。そんなわけないじゃん。みんなをダマしてた最悪の嘘つきなんだよ?」
「ふふ、私はそうでもないと思いますよ? “音崎千春”は偽りの姿だったかもしれないけど、全てが嘘で塗り固められてるようには見えませんでした。みんなで楽しく過ごしてる時の笑顔とか、大河さんと居る時の少し恥ずかしそうな表情とか。そういうのも全部、嘘だったって言うんです?」
「っ、そ、それは……」
「ふふ、やっぱり。だから皆、同じなんですよ。岩崎大河に絆されて、だんだん共に過ごす時間が愛おしくなってしまった──私たちは、そういう魔女なんです」
黒幕だとか嘘つきだとか言っているけど、彼女は最初から最後まで岩崎大河のために行動していたに過ぎない。
始まり方は間違いだったとしても、彼女のせいで不幸になった魔女はいない。
だから、私は彼女を恨むような気持ちにはならない。
「……はは、沙耶には敵わないか。そういえば、一番みんなで居る空間を大事にしているのは君だったね。流石だよ。ボクのこともちゃんと見てたんだね」
降参するように両手をヒラヒラさせつつ、シオンさんは力なく笑う。
「あれ? 意外とアッサリ認めちゃうんですね?」
「まあね。首謀者のくせに楽しんじゃってたなっていうのは、事実だし。“音崎千春”は……今まで大河くんに見せられなかった一面を持つってだけで、割と素の自分だったからさ」
大河さんと話している時とは違い、シオンさんは随分とリラックスした状態で天井を見上げている。
「大河くんの前では明るい自分でいたいから、そういう風に振る舞ってる。でも元来、ボクはそんなに陽気な人間じゃないんだ。だから、魔女として過ごす時も名前以外はあんまり偽ってたつもりはないんだよね」
「ふふ、なんだか嬉しいです」
「嬉しい? え、なんで?」
「だって、千春ちゃん……シオンちゃんとも、今まで通り友達でいられそうだなって思ったから」
これから見た目と呼び方は少し変わるかもしれないけど、千春ちゃんがニセモノだったわけではない。
それが分かっただけで、なんだかたまらなく嬉しかった。
「な、急に、何言ってんのさ……」
「ふふ、照れてる?」
「仕方ないでしょ! 今まで男扱いされてたから、友達とかよくわかんないのっ!」
最初は冷静に見えた彼女が、今は顔を真っ赤にしてプクリと頬を膨らませている。
大河さんの前では気を張ってただけで、案外シオンちゃんは表情がコロコロ変わる面白い子なのかもしれない。
「女友達と何話すかなんて、よくわかんないし……」
「うーん、確かに言われてみると難しいかも。えっと、じゃあ例えば……好きな人の話、とか?」
ガリ勉人生を歩んできたので、実はこういう修学旅行の夜みたいな話題に、ちょっとだけ憧れていた私なのです。
「えぇ、何それ……中高生じゃあるまいし……」
「で、実際のところシオンちゃんはどうなの? 愛だの恋だのじゃ表せないって言ってたけど、これから大河さんのことを恋愛対象として見る可能性ってあったりしないの?」
「うーん、どうなんだろう。正直、ボクって大河くんのこと好き過ぎるんだよね。好きが溢れすぎてて、この感情が『推し』なのか『恋』なのかよくわかんない」
「なるほど。シオンちゃんは悲しき限界オタクなんだね」
「なんかその言い方腹立つな?」
付き合いが長い彼女だからこそ、私には理解できない複雑な感情があるのかもしれない。異性との経験が少ない私には、よく分からないけれど。
「そういう沙耶こそ、どうなの? 大河くんって言わば、君にとって命の恩人みたいなものじゃん。あんな王子様みたいな救われ方したら、好きにならない方がおかしいと思うけど」
「そりゃあ、私だって大河さんのことは好きだよ? でも、今はどう考えたって大河さんが私を好きになってくれる可能性低いから、今すぐどうにかなりたいとは思ってないかな」
「ふーん、諦めてるわけじゃないんだね」
「うん。だって、諦める要素ないし。今はシオンちゃんとかリサちゃんには勝てないかもしれないけど、将来的には全然可能性あるもん。最初の恋人と結婚する確率って、一般的には15%くらいなんだよ? だったら、今はダメでも大河さんが誰かと別れた後なら全然チャンスありそうだなって思って。私、卒業したら岩崎グループに入社するの決まってるし」
「あれ? 君、ひょっとしてボクより計算高かったりする?」
ふっふん、昔から計算問題は得意なのです。
「でも、シオンちゃんってすごいよね。私だったら絶対、大河さんをリサちゃんのとこに行かせたりなんかしないもん。あそこでシオンちゃんが『行かないで』って言ったら、大河さんを止めることだってできたんじゃないの?」
「ま、そうだろうね。ああ見えて、大河くんってばボクのこと大好きだし。なりふり構わず大河くんを手に入れようとすれば、そうすることだってできたと思う。そもそも魔女ハウスなんか計画せずに『ボクは女だ』って大河くんに言えば、簡単に彼と結ばれたんじゃないかって思うよ」
「でも、シオンちゃんは大河さんを手に入れることじゃなくて、『彼が納得できる選択』を優先した……それは、どうしてなのかな?」
最初は軽い恋バナ気分だったのに、気づけば私は真剣に彼女へ問いかけていた。
一番彼と深い関係にある彼女の気持ちを、友達として理解したいと思った。
「それは──ボクが、岩崎大河の付き人だからだよ」
物憂げに、しかし誇らしそうに、彼女は答えた。
「ボクは大河くんを幸せにしたいし、ボクなら誰よりも彼を幸せにできると思っている。でも、その気持ちを彼に押し付けるのはボクのエゴでしかない。優しい彼はそんなエゴを受け入れてくれるかもしれないけど、それは自分勝手な行いなんじゃないかと思ったんだよ。岩崎大河はいつも、誰かのために行動している。そんな彼の付き人であるボクが、自分の気持ちを一方的に誰かに押し付けるような人間であっちゃいけないと思った」
「……ふふ、やっぱシオンちゃんもお人好しだね。自分のことより、大河さんのことを優先してるんだもん」
「仕方ないじゃん。ご主人様が自分よりも他人のために動くなら、付き人もそうするしかないでしょ?」
「ふふ。だからって、いくらなんでも魔女ハウスは少しやり過ぎじゃない? まあ、そのおかげでみんなと出会えたからいいんだけど」
「はは、最初はそうやって感謝されるつもりなんてなかったんだけどね。まさか他の魔女とこうして笑いあう日が来るなんて、思ってもいなかった」
「ふふふ。ホント、予想外のことばっかだったよね」
未来はいつだって不確実で、先行きが読めない。騙し合いだと思っていた空間がいつしか大切な場所に変わっていたりするし、仲良くなれるわけなんてないと思っていた人たちと友達になっていたりする。思いがけず、誰かに恋をしたりする。
今までと同じで、これから先も不確実なことばかりなんだろう。それこそ、まだ大河さんが誰を選ぶかは分からないし、将来的に私が大河さんに近づけるかどうかも分からない。
──でも、確実なものだってあると思う。
「あー、それはそれとして、なんか大河くんに腹立ってきた。ていうか、普通なら爆速でボクを選ばない!? こんなに尽くしてくれる美少女なんて他にいないよね!? なんでまだ答え出してないんだよ!!」
「あははは! やっぱ本心では大河さんのこと止めたかったんじゃん! シオンちゃんったら、不器用だなぁ」
「あー、もうっ! 沙耶うるさいっ!!」
たとえば、今私たちが笑い合ってる瞬間は確実に本物で、これから先もこんな時間が何度だってあるだろう。
「うーん、もう少し女の子らしくなった方が良いのかな……あ、そうだ。ねぇ沙耶、今度ボクに料理教えてよ。諜報スキルとか戦闘スキルばっか叩き込まれてきたから、料理苦手なんだよね。まずは家庭力アップから始めようと思うんだ」
「あ、そういえばシオンちゃんって、少し前に漆黒オムライス作って大河さんをノックアウトしてたっけ?」
「ちょ、その話ボクの黒歴史だからやめてくんない!?」
「ブラックオムライスだけに?」
「もうっ! 誰も上手いこと言えなんて言ってないよ!!」
「あははは! 冗談だってば! うん、分かった。今度、料理教えるね」
かくして、私の魔女ハウス生活は幕を閉じる。
友達と笑い合って、また会う約束をして。
最初に思っていたよりもずっと素敵なカタチで、輝かしい思い出と共に終わりを迎える。
ああ。でも、なぜだろう。
「ふふっ、ふふふふ! あはははは!」
笑い合っているはずなのに、流れる涙が止まらなくって。
「もうっ! 笑い過ぎだってば!!」
プリプリ怒るシオンちゃんの目にも、涙が浮かんでいる。
──ああ、そうか。
次会う時には、もう私たちは一緒に暮らしていないんだ。
友達ではいられるけど、毎日みんなで食卓を囲む時間は、もう終わりなんだ。
「っ、ぐすっ……何泣いてんの、沙耶……!」
「ぐすっ……シオンちゃんだって、人のこと言えないでしょ……!」
急に悲しくなって、彼女と抱き合った。
同時に、こんなに涙を流せるのは大切な思い出を作れたからこそなんだろうなと思って、悲しいのと同じくらいに嬉しくなった。
「ねぇ、シオンちゃん」
胸に渦巻く、この名残惜しくも好ましい気持ちは何だろう。
そう考えた時、私は気づけば彼女の名前を呼んでいて。
「今まで、本当にありがとう」
少しだけ遅れてやってきた青春が終わるから、私たちはこんなにも綺麗な涙を流している──そう気づいた瞬間、私たちはまた声を上げて泣いて、疲れるくらいに笑いあった。